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5月 常連

 いつもささやかに流しているラジオから、古い映画の主題歌が流れ出した。


 とっても懐かしくて、ちょっと切ないそのメロディ。

 これは何ていうタイトルだったっけと気になるけど、なかなか思い出せなかった。


 お客さんが途切れていたから、私は記憶を巡らせて考える。


 なんだったかな。

 なんだっけな。

 って。


 手元はちゃんとお皿を洗ってるから、頭だけフル回転。

 サボってません。


 かちゃかちゃと触れ合う食器の音に混ざって届くラジオの音が、私の脳内を駆け巡った。


 でもどんなに考えても、やっぱり駄目。

 曲が終わり次のコーナーになってしまって、私は観念して諦めた。


「……残念」


 ちょっとがっかりしながらお皿を棚に片付ける。

 それが終わると、私は仕入れたばかりの茶葉を開けた。

 ふわりと漂うのはアールグレイの香り。


 ああ、いい香り。

 深く芳醇な独特のそれは、思い出せなかった心のもやもやをそっと消してくれた気がした。


 私は深く呼吸を繰り返しながら、上機嫌にそれを瓶に詰めていく。


 そこへ、ドアのベルが鳴った。

 お客さんだ。


「いらっしゃいませ」


 笑顔で迎え入れると、同じように笑顔で挨拶が返ってきた。


「こんにちは」


 私はそのお客さんがいつもと同じ窓辺の一番明るい席に座るのを待ってから、声をかけた。


「畠さん今日は何にしますか?」


 畠さんはなんていうか、いい感じのおじいさんだ。


 あ、おじいさんなんて言ったら失礼かな。

 すっごくダンディで上品な雰囲気そのままに、物腰も見かけ通り穏やかで優しい。

 かっこいいおじさまがもうちょっと歳をとったような感じのひとだった。


 大体いつも、午後のランチのお客さんが終わった頃にやって来て、一杯だけ紅茶を飲んでいく。

 それはほぼ毎日といってもいいくらいの頻度で、今ではうちのお店の一番の常連さんだった。


「お勧めは何かな?」

「いいアールグレイがありますよ」

「じゃあそれを頂くよ」

「かしこまりました」


 私は今移し替えたばかりの茶葉をポットに入れて、手際よく準備を進める。

 開けたての最初の一杯を振る舞えて、なんだか嬉しかった。


 時間を計って準備が整うと、ポットとカップに今日のお菓子のマカロンを添えてカウンターテーブルに置いた。


「お待たせいたしました」


 畠さんはゆっくりと口許にカップを近付けると、まずは鼻で紅茶を楽しむ。


「ああ、いい香りだね」


 それから、にこにこと笑顔を浮かべて本当に幸せそうに私のいれたお茶を味わってくれた。

 とっても紅茶を愛してくれる、大事なお客さんだ。


 今日も他愛ない話をしながら午後のゆっくりとした時間を一緒に過ごしていた。


 すると、ベルの音と共にまたドアが開いた。


「いらっしゃいませ」

「こんにちは」


 私に続いて畠さんも声をかけた。

 うちではお客さん同士のコミュニケーションも結構多いから、これはもう当たり前の光景になってる。


「どうも」


 それに当然のように応えながらカウンターの真ん中、私の真正面の席に座ったのは、最低最悪の君。


「ご注文は?」

「コーヒー、ひとつ」


 ……。

 なんでよ。

 全くもって理解不能なんだけど。


 うちは紅茶しかやってないって言ってるのに、またコーヒー。

 マジでウザいんだけど。


 ああ、このまま帰ってくれないかな。

 なんて……。


 駄目だよね。


 お客さん相手に暴言を吐くなんてことを、またやってしまわないようになんとか思い止まって、私はふうと小さく息を吐いた。


 そして準備を始める。

 コーヒーの。


 でもこの気持ちも仕方ないでしょ。

 コーヒーしか注文しないくせに、どういう訳かいつの間にか常連になってるし。


 お店の棚にはインスタントコーヒーの瓶が常駐している。

 私は一杯も飲まないそれは、紛れもなく君のためのものなんだよ。


 全く腑に落ちない。

 納得いかない。


 紅茶専門店でコーヒーしか頼まないなんて。

 コーヒーを入れられたティーカップが可哀想だと常々思う。


 訳がわからなさ過ぎて、もう突っ込む気力もなくなってた。

 今ではただ呆れるばかり。


 なんて。

 たとえインスタントでもちゃんとコーヒーを用意してる私も私だけど。


 君は私が準備をしている間、畠さんと親しげに話していた。


 今日もスーツ姿。

 仕事中じゃないのかな。

 あ、もしかしてサボってるとか。

 悪いやつ。


 ま、私には関係ないから別にいいけど。


「お待たせいたしました」


 粉とお湯を注いだだけのコーヒーと、マカロンの載った小さなトレイを静かにテーブルに置いた。

 君はインスタントであることも特に気にせずに、美味しそうにそれを飲んだ。


 ……。

 なんだかな。


 その顔を見ると、仕方がないなって気になってしまう。

 これは顔がいい人の特権かもしれないと思うと、ちょっと悔しかった。


「ごちそうさま」

「どうもありがとうございました」


 畠さんはカウンターにお金を置くと、君にも声を掛けてから静かに席を立った。

 ドアが閉まる前にお互いに軽く会釈をするのは、もう習慣になってる。


 私は姿が見えなくなるまで見送ってから、空になったティーポットを静かに片付けた。


 ふたりだけになった店内。

 君と私の間に会話はあまりない。


 挨拶とか注文以外に交わす言葉と言えば、


「いい天気ですね」

「そうだね」


 くらいだった。

 なのに、なぜか間がもつから不思議。


 私の中で今、君の存在が最大のミステリーだったりする。

 本当、変な人だよね。


 必然的にラジオの音楽がよく聞こえた。


 また外国語の歌が流れていて今度も聞き覚えがあったけど、やっぱり思い出せなくて。

 私はつい呟いてた。


「……なんだっけ」


 別に応えて欲しかった訳じゃなくて、ぽろっと出ただけだったその言葉。

 でも、


「Layla」


 さらっと答えが返ってきた。


「あ、いとしのレイラ」

「そう」


 今度はあっという間にすっきり。

 君もなかなかやるねとちょっとだけ見直しながら、その歌に耳をすませた。


 ……。

 ああ、いい歌。


 ちょうど歌が終わったとき、またベルが鳴ってドアが開いた。


「いらっしゃいませ」

「よっ」


 今度来てくれたのはお向かいのサーフショップのお兄さん、カズさんだった。


「なんか冷たいのちょうだい」


 そう言いながら、入口近くの席にどかっと腰を下ろす。

 自分もサーフィンをやっているから、カズさんの肌は焼けて真っ黒だった。


「はい。甘い方がいいですか?」

「うん。すっきりしたのがいいな」

「かしこまりました」


 カズさんの注文は大体こんな感じ。

 紅茶はよくわからないから任せる、って言って私に一任してくれる。


 だからいつも飲みたい感じの希望だけ聞いて、いろんなものを出していた。


 今日はどうしようかな。

 すっきり甘くて冷たいの、か。


 私はちょっとだけ考えてから、ひとつの瓶を選んだ。


 選んだのは、ケニルワース。

 癖が少なくてまるで果実みたいな甘い香りがする、ストレートでも飲みやすい私も好きな茶葉にした。


「お、はじめましてだよな」

「どうも」


 私が作るお茶を決めて手を動かし始めると、気さくなカズさんが君に話し掛けた。

 君は、穏やかに微笑んで応えてる。


「向かいのお店の方ですか?」

「そう、っていっても店より海のがよくいるけどね」

「へえ、今日も?」

「いや。残念ながら今日は満潮でさ」


 楽しげに弾む会話。

 私はグラスに氷を入れながら聞いていた。


 ……。

 なんか、私に対してとはずいぶん違うよね。

 すごく楽しそうなんですけど。


 私はちょっと君にむっとしつつ、カズさんの前にグラスを置いた。


「どうぞ」

「サンキュ」


 カズさんにストローはなし。

 ごくごく飲みたいと思ったから、氷も大きいものにしてみたけど。どうかな。

 私はそっとカズさんがグラスに口をつける様子を見ていた。


 ぐび、ぐび、ぐび、ぐび。


「……っぷは」


 どうやらそうしたのは正解みたい。

 一気に飲み干したところを見て、私は自分の頬が緩んだのがわかった。


「これうまいね」

「本当ですか?」


 よかった。

 カズさんは本当に気に入ってくれたみたいで、もう氷しか入ってないグラスを指差しながら私に言った。


「うん。また今度もこれいれてよ」

「はい!」


 うわ。やばい。

 嬉しすぎる。


 紅茶にあまり興味のなかったひとが、紅茶を好きになってくれた。

 それは私にとってはとてつもなく嬉しいことだったりする。


 ああ、どうしよう。

 にやにやが止まらない。

 止められない。


 私はひとり嬉しい悩みに苛まれた。


 カズさんはそれには気付かずに君との会話を続けている。

 私は見つからないようにこっそりと、顔を戻そうとぐにぐに頬を揉んだ。


 そんなことをしていると、こんこんという軽い音がして、私は頬を押さえたまま顔を向けた。

 私よりも先にその音の正体に気付いたのは、カズさんだった。


「あ、知佳ちゃん」


 知佳さんがお店の窓をノックしてた。

 私はカウンターから出て、木ドアを中から押し開ける。


 扉が開いた瞬間、目の前に知佳さんの手が伸びてきて、反射的に一歩下がった。


「はい、これあげる」


 びっくりした。


 知佳さんは私になにかを差し出していた。

 片腕に抱えている大荷物が崩れそうなのに気づいて、私は慌ててそれを受けとる。


 知佳さんの荷物が安定したのを見届けてから、手のひらにぽとんと落とされたそれを見つめた。


 そこにあったのは猫が座った形の鋳物のプレート。

 片手のひらにすっぽり納まってしまうくらいの大きさで、真っ黒くて耳がピンとした形がソラによく似てた。


「わ、可愛い!」

「でしょ?可愛くてつい仕入れちゃったけど、値段つかないからさ」

「え、いいんですか?」

「うん、お土産」

「ありがとうございます!」

「どういたしまして」


 知佳さんには貰いっぱなしで本当にいつも申し訳ないんだけど、でも一目で気に入ってしまった私はありがたくそれを頂いた。


 可愛い。

 あとでドアに付けよう。


 私はるんるん気分でエプロンのポケットにしまった。


「あ、カズ来てたの」


 知佳さんが店内のカズさんに気づいて声をかけた。


「うん。知佳ちゃんも入れば?」

「うーん……。そうしたいんだけど、コレ仕入れてきたとこでさ。かえって値付けしなきゃなんだ」


 大きな荷物を見せつつ知佳さんは苦笑した。

 今にも崩れそうで崩れない絶妙のバランス感覚が凄い。


「そっか。すごい荷物だね、手伝うよ」

「大丈夫大丈夫。量はあるけど軽いから」


 わっわっ。

 あり得ない揺れ具合なのに軽やかに荷物を傾けて見せる知佳さんに、こっちがひやっとする。


「目移りしてつい買いすぎちゃったのよね」

「いつもそんなこと言ってない?」

「あは。言ってるかも」


 知佳さんとカズさんはとっても仲良し。

 まるで子供の頃からの付き合いみたいに見えるけど、実は数年前に知佳さんが越してきて初めて知り合ったらしい。


 なんか意外。


「じゃ、いくね。また来るよ」

「はい。お待ちしてます」


 どっこいせと荷物を担ぎ直してから小さく手を振って、知佳さんは自分のお店に帰っていった。


 そうだ、あとで差し入れにマカロンを持っていこう。

 私はそんなことを決めながら、ぱたんとドアを閉めた。


 知佳さんが帰ってしまうと、カズさんはあからまさに残念そうな顔をした。


 夏にもなればライフセーバーまで勤めるらしいカズさんの人気っぷりはけっこう凄い。

 だから、普段はモテモテの姿しか見たことないんだけど、そんなカズさんは知佳さんが好きだったりする。


 それは近所中で有名な話で、まだここの住人になって数ヵ月の私でさえも気付くほどに、カズさんは至ってオープンだった。


 知佳さんを見つければ必ず声をかけてるし、食事や映画に誘ってるのも何度か目撃したことがある。

 他の女の子には見向きもしないで、カズさんは知佳さんにアピールしてた。


 でも、残念なことに知佳さんはカズさんを相手にしてなくて。

 カズさんはすでに何度かフラれてるんだ、なんてことを前に話してくれた。


 どうしてうまくいかないのかな。


 ふたりとも大好きな私としては、うまくいって欲しかったりする。

 だって、とてもお似合いだと思うから。


 そんなことを思っていたのがバレてしまったのか、カズさんと目が合うとくすりと笑われてしまった。

 そして、


「ま、気長に頑張るさ」


 私がなにか言う前にそう言った。


 軽くて柔らかい声だったけど、すっと心に響く声だった。

 前向きで明るくて、芯の通った素敵なひとだ。


 うう、なんとかならないものかな。


「……こっそり応援してます」


 私は返す言葉に悩んでから、それだけ小声で伝えた。


 狭い店内だから、君にも聞こえちゃってるだろうけど。

 言わずにはいれなかった。


「ははっ。サンキュ」


 カズさんは嬉しそうに笑う。

 ちらりと覗いた白い歯が眩しかった。


 それから間もなく、カズさんも自分のお店に帰っていった。


 また店内は君とふたりだけ。

 ラジオからは、今は歌は流れていなかった。


 私は氷だけ残されたグラスを静かに片付ける。


「なかなかうまくはいかないんですね」


 私はカズさんと知佳さんのことを考えて呟いた。

 お似合いだと思うんだけどな、なんてしつこく思い続けながら。


 すると、


「だから面白いんじゃねぇの」


 君はさらりとそう言った。

 読み始めた新聞から視線もあげずに。


 うまくいかないから、面白い。

 私はその言葉を頭の中で反芻する。


 ……え、そうかな。


 うまくいかないのって面白くないんじゃないの?

 失敗したら悔しいし、成功したら嬉しいものでしょ?

 うまくいった方が面白いと思うんだけど。

 私はそんな風に想いながら、新聞に視線を落としたままの君をこっそり見つめてみた。


 ラジオから、DJの軽快なトークが聞こえる。


 私は音をたてずに、カウンター内に1脚だけ置いてある木の丸椅子に腰を下ろした。

 君は、私のそんな行動や巡る思考には我関せず。もう口を開かなかった。


 言いっぱなし。

 まったく君らしいよ。


 だから、黙々と新聞を読み進める姿をそのままぼんやりと眺めながら、私はもう一度考えてみた。


 ……。


 すると、その内不思議なことに別の想いが生まれてきた。

 そう言われれば、そうかも。っていう想い。


 なんでも全部うまくいったら、逆にそれが当たり前になってつまらないのかもしれない。

 達成感とか感じないのかもしれない。って。


 ……。


 うん。

 ふたりにはうまくいって欲しいと、やっぱりどうしても思ってしまう私だけど、それはなんとなくわかった。


 いいことがあって、悪いこともあって、悲しいことも、楽しいこともあって。

 でも、いろんなことがあるから面白い。

 全てが思い通りなんて、きっと全然面白くない。

 確かにそうだ。


 そして、人とこんなに触れ合うようになって初めてわかった。

 それはいろんな人がいるからこそだってこと。


 違う考えや想いを持った人と触れ合うから、もっともっと面白くなるんだ、って。

 ここに来て、個性的でとっても優しいひとたちに出逢って、私は教えて貰ったんだ。






 ま、一番の衝撃は君だったけどね。


 っていうか、一杯のコーヒーでいつまでいるの。

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