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12月 プロポーズ

 朝の空気がすっかり冷たくなって、吐く息は白く膨らんではあっという間に消えていく。


 私は日課の散歩から帰ると、すかさず給湯器のスイッチを入れた。

 飛び上がるほど冷たい水をしばらく我慢すれば、段々と温かくなってきて、私のかじかんだ手はゆっくりとこわばりをといた。


 完全にお湯に変わったところで、私は開店準備を始める。

 やけどした左手も畠さんに定期的に見て貰って、1週間ほどで使えるようになり、また普通にお店に立てるようになった。


 畠さんのおかげで軽くすんで、本当に感謝しかない。


 片手しか使えなかった間は、食事やお菓子のサービスはお休みして、お茶だけを提供していたんだけど、その間もご近所さんたちはよく来てくれて、本当にありがたかった。

 心配してくれたり、差し入れしてくれたり、ちょっと叱られたり、たくさん気にかけて貰って嬉しい。


 知佳さんなんて、


「洗い物やるよ!」


 なんて言って、バイトみたいなことまでして助けてくれた。


 手が治ったら絶対お返ししなくちゃ、と心に誓っていた私は、知佳さんの好きな焼き菓子をたくさん作ってプレゼントした。

 それを大袈裟なくらい喜んで受け取ってくれた時は、すごく嬉しかったな。


 私は、その時の知佳さんのはしゃぐ様子を思い出してクスッと笑い、玄関ドアへ向かう。

 開店時間になり、外に出てプレートをオープン表示に裏返した。


 今日も元気に営業開始だ。

 すると間もなく、


「おはようございます」


 私服に学生鞄を肩にかけて、真由美ちゃんがやって来た。

 私もおはようと返し、迎え入れた。


 真由美ちゃんは、共通テストまであとひと月に差し迫り、鬼気迫る勢いで勉強してる。

 学校は自由登校らしく、平日でもこうして朝から来てくれることが増えた。

 もはや特等席の一番端のカウンター席には、真由美ちゃんが居ないときでも誰も座らない。

 みんな何も言わないけど、心の中で静かに応援してた。


 あと数日でクリスマスだけど、真由美ちゃんは全く興味ないみたい。

 燃えに燃えて勉強に励んでいる姿はかっこよかった。


 そんな真由美ちゃんまでもが、私がやけどした時は気遣ってお手伝いしてくれていた。

 お客さんが帰ったあとの下げ善だったり、カウンターが水滴で濡れていたら拭いてくれたり。

 さりげなく、勉強の合間に助けてくれた。


 本当に良い子。


 こんなに良い子は絶対受かるよ。

 間違いない。


 私はそう確信してひとり頷きながら、アールグレイで入れた温かいミルクティーと林檎のタルトを、そっと真由美ちゃんの前に置いた。


「ありがとうございます」


 真由美ちゃんは少し微笑んで、すぐに視線を参考書に戻した。

 私は頑張れ、と念を送って応援した。


 君もあれから、仕事が終わると毎日のように来てくれて、家事やらお店の片付けやら手伝ってくれた。

 今まで逢えなかった分、それを埋めるように過ごしてるけど、なんだか優しすぎて変な感じ。


 すっかり元通りに完治したのに未だに労ってくれるから、恥ずかしいような、むずむずするような、嬉しいような、気持ち悪いような。

 とても君には言えないけど、そんな感じ。


 今年のクリスマスは週末で、君も私も仕事だから、きっといつもの週末と同じように、夜だけふたりで過ごすことになると思う。

 恋人たちのクリスマス、なんていうのを聞いたことがあるけど、生憎私たちはイベント事にそんなに興味がない。

 だから、特になんの予定もなく、君が普通にうちに帰ってくるだけのつもりでいる。


 でも、それがとても幸せなことだと思う。

 君が来る日は、それだけでいつも特別な日になるから。

 普通の日が特別な日、なんて最高だよね。


 それでも、一応プレゼントになにか用意しようかなと考えてみた。

 でも良いものが思い付かず、まだなんにも用意してない。


 悩みすぎて、もうなしで良いかと思ったりもしたけど、せっかくの機会だし、ね。

 まだ考えていた。


 真由美ちゃんが計算を解くためにペンを走らせる音を聞きながら、ぼんやりとどうしような、なんて悩んでいると、カランカラン。

 ベルの音が来客を告げた。


「いらっしゃいませ」

「おはよ」


 上下スウェットというラフな格好で現れたのは、カズさんだった。


 今朝のお散歩の時にも、波乗りしている人をたくさん見たけど、どうやらカズさんもその中にいたみたい。

 濡れた髪がこめかみや頬に貼り付いているから、きっといつものように、海から上がってシャワーを浴びてそのまま来たんだろうな。


 私はすっかり寒くなったと思うのに、カズさんからは全く冬を感じなくて不思議。

 風邪とかひいてるのも見たことがなかった。

 やっぱり鍛えてる人は強いんだなと、感心してしまう。


 コトン、と私はいつものアイスティーをカズさんの前に置いた。


「サンキュー」


 そしてそれを、いつものようにぐびっと飲み干す。


 何度見ても良い飲みっぷり。

 冬らしくないどころか、真夏のオアシスで水を得たようだ。


 それがラジオから聴こえるクリスマスソングとあまりにかけ離れたイメージで、何だか可笑しかった。


「もうすぐクリスマスかぁ」

「今週末ですね」


 真由美ちゃんの邪魔にならない程度の声で、カズさんと他愛もない話をする。


「ガキの頃は毎年うかれてたなー」

「もううかれないんですか?」

「うかれないねぇ」


 お互いにもう若者とは言いがたい年齢だからか、艶っぽい話はない。

 私は知佳さんとの事について何も言わないし、カズさんも君との事について何も言わないから、尚更。

 カズさんとの、そんな関係がとても心地良かった。


 お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな、と密かに思う。

 両親すらいない私だけど、カズさんのおかげで妹気分を味わえて、いつも嬉しかった。


 カズさんはインストラクターもやってるからか、話がとても上手で面白い。

 それに、気軽になんでも話してしまいそうになる雰囲気がある。

 お客さんで来てくれているのに、こっちの方がいろいろと相談してしまうこともあった。


 そんな時も、ちゃんと話を聞いてくれて、的を射た返事を返してくれるから、ついつい甘えてしまっていた。

 そして今日も。


「カズさんは、クリスマスプレゼントとか何を貰ったら嬉しいですか?」

「ん?俺?」

「はい」


 おとなの男のひとが欲しいものを、ずばり聞いてみることにした。

 私は期待を胸に、返事を待つ。


 すると、


「新しいボード」

「……」


 いつも頼りになるカズさんだけど、今回は全く参考にならなかった。

 私はあからさまにがくっと肩を落とした。


「くくく」


 それを見てカズさんが笑う。


「なに、プレゼント悩んでんの?」

「はい」


 何もかもお見通し。

 私もここまできたら、素直に悩んでると相談することにした。


 どうしたらいい?

 お兄ちゃん。


「そうだなぁ」


 しばらく考えてから、あっと声が上がる。

 何か閃いたみたい。


「シーグラスは?」

「シーグラス?」

「そう」

「ってあの、海岸にたまに落ちてるやつ?」

「そう」


 え?

 それを拾って、プレゼントするの?


 いやいや、確かに綺麗ですけど。

 でも、いくらなんでも、ね。

 おとなの男の人が、喜ぶかな?


 私の考えていることが顔に出ていたようで、またしてもカズさんは声をあげて笑った。

 私はどうしてそれを勧められたのかわからなくて、考えていると、


「ちょっと来て」


 と言ってカズさんは席を立った。


 立ち上がってから、おっと忘れてたと付け加えて林檎のタルトを指で掴み一口で頬張ると、さっさとドアに向かう。


「え?」

「ちょっとだけだから」

「でも、お店が」

「平気平気」


 何が平気なんですか?

 とは言えず、黙々と勉強している真由美ちゃんを残して、カズさんと外に出た。


 そして向かったのは、カズさんのサーフショップの二軒お隣の洋食屋さんだった。


「ほら、見て」


 メニューや食品サンプルがディスプレイされているウィンドウの前に立ち、カズさんが指を差す。

 私も隣に立ってその先に視線を向けると、上品なメニューボードがイーゼルに立てて置いてあった。


 細くシンプルな白い木の額でできた、そのメニューボード。

 下の方には小さな貝殻や流木が貼り付けられていて、全体的に色とりどりのシーグラスが散りばめてあった。


 上の方は緑や青の濃い色のガラス、下にいくほど水色や透明のガラスと貼り分けてあって、グラデーションがとても綺麗。

 淡い色のガラスが白い貝殻と流木を引き立てているし、僅かに置かれた赤いガラスがなんとも言えないアクセントになっていた。


 ショーウィンドウの天井につけられたダウンライトからの、柔らかい光を映すシーグラス。

 波に流され角が取れたそれは、表面も細かく削られていて、乳白色に淡く輝く。


「綺麗・・・」


 私は無意識に呟いていた。


 ひと言で言えば、センスがとても良い。

 子どもっぽい感じは全くなくて、まるで芸術作品のようだと思った。


 これはいつまででも見ていられる。

 うっとり。


 そしてイーゼルの周りに、ささやかに置かれた小物たち。

 額と同じく、貝殻や流木を使って作られた、ヤドカリやヒトデのかたちの置物が飾ってあった。


 流木の自然な形状を利用しているからかな。

 リアルすぎず、かといってデフォルトされた感じもなく、絶妙な造形で作られていた。


 この海の生き物たちも、小さなシーグラスに彩られてとても可愛らしかった。


 私が見惚れていると、洋食屋さんのドアが中から開き、奧さんが顔をだした。


「あら?」

「あ、こんにちは」

「ども」


 何となく気まずくて、多少慌てながら挨拶をした。

 だって、なんか盗み見した気分。


 カズさんは何てことなく、手を軽くあげて挨拶してたけど。


「どうしたの?ふたりして」


 私の罪悪感に気付くはずもなく、にっこりと微笑む奧さん。

 柔らかくて可愛らしい笑顔が、いつ見ても素敵だ。


「あの、これ、ゆりさんが作ったんですか?」


 私は単刀直入に、洋食屋さんの奧さん、ゆりさんに聞いてみた。


「ええ、そうよ」


 更に笑みを深くしてこくりと頷く。


「カズくんが、海岸掃除のときに拾ったシーグラスや貝殻をくれたから、作ってみたの」


 ね、とゆりさんがカズさんに笑いかけると、カズさんもにっこりと笑う。


「いい感じのができましたね」

「ええ。いつもありがとう」

「いえいえ」

「私こういうの大好きだから、嬉しいわ」


 ゆりさんはメニューボードに視線を向けると、愛おしそうに見つめた。

 そんなゆりさんを横目に見つつ、カズさんが私に得意気に言う。


「さすがゆりさんだろ」

「はい、すっごく素敵です」

「まぁ、ありがとう」


 私が即答すると、ゆりさんは薄っすら頬を染めた。

 本当に好きなんだなって、よくわかった。


 私は少しだけ躊躇いながらも、思いきって聞いてみた。

 すっかり魅せられてしまったから。


「あの、こういうのって作るの難しいですか?」


 ゆりさんは一瞬きょとんとして、また微笑むとゆるゆると首を振って応えてくれた。


「ううん、とっても簡単よ」


 そうなんだ。

 じゃあ、私にもできるかな?


 手芸とか工作ってあまりしたことがないけど、これを贈りたいって思ってしまった。


 君と私の好みは、コーヒー以外はほとんど同じ。

 絶対気に入ると思ったから。


「教えてあげるから、作ってみる?」


 不意に出された提案に、今度は私がきょとんとしてしまった。


「え、いいんですか?」

「もちろん」

「ありがとうございます!」


 それは、願ってもない言葉。

 悩む間もなく頭を下げた。


 ああ、ゆりさん。

 なんて優しいの。

 女神様なの。


「あ、でも材料がもうなくて……」


 思い出して申し訳なさそうな顔をするゆりさんに、私は笑顔で大丈夫ですと応えた。


「それは自分で探してきます」


 君へのプレゼントだもん。

 材料は自分で集めたかった。


 まだシーグラスを用意していないので、作り方は明日教えて貰うことににした。


 明日の朝の散歩で集めてこよう。

 いつもの散歩が、より楽しみになった。


「じゃあ明日、うちのランチの営業が終わったらそっちに行くわ」

「えっ、そんな。こちらから伺いますから」


 突然押し掛けた上、手解きまで受けようというのに、更に来ていただくだなんて。

 と思っていたら、


「私オレンジ・ペコーが飲みたくて」


 そう言って、にっこりと微笑むゆりさん。

 私は自然と顔が綻んでしまった。


「ではご用意してお待ちしてます」

「楽しみにしてるわ」

「はい、私も」


 明日は美味しいオレンジ・ペコーを用意しなくちゃ、と心に誓った。


 まだ何を作るのかも決めてないし、どんなシーグラスが見つかるかもわからないから、いろいろと考えなくては。

 私はうきうきと、真由美ちゃんの待つお店に帰るのだった。




 翌朝。

 いつもよりも30分ほど早く、私は海岸に来ていた。


 空は白んできているけど、太陽はまだ顔をだしていない。

 だから、薄暗い砂浜を慎重に歩いた。


 今朝はそこまで冷え込まなかったから、薄手のダウンと手袋を身につけてきたけど、少し時間が早いだけでこんなに寒いと思わなかった。

 私はぶるっと震える肩を抱いて、しっかり防寒してこなかったことを後悔した。


 昇り始めた朝日が海面を照らし、眩しさに目を細める。

 陽が昇れば段々と暖かくなってくるから、もう少しの我慢だ。


 いつもは遠くの海を往く船や、まだうっすらと見える星を見上げたりして歩く砂浜を、今日は足元だけを見ながら歩いていた。


 あるかな。

 見つからなかったらどうしよう。

 という不安は、最初の内はあったけれど、ほんの数分で消えていた。


 海水浴客や観光客のあまり来ないこの辺りの海岸は、そんなにごみもなくて荒れていない。

 さらさらの砂を少し手で掻き分ければ、わりと簡単にシーグラスを見つけることができた。


 私は片手だけ手袋をはずしてそれらを拾い、ダウンジャケットのポケットに入れた。


 シーグラスを探して歩くこと十数分。

 もう5、6個見つけることができていた。


 この辺りに落ちているシーグラスは、透明のものや水色、緑色のものが多かった。

 ゆりさんの作ったメニューボードもそれらの色合いを多く使っていたから、こういった色味が一般的なのかもしれない。


 丸っぽかったり、四角っぽかったり、形は色々あった。

 海で削られて流れ着いたものだから、表面はどれも少しざらっとしていて、角はない。


 砂浜に落ちているものは白っぽく見えるけど、波打ち際で濡れていたものは透き通っていて、まるで宝石のように見えた。

 乾いているときと濡れているときで、色が全然違って見えて面白かった。


 どれも綺麗だと思う。

 洋食屋さんで見たものと、ほとんど同じシーグラス。


 でも、なんでかな。

 ぴんとこなかった。


 私はいつもの散歩ルートの、もう少し先まで歩いてみようと決めた。

 なんとなく、そっちに行けば見つかるような気がした。


 ただの勘だけど、呼ばれた気がした。


 朝日に反射して、私の爪先の少し先でキラリと光るものがあった。

 私はしゃがみこんでそれを手に取る。

 不思議な色のシーグラスだった。


 手のひらに載せて見てみると、水色と黄緑の中間のような色に見えた。

 でも、空に翳すと黄色のような、オレンジのような暖かみのある色も現れる。


 太陽の光に当てれば、七色に輝くようだった。


「綺麗……」


 こんな色、見たことがない。


 このシーグラスは何色に見えますかって聞いたら、きっと人それぞれ違う色を答えるんじゃないだろうか。

 もしくは虹色、それが正解かもしれない。


 手触りも、他のシーグラスとは少し違っていてもっと柔らかく感じる。

 ガラスなのに、有機物を手に取っているようだった。


 これに、決めた。

 私はそれを、朝日に当てながらくるくる回して眺めた。


 歪な形は二枚の葉っぱがくっついているようにも見える。

 なんだか二葉のような形だと思った。

 自然と、口許が緩んでしまう。


 君へのプレゼント、見つけた。

 私はそれを、大切に手に握りしめてお店に戻った。


 午後二時を過ぎた頃、畠さんと入れ替わるようなタイミングで、約束通りゆりさんが来てくれた。

 大きな紙袋と工具箱を、それぞれ両手に下げて。


「必要なものは持ってきたから、ちょうどお客さんがいない間にさっそくやってみましょ」

「はい、よろしくお願いします」


 ゆりさんが、持参してくれた工具やら金具やら接着剤やらを手際よくカウンターの端に並べていく。

 私は急ぎ目に、でも丁寧にお茶の準備を始めた。


「シーグラスは見つかった?」

「あ、はい」


 リクエストのオレンジ・ペコーを静かにお出ししたところで、ゆりさんが訊いた。


「これなんですけど」


 私は朝集めてきたシーグラスを全てテーブルに出す。

 そして、その中のひとつを摘まむとゆりさんに差し出した。


 他のものより少し大きい、親指の先くらいのサイズの歪なシーグラス。


「まぁ、不思議な色ね」


 ぱあっと顔を綻ばせて、ゆりさんがそっと受け取った。


 ゆりさんから見ても、やっぱり珍しい色みたい。

 興味深そうにしばらく眺めてから、にっこりと微笑んで返してくれた。


「素敵なものができそうね」

「本当ですか」

「ええ」


 ゆりさんがしっかりと頷いてくれたので、ほっとした。

 形が歪んでいるから、加工するのは難しいのかなと思ったけれど、どうやら大丈夫そうだ。

 よかった。


「じゃあ始めましょうか」

「よろしくお願いします」


 私は元気に頭を下げて、ゆりさんの隣の客席に腰掛けた。


「どんなものを作りたいの?」

「キーホルダーか、ストラップみたいなものがいいんですけど」


 気軽に身に付けてもらえるものが良いと思ったから。


 ゆりさんはうんうんと頷いて、工具と材料をいくつか手に取る。


「割りと大きめだから、穴を開けて金具をつけるか、細い紐を通すか、ワイヤーで巻いても良いかもしれないけれど」

「うーん、そうですね」


 ゆりさんは色々な完成パターンを提案しつつ、使えそうなものを見せてくれた。

 私もシーグラスを観察しつつ、どうしようかと想像を膨らませる。


 ううん、決めるの難しいな。

 この形も気に入ってるから、それがよく見える方がいいかな。


 うん。


「じゃあ、穴を開けてキーホルダーの金具をつけたいです」

「ええ、いいわよ」


 使わないものをささっと端に避けて、ゆりさんが電動のドリルを用意してくれた。

 厚めの木の板をカウンターに置いて、その上にシーグラスを置く。

 そして、ドリルの使い方を丁寧に説明してくれた。


 私は、穴を開けたい位置にドリルを構えた。


「ゆっくり、ね」

「は、はい」


 緊張する。

 電動ドリルなんて使ったことないから。


 私はふうと小さく深呼吸すると、そっとドリルのボタンに指をかけた。

 ギュイーンといつもの店内ではあり得ない音を響かせて、ドリルが回転を始める。


 私は慎重にシーグラスにドリルの先端を当てると、ゆっくりと穴をあけ始めた。

 わずかに削れた所で、不意に乾いた音がした。


 ぱきっ、と。


「あ、」


 やってしまった。


 あんなに気を付けていたのに、シーグラスはふたつに割れてしまっていた。


 うそ。

 やっちゃった。


 最高のシーグラスを、見つけたのに。

 ゆりさんが教えてくれてるのに。

 割れやすいから気を付けてねって、言われたのに。


 ショックを受ける私。

 でも、ゆりさんはそんな私に、


「ちょうどいいからふたつ作ったら?」

「え?」

「大きさもそのくらいの方が、むしろ良かったかもしれないし」


 と、割れたことなんて何てことないというように、提案してくれた。


 や、優しい。

 思わず涙目になってしまった。


「でも穴あけはやめましょう。このガラスは少し脆いみたいだから」


 私は、はいと素直に頷く。

 穴あけは、私ももう怖くてできそうもなかった。


 ゆりさんの意見をきいて、今度はヘンプの細い紐を使うことにした。

 割れたところは少し角もあるし、網にして包むことにした。


 カウンターテーブルにマスキングテープで紐を留めて、教えてもらいながら丁寧に編んでいく。

 小さな網ができたら、そこにシーグラスを入れて口を閉じ、包み込んだ。


 あとは紐を程よい長さで切って結べば。

 小さなストラップができた。


 ヘンプの紐は白に近いベージュで、このシーグラスの色味が良く映える。

 最初思っていたものとは違うものができたけど、とても良いものができたと思った。


 キーホルダーの金属よりも、自然な素材を使ったことによって、より活きたと思う。

 サイズもゆりさんが言ったように、このくらいの方がちょうど良さそうだし。

 結果的に、一番良い形のものができた気がした。


 君に送るはずだった世界にひとつのクリスマスプレゼントは、世界にふたつのクリスマスプレゼントになって完成した。




 そしてやって来た、クリスマス・イヴ。

 お店の営業が終わって私が2階で夕食を作っていると、君が帰ってきた。


 君が来る日は、それまで鍵を開けたままにしているから、玄関ドアにつけたベルの音で気がつく。

 私は食事の仕度を中断して階段の上で出迎えると、コートとスーツを受け取った。


「おかえり」

「ただいま」


 いつも通りの挨拶を交わして、いつも通りの普通の夕食を食べる。

 それから、君が買ってきたケーキを食べた。


 ケーキと言ってもクリスマスケーキとかじゃなくて、ベイクドチーズケーキとモンブラン。

 なんでこれにしたのかというと、単に美味しそうだったからだって。


 本当、私たちってイベントに興味が薄いよねと笑ってしまった。


 それでも、こうしてケーキを買ってきてくれたことが嬉しい。

 君も、同じようなことを考えてたのかなって思うと、嬉しかった。


 私はご飯もケーキも食べてソファでソラと寛いでいる君に、唐突に手を差し出した。


「これ」


 指を開いて中を見せる。

 ラッピングもしていないままの、ストラップを手渡した。


「何?これ?」


 長い指で紐を摘み、ぷらりとぶら下がったシーグラスをまじまじと観察する君。


 なんだろう。

 無性に恥ずかしい。


「シーグラスを拾って作ったの」

「え?お前が?」

「うん」


 少し目を見開いて驚いてから、またそれに視線を戻す。

 今度は照明の光に翳してじっくりと眺めてた。


 そして、


「いいじゃん」


 君はにやりと笑って、おもむろにソファから立ち上がる。

 ハンガーにかけてあったコートのポケットから、キーケースを取り出すと、それに手際よくつけた。


「ありがと」

「どういたしまして」


 よかった。

 その反応でわかる。

 どうやら、気に入って貰えたみたいだ。


 私の安堵には気づかずに、君はまた何事もなかったかのようにソファに座り直した。

 すかさずソラがその膝に跳び乗る。


 ごくシンプルに渡すことができて、私もほっとした。

 改まった感じが苦手だから、君のこの態度が本当に助かる。


 私はひとり満足しながら、夕食の洗い物を片付け始めた。


「なぁ」

「ん?」

「ちょっと外出ねぇ?」


 いつもならお風呂に入ってのんびりしてる時間帯だけど、せっかくのイヴだし、イルミネーションでも見に行こうか、ということになった。


 ケーキを買って食べたり、手作りのプレゼントを渡してみたり。

 なんだかんだ言って、クリスマスを満喫してる私たち。

 なんだか、浮かれ始めていた。


 この際せっかくだし、ということで急遽出掛けることにした。


 この辺でライトアップしてるのは、畠さんの病院のある通りの街路樹か、少し距離があるけど駅前。

 それか、海岸から遠くのイルミネーションを見るのも綺麗かもしれない。


「どこに行く?」


 私が訊くと、君は少しだけ悩んでから答えた。


「海でも行くか」

「うん」


 晴れた日の朝は散歩に行く、もうよく見知った場所。

 君がそこを選んだのが嬉しかった。

 私がお店の次に好きな場所だから。


 洗い物を片付けて、今度はばっちり防寒対策をして外に出た。

 一番厚いコートに帽子、手袋にマフラーまで身に着ける。


 ちゃんと着込んだから、外に出てもぶるっと震えがくることはなかった。

 よしよし。


「あ」


 海岸へ抜ける脇道へ入る直前、君が立ち止まって声をあげた。

 私も隣に留まり、その視線の先を追う。


 そこに見えたのは、


「あ、知佳さん」


 そして、


「え、カズさん?」


 知佳さんとカズさんだった。


 かなり距離があったから、何をしているのかはわからないけど。

 いつか見た険悪な雰囲気ではないのはわかる。


 それどころか、なんだか、いい感じ?

 私にはそんな風に見えた。


 偶然会って話してるだけかもしれないけど、今夜一緒にいるという事実だけで、私は顔が緩むのを抑えられない。

 なんだか嬉しくて、君と視線を交わして笑いあった。


 私たちは気づかれないように、静かに海岸への道を抜ける。

 いつの間にか手を繋いで、海を目指した。


 海岸につくと、私たちは言葉を失った。


 目の前に広がるのは、暗い砂浜と暗い海。

 そして、海沿いの道に転々と寂しく灯る街灯。


 それだけ。


 きっと、海岸からは遠いながらも色とりどりのイルミネーションが見えるだろうと踏んでいたけれど。

 予想に反して、イルミネーションなんて一個も見えなかった。

 もちろん、ひとっこひとりいない。


 ふたりして、唖然と真っ暗な海を前に佇む。

 その内にどちらからともなく、笑いが込み上げてきた。


「ぷっ」

「っふ、ふふ」


 段々と堪えきれなくなって、ついに噴き出した。


「意味不明すぎるっ」

「何しに来たの、私たち」

「あ、アホみてぇ」

「ほんと、っふ、ふふふ」


 げらげらと声をあげて、お腹を抱えて笑う。


 だって、本当に意味不明だ。

 本当に何しに来たんだかと思う。


 あほあほ良いながら、苦しくてひいひいするまでふたりで笑っていた。

 この意味のないお出掛けが、楽しくて仕方なかった。


「明日、リベンジするか」


 冗談混じりに、君が笑いながら言った。

 その目尻には涙が浮いて見える。


 私も笑いの波がようやく治まったところで、君に訊いてみた。


「明日は」

「ん?」

「明日はどこに行くの?」

「んー、そうだな・・・」


 少しおどけて考える君に、間髪いれずにきく。


「明後日は?」

「ん?」

「明々後日は?」


 リベンジにどこに行くのかな。

 どこでも良いから行きたいな。

 イルミネーションなんて、なくてもいいから。


 あんまりしつこく訊いたからか、君は押し黙った。

 そして、


「……いい加減にしろ」

「いたっ」


 チョップされた。

 そこそこの力で。

 地味に痛い。


 地味に、痛い。


 なのに、私の反応を見て笑う君。

 痛かったよ、わかってる?という抗議の視線を向けてみた。


 すると、不意に真剣な瞳を向けられて、胸が鳴った。


「まず、今日の話をしてもいいか?」

「え?うん」


 なんだろう。

 さっきまでのふざけた感じが消えていた。


「今日はずっと一緒にいよう」

「うん」


 真っ直ぐに見つめられて、どきっとしてしまった。

 私は、さも何てことない風に相づちを返す。


「明日も一緒にいよう」

「うん」


 君が一歩、私に近づいた。


「明後日も」

「うん」


 また、一歩。


「明々後日も」

「うん」


 なんだか面白くなってきた。

 さっきのにまじめに応えてくれてるのかな。


 今日も、明日も、明後日も、明々後日も一緒だって。

 まさか、君の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったよ。


 なんだか楽しくなってきて、笑っちゃう。


「ずっと」

「うん」


 そう言って貰えるの、嬉しい。

 ずっと一緒だって。


「結婚しよう」

「う、……ん?」


 え?


 は?


 け?


「まだ知り合って一年も経ってないけど」

「そう、だね」


 早いよね。

 たぶん。


「でも、お前以外は考えられないから」


 ……。


 不意打ちだ。

 そんなの。


 そんなこと言われたら、私の答えなんてひとつしかないのに。


「うん」


 私は小さく頷いた。


 今夜来たのが、海岸でよかった。

 この暗さが、きっと隠してくれる。


 赤くなった顔も。

 涙も。


 嬉し泣きって、本当にあると思わなかった。


 知らなかったよ。

 嬉しすぎると勝手に涙が溢れてくるんだね。


 隠してたつもりの涙は、あっという間に君に見つかった。

 どんなにここが暗くても、この至近距離では隠せるはずがなかった。


 私は伸びてきた腕に、そのまま包まれる。

 今度は宵闇じゃなく、君が隠してくれた。


「出張なんて、行きたくねぇな」


 私の涙が止まった頃、君がぽつりと呟いた。

 子どもみたいな言い方に、私はくすりと笑う。


「なに言ってんの」

「さっさと片付けて、すぐ帰ってくる」

「……うん」


 明日も、明後日も、明々後日も。

 君は海外出張の予定。


 知ってたけど明日からの予定を聞いたのは、私の意地悪だった。


「俺、ここの海好きだな」

「私も」


 でも、その意地悪に対して返ってきたのは、永遠の約束。


「ここで待ってて」

「うん、待ってる」


 君の背中に腕を回す。

 君が、どことなく寂しそうに見えたから。


「じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 待ってるね、ともう一度言ったら、君はキスしてくれた。

 君の帰る場所になれたことが、嬉しかった。


 何度でも、ただいまと言って。

 何度でも、おかえりと返したいから。


 でも、今日は、ずっと一緒にいよう。

 明日から、君は出張だから。




 そして、翌日。

 君は笑顔で旅立った。

 私も笑顔で見送った。


 あの後、部屋に戻ってから、君がおもむろに取り出した指輪。

 シンプルで細身のそれは、今は私の左手の薬指にしっかりと収まっている。


 私は何度も何度もそれを見ては、緩む頬を必死に引き締めるのだった。






 今が本当に幸せで、ずっと続きますようにってそっと祈った。


 それが不幸なことであるなんて、思いもよらなかった。

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