友達は花火の中で
その後からの数日間。
正直に言うとあたしはまるで抜け殻のように過ごしていた。
あんなことを体験したっていうのに、意外にもその後の日々は平穏そのもので。
あのバケモノと遭遇することもオッドんと町中でばったり出会うこともなかった。
だから、何度も『あれは夢だったんだ』って思い込もうとした。
夏休みも後半に差し掛かったところで、その日は花火大会があるってことでクラスメイトに誘われて遊びに来ていた。
ホントはそんな気分じゃなかったんだけど、その子の母親が浴衣を着せてくれるって言うから、それだけの理由で行った。
「すっごい人混みじゃん」
「そりゃ町の一大イベントですから」
「ほらあっちにわたあめあるって!」
沢山の人の波の中で、あたしは無意識に誰かの人影を探す。
そこにいるわけなんかないはずなのに、もしかしたらいるんじゃないか。なんて期待を持ってしまっていて。
そんなことをしていたら、人混みの向こうでケモノの顔をしたソレを見つけた。
一瞬で全身から血の気が引いていく。この間の恐怖が、脳裏に蘇ってしまう。
あたしがそんな動揺をしている間に、ソレは人混みの奥へと消えて行ってしまった。
恐怖で凍り付いてしまう身体。
が、あたしは思わず、力いっぱい自分の太ももを叩いた。
「何々っ!? 急にどうしたの!!?」
「蚊がいたから倒した!」
突然の行動に驚くクラスメイトを後目に、あたしは無理やり奮い立たせた足でそのままソレを追いかけた。
「え、ちょっと咲寿もうすぐ花火上がるって!」
「かゆみ止め塗りに行ってくるだけだから!」
「もう~、場所取っとくから直ぐ戻って来てね~」
クラスメイトのそんな言葉も最後まで聞かず。
あたしは人混みの中へと駆けていった。
このとき、正直あたしは何にも考えてはいなかった。追いかけてどうしようとか、ソレがあんなに怖かったことなんか。その後のことなんて何にも考えず、無我夢中だった。
すると、ある程度人混みが空いてきたところ―――町の商店街大通りを抜けた先であたしは足を止めた。
人混みを掻き分けてまで、必死になってまで追いかけていたソレ―――バケモノなんかじゃなく。
肩車をされていた子供のゴリラのお面だったことに気付いたからだ。
「あーもう…バッカみたい…そもそもホントにバケモノだったらどうしてたのさ」
もしも本当にバケモノだったなら、また彼に会えるかもしれない。
そんな淡い期待をしていた自分のバカバカしさに、あたしは思わず鼻で笑う。
と、そのときだった。
―――ドン。
と、大きい音と衝撃があたしの頭上で轟いた。
慌てて振り返った先では、大きくてキレイな花火が上がっていた。
ちゃんとした位置で見ていたならばもっとすごくキレイだったことだろうに。
「……花火って、ファンタジー世界にもあるのかな…」
ふとそんなことを呟きながら、あたしははぐれてしまったクラスメイトと合流するべく、ポシェットからスマホを取り出そうとした。
「あ……」
そこであたしは、商店街通りの横断歩道の向こう側で。どの客よりも物酷く驚いた顔をしている人物を見つけた。
その人はまるで花火を生まれて初めて見たかのような、まるで何かの襲撃と勘違いをしたんじゃないかってくらいの驚き方をしていて。
周囲から浮いていたその表情が、より一層とあたしの目にその人を焼きつかせた。
「オッドん……」
「花濱、咲寿っ……」
その人―――オッドんもあたしに気付いたようで、彼の表情は驚愕のものから『しまった』という苦い顔へと変わって。
あたしが何か言うよりも、動き出すよりも早く。
オッドんはあたしの目の前から逃げ出していった。
「待ってッ!!」
慌ててあたしは彼の後ろ姿を見失わないよう、追いかけた。
オッドんを追いかけてからあたしは、ようやく自分が慣れない浴衣と草履であることに気付いた。
走り難さに戸惑いながらも、それでもあたしは何度かオッドんの名前を叫びながら必死に追いかけていた。
「オッドん、待ってってば―――!!?」
と、その直後だった。
「いっ、たぁ!!!」
足の指先に激痛が走る。
思わず蹲って足元を確認すると、足親指と人差し指の間の付け根が真っ赤になって擦れていた。
不慣れな履物でこんなにも走ったんだもの。痛くなるのも無理はない。
それでもこんな理由で見失うわけにはいかない。なんなら草履を脱ぎ捨てて裸足で走ればいい。そう思ってあたしは顔を上げた。
「―――怪我をしたのか…?」
するとそこには、心配そうに屈み込んでまであたしを見つめるオッドんの姿があった。
「オッドんが逃げるからだよ…」
あたしはオッドんを絶対に逃がさないよう、腕をがっちりと握りながらその場に座り込んだ。
「逃げていたわけでは…」
そう言って視線を逸らすオッドん。
「そだね、先に逃げたのはあたしだ。あたしってばいっつもそう…後先考えないで行動しちゃうくせに、自分が傷つくってわかるといっつも尻すぼんじゃう」
夏の夜空に上がり続ける花火の音で、あたしの言葉は彼に届いてないかもしれない。それでもあたしは続けて喋る。
「どっかで一歩引いちゃうんだよね。だから一緒にいるクラスの女子たちのことも…否定されたら怖いからって未だに≪友達≫って呼べてなくってさ。可笑しいんだ、あたしって」
道路の真ん中で座り込んで俯いて。酷く情けない姿を晒していて。
そんなあたしをオッドんは黙って見つめている。
顔を合わせてはいないけれど、その視線だけは痛いくらいに感じていた。
「けれど、これは一歩引いちゃいけない気がしたんだ。だからオッドんには言わなくちゃって…誤魔化したり逃げたりしないでちゃんと言って正面きってやろうって思ったんだ!」
今度は花火の轟音に負けないくらいの声で叫びながら、あたしはオッドんと顔を合わせた。
花火にも負けないくらいキレイな彼の双眸を見つめながら、あたしは言った。
「あたしはオッドんがバカみたいな冗談言う奴じゃないって誰よりも知ってる! あたしはオッドんの言葉信じるよ! だって…あたしたち……と、友達じゃん……!」
オッドんの秘密を聞いたあの夜から、ずっとずっと頭から離れなかったのはあのバケモノに対しての恐怖なんかじゃなかった。
あのときオッドんが見せた、無理やりに笑った寂しげなあの顔ばっかりだった。
高校二年生になりたての、彼と知り合う前のあたしだったらそんなことでこんなに苦しむことはなかっただろう。
けど今はもう、あの教室から、あの毎日からオッドんがいなくなるって方が無理だった。
あたしにとっては考えられないくらいの恐怖になっていた。
「もう、一線…越えさせられちゃったんだから……だから、責任持ってあたしをオッドんのファンタジーに巻き込んでよ…!」
叫んだ勢いで涙が込み上げてきた。
一度流れ落ちた涙は次から次へととめどなく溢れ出てしまう。
懸命に浴衣の袖で涙を拭うあたしへ、オッドんは急いでハンカチを手渡してきた。
「公衆の面前で語弊のあるような言い方をするな…」
焦ったような彼の顔は、これまで見たことのない顔だった。
その嬉しさに、あたしは思わず泣きながらも笑みを浮かべた。