1話
己己己己巴の朝は早い。
普通の人間ならば寝静まっている朝3時。目覚ましを鳴らすことすら無く、自然と目を覚ましベッドから立ち上がる。それを可能とするのは長年の習慣によるものだ。
巴はいつもの寝巻きからトレーニングウェアに着替えると、ストレッチを始めて体をほぐし始めた。ここで今から何をするのか察しがついた人もいるのではないだろうか。
ストレッチが終わった後、まず最初に行ったのは腕立て。基本的には10回を3セットするのが日常となっている。長年の習慣と言う割には少ないなと感じる人がいるかもしれないが、腕立てというのは多くやればいいという訳ではない。何回も出来るということは、それ即ち負荷が足りていないという証拠。数を少なくする事によって、限界まで負荷をかけることが出来るのだ。
腕立てが終わると、次はスクワットの体勢に入る。が、ただスクワットを行う訳ではない。行うのは、より瞬発力等が高まるジャンピングスクワットだ。こちらは15回を3セット行う。
「うるせぇなぁ!!」
巴がジャンピングスクワットをしている真っ只中、どこからか怒気の含んだ声が上げられた。その声の主は、ジャンピングスクワットの音と振動で起こされた竜牙だった。竜牙はさっきまで寝ていたということもあり、サイドテールをほどいて長髪にしており、寝癖が少しついている。
「おはよう」
「おはようじゃねえよ。今何時だと思ってんだ!」
巴は何事も無かったかのように朝の挨拶をするが、当然竜牙はキレた。
「何時って3時だな」
「そう、3時だ」
「言いたいことがあるなら遠慮せずに言ってくれ」
「あのなぁ、3時ってのは普通の人間は寝てるんだよ。てめぇみてえな前時代的筋トレバカを除いてな。だからこんな時間に同じ部屋で筋トレなんてされるのは迷惑なんだよ」
「……言い過ぎだとは思うが、確かにそうだな。道場ではこれが普通だったから何も思わなかった。悪かった、これからは静かに筋トレするから」
「何を言ってんだ、話聞いてたか?この部屋で筋トレするのは禁止だ」
「安心してくれ、起こさないようにする」
「あー、馬鹿かてめぇは。オレは寝つきが悪いんだ。筋トレで起きてしまうかもしれないというストレスを毎日かけられたくない。それもてめぇみてえな地味メガネ不細工厨二病脳筋馬鹿にな。だから筋トレをするなら外でやれ。この部屋では禁止だ。汗臭くもなるしな」
「地味メガネ不細工厨二病脳筋馬鹿って……やっぱり言い過ぎだろ。まぁでもそういうことなら仕方ない、これからは外でやることにする。起こして悪かったな」
巴はそう言って部屋を出ると、エレベーターを降りてエントランスから外に出る。外は未だ日が出ていない為に、寮のエントランスから漏れ出す光以外に明かりはなく、とても暗い。
時間的に考えてあと1時間程待てば日が出てくるだろうが、巴はそれを待つことはせずにトレーニングが落ち着いてできそうな場所を散歩がてらに探しに歩き始めた。
「おっ、光だ」
歩き始めて少ししたところで巴は明かりを見つけ、誘蛾灯に釣られる虫のように近づいていく。近づいたことによりその明かりが只の光ではなく、青い炎のようなものであることが分かった。青い炎は空中に浮遊していて、ゆらゆらとその場で揺れているだけだ。
「なんだこれ。青い、炎?」
「やぁ」
謎な青い炎に近づいて観察し始めた巴に、後ろから男が声をかけてきた。巴は思わず地面を蹴ってその場から離れる。
「誰だ!」
「そこまで警戒しなくても良いよ。僕もこの高校の生徒で、君と同じ新入生だから」
青い炎の光によって照らされた男は、金髪で金色の左目と、右目には眼帯をしている顔の整ったイケメンだった。
「どうして俺のことを知っているんだ?」
「まずは自己紹介をしようか。僕の名前は渡屋隼斗。君の名前は?」
「俺は己己己己巴だ」
「巴君ね。で、何故君のことを知っているかだっけか」
「ああ」
「覚えてない?入学式で何をしたのかを」
「あっ」
巴は隼斗の言葉で昨日の入学式で遅刻をして、思いっきり目立ったことを思い出した。そしてみるみる顔を赤く染めていく。
「それに入学式終わってからのアレの身のこなしも見事なものだったよ」
「それも見られていたのか。なんか恥ずかしいな」
「あれは止めて正解だった。間違いなく人が死んでたからね」
「それはどうも」
「ところで巴はどうしてこんな朝早くにこんなところに?」
「筋トレしてたら竜牙……いや、同室の人に怒られてな。外で良い感じの場所を見つけてやろうって思って、探してたんだ」
「同室の子は気の毒だと思うけど、入学式の次の日の朝から筋トレだなんて凄く意識が高いね」
隼斗はその話を聞いて巴の同室の子に同情しつつも、巴のことを褒めた。
「そうか?逆に隼斗はどうしてここに?」
「僕は早く起きちゃったから散歩でもしようと思ってね」
「その青い炎は隼斗の紅星か?」
「そうだね。こうやって自由に動かすことができる」
隼斗はそう答えながら、青い炎を手の平の上に移動させる。
(大方、青い炎を動かせるって能力か?少し様子を見てみるか。俺が言える事では無いが、こんな時間にで歩く新入生は怪し過ぎる)
「ならもし良かったら日が上がるまで俺の筋トレに付き合ってくれないか?」
「えぇ!?筋トレにかい?」
「もし都合が悪いのであれば、その青い炎だけここに置いていって欲しい」
「巴って謙虚かと思ったら凄い厚かましいんだね」
隼斗は半目にしながら巴を見つめながら言う。
「あんまり褒めなくていいぞ」
「褒めてないけどね。まぁ暇だし良いよ.」
「ありがとう」
巴はお礼を言ってから、ノータイムでジャンピングスクワットを始めた。寮の中で1セット終わらせていたので、残りの2セットをすることになる。
「それは?」
隼斗はこの筋トレ方法を知らないようで、興味深そうにしながら聞く。
「これはジャンピングスクワットっていって、普通のスクワットよりも瞬発力とかが上がるんだ」
その言葉に、ふと隼斗の頭に嫌な予感がよぎる。
「……もしかしてだけど、それ部屋の中でやってたりしてた?」
そしてその嫌な予感を消し去るために1つの質問をした。
「そうだけど?」
「そっか」
そして当たり前かのような表情で答えられたことにより、思わず隼斗は顔を覆うように手で抑えた。
それからしばらくしてジャンピングスクワットの2セットが終わり、荒くなった息を深呼吸にて落ち着かせる。
「もう終わりかい?」
「いや、あと1種類ある」
次に巴が行うのはアンクルホップと呼ばれる、ジャンピングスクワットと同様に瞬発力を鍛える為の筋トレで、ダッシュなどの直線的な瞬発力ではなく左右に素早く動いたり、急に方向転換をする等の力を伸ばすことができるトレーニングだ。
荒くなった息が落ち着いたところで、巴はつま先で地面を蹴って跳ね上がり、そのまま縄跳びのように跳ね続ける。こちらは回数ではなく時間を重視した方が効果があるため、普段のトレーニングでは1時間程度を目安としている。
「これは何回やるんだ?」
「これはざっと1時間くらいだな」
「1時間!?」
「とりあえず日が昇るまではやろうかなと思ってる」
「まさかとは思うがそれも寮の部屋で?」
「あぁ、そうだな」
「……」
隼斗は常識外過ぎる巴にドン引きしていた。
「だが、よく考えたら明らかに外の方が良いな。今まで道場でやっていたから室内ですることになんの疑問も抱かなかった」
「そうだね。うん。……これからは外でやった方が良いと思うよ」
そんなやり取りから時が過ぎ、アンクルホップを始めて50分程が経過した。太陽が昇り始めたことにより、日の光によって辺りが明るくなっていく。
「青い炎出しててくれてありがとな隼斗。お陰で助かった。今後何か困ったことがあれば何でも言ってくれ、必ず力になる」
「いや、僕の方も珍しい経験が出来た。こちらこそありがとう。それじゃあまた学校で会おう」
隼斗は青い炎を消し、後ろ手に手を振りながら寮の方へと歩き始めた。その姿が見えなくなるまで見送った巴は、次のトレーニングの場所にと目をつけていたグラウンドまで歩き出した。
グラウンドについた巴は、軽く二、三回跳ねながら手足をぶるぶると振るわせる。巴の朝に行う最後のトレーニングは、全力ダッシュ10本を3セット行うというもの。
「よし、やるか」
筋トレのメニューは鍛えたい部位や状態によって色々と自分なりに変えていた巴だったが、自分が鍛えると思った時からこの全力ダッシュのメニューだけは変えていない。これを辞めなかったからこそ昨日、竜牙とのペテルギウスで負けはしたもののあと一歩の所まで追い詰めることができたのだ。
全力ダッシュが終わる頃には、巴は大量の汗を流しながら肩で息を吐く程に疲れ切っていた。そしてクーリングダウンをしながら寮へと帰るのだった。