秘密は非現実で
「―――信じて貰えないだろうが…」
「手の込んだホロライブとか…そういうんじゃ、ないの…?」
暫くして、あたしの目の前にオッドんが戻ってきた。
いつも通りの彼に見えるけれど、黒い液体に汚れたその姿が何だか怖くて。
立ち尽くしているそんなオッドんは、まるであたしの知るオッドんじゃないみたいだった。
「…話すだけ話してみてよ。笑うか馬鹿にするかはそれで決めるから」
オッドんは暫く沈黙していたけれど、おもむろに動き出すとあたしの前で片膝をつける。
どうしたのかと思っていると、彼はあたしの腕に触れた。怪我をして流血していたその腕に。
「―――淑やかなる月の精霊よ、その光にて彼の者を癒し給え」
そう言った直後、あたしの腕の血はみるみるうちに蒸発していき、その傷口は見事に消えていった。
少しだけ痛みは残っているものの、それはまるで怪我をする前の腕に戻ったような、何の怪我もしていなかったかのような状態だった。
「なにこれ、マジック…?」
そんな質問を投げかけたあたしに、オッドんは穏やかに笑いながら言った。
「これは…お前の国の言い方でするならば『呪い』と言ったところか」
「おまじない? いたいのいたいのとんでいけー、みたいな…?」
座り込んでいたあたしの手を掴み上げて起こしてくれると、オッドんとあたしは近くのベンチへと場所を移した。
オッドんの話では、さっきのバケモノたちはもう姿を現さないということだった。
「―――俺は……元々は、ここではない世界で勇者をしていた」
「勇者って…ファンタジーのアレ? あ、じゃあもしかして異世界転生とかってやつ?」
なんて、冗談半分で言ってみたら。それが正解だったらしくオッドんは否定しなかった。
ベンチに座るあたしを横切り、彼は近くにあった自販機にお金を入れる。
「こんな機械もこの世界に転生して初めて知って驚いたものだ」
苦笑交じりにそう言うと手慣れた様子でボタンを押して、二人分のペットボトルが取り出し口へと落ちていく。
「かいつまんで説明するならば、元々の世界で俺は勇者として魔王討伐をしていた。そしてこの命と引き換えに魔王を何とか討ち果たした…が、死に際に魔王は自身を贄として、ある呪いを俺にかけた」
それは『勇者と魔王の魂が同じ世界、同じときに再び転生し、再び戦い続ける』というものだったらしい。
ペットボトルの一つをあたしに手渡して、オッドんは説明を続ける。
「俺には転生前…勇者と呼ばれていた頃の記憶と能力が引き継がれている。だがそれは同じくこの異世界に転生した魔王も同じでな。それで奴は先ほど遭遇したような魔物を召喚してはけしかけて、俺との再戦を望んでいるというわけだ」
この蒸し暑い夜をあんだけ走っていて喉はカラカラだっていうのに、渡されたお茶が一口も飲めなかった。
それは向かいに立つオッドんも同じだったようで、顎下にまで汗が滴り落ちているっていうのにペットボトルのお茶は手に持ったままでいた。
「な、なんていうかさ…相談とか、したの? この世界の両親…は、いないんだっけ? じゃあ周りの人、とか…」
ちょっと卑怯な言い方をしたような気がした。
せっかくオッドんは非現実的な話を真剣な顔でしているっていうのに、あたしは冷静に現実へ戻そうとしているから。
案の定、オッドんは苦しそうな顔で言った。
「この世界での両親は…事故で亡くなってな。今は母方の親戚の世話になっている。だが、至って普通の家族だ。そもそも、話してどうにかなるものじゃないだろう。現にお前も受け入れきれていないのだから…」
その言葉はあたしの心臓を抉るようだった。
あたしも、無意識にきっと苦しい顔をしていたと思う。
「あの…あたし…」
自分から責めるようにして尋ねたくせに、結局は全然話が理解出来ていなかった。全然状況が呑み込めていなかった。
さっき出会ったバケモノが造り物なんかじゃないってことは、物凄く怖いものだってことは解っているけども。
でも、どうしてもオッドんの言葉がフィクションにしか聞こえなくて。
とにかく、あたしの頭はもうパンク寸前だった。
「―――なんて…そういう冗談だ。今のはマジックの類か悪夢かだと思ってくれ。忘れてくれ。頼む」
そう言って笑うとオッドんはあたしを置いて、何処かへと歩き出していった。
「ま、待ってよ!」
「こういう可笑しな奴なんだ、俺は。だからもう俺には関わるな。俺も…もうお前には関わらない」
オッドんはそう言い残して、その背中はまるで逃げるように闇の向こうへと消えて行ってしまった。
ううん、違う。逃げたのはあたしの方だ。
せっかく話してくれたオッドんの秘密から、あたしは現実的な言葉で、パンク寸前なんて言葉で、逃げてしまったんだ。
あたしは、オッドんのことを誰よりも知っていると勝手に思っていた。
クラスメイトの誰よりも秘密を共有している。わかってあげている。なんて思い込んでいた。思い上がっていた。
けれど結局、あたしは何にも知らなかった、何にも信じてあげられなかった。
ただの一クラスメイトでしかなかった。
関わるな。ってことは、これでもう彼とのなんちゃって友達関係は終わっても良いってことなのかな。
「ははっ…別にそれならそれでいいじゃん……来るもの拒まずだったじゃん、あたしって」
もうこんな時間に彼を探す必要なんかない。
もう学校でも無理やり絡んであげて、用事を押し付けなくていい。
もう、話しかける理由なんてない。
そう思ったとき。
あたしの目頭はこの真夏の暑さに負けないくらい熱くなった。