第三十二話「技術の応用と好奇心」
十代後半ほどのこの男は、アリシアからほんのわずかだけ神の力を与えられた神器の卵、アレス・ロンドである。
ヴェンデルが神術で世界を書き換えたのちにアテネの弟分として創り出された。
そのためアテネたちの過去は話で聞かされている範囲でしか知らない。
「アレスか。すまないが姉を落ち着かせてくれ」
「無理な相談です。俺はまだ目醒める前だったので、あなたことをあまり知りませんけど……姉さんがあなたを敵とするなら、俺にとっても敵です。姉さんを捨てるような奴らなんか、消えてしまえばいい」
アレスはヴェンデルの頼みを断り、マルテに向かって強力な水の魔術を撃ち放った。
マルテは結界で防ぐが、彼の術を押さえきれずに後方に吹っ飛ばされる。
「アレス、あの眷属は任せたよ」
「分かった……姉さん、無理しすぎないでね」
姉が気がかりながらも、アレスはマルテの元へと向かった。
一対一となるが、ヴェンデルは特にマルテを心配する様子はなく平静を保っている。
「やけに平然としてるね。疑似魂に変えてるのかもしれないけど。このままじゃあの眷属、泣き叫んで死ぬことになるよ」
アレスは基本的に、戦うことを面倒に思っている。
相手が死なないように魔力調整して加減しながら、着実に痛みを負わせて降参させる戦い方を取っていた。
そうすることで、もう二度と自分と戦うことがないように恐怖を植え付け、戦力の格差を自覚させているのである。
しかしヴェンデルはフッと笑って、困ったように眉を下げた。
「そりゃ、最適な相手が当たったな。まあ、アレスにとっては最悪かもしれないが」
「はあ? なに言ってんのアンタ。眷属が心配じゃないわけ?」
「仮に危ないと判断してたら真っ先にマルテの援護にいってるさ。心配ではあるが、アイツなら大丈夫だって信じてるからな」
ヴェンデルは柔らかい笑みを浮かべる。その表情にアテネは驚いて目を見開いた。
そして、唇を噛んで拳を握る。
「ぽっと出の人間の方が信じられるって言うの……こんな世界なんか、壊れてしまえばいい。私たちは捨てられて、元人間のあんな虫ケラがアンタの家族になってるなんて、絶対あり得ないんだから! 全部潰してやる!!」
アテネが手を上に掲げ、ヴェンデルの目の前に勇者が召喚される。
勇者が拳を振るい、同時に聖剣が光を放って魔術を発動させた。
ヴェンデルは飛行して勇者の攻撃を避け、炎の魔術で聖剣の術を相殺する。
アテネは手元に通常サイズの聖剣を生成して斬りかかった。
ヴェンデルも剣を出して攻撃を受け止め薙ぎ払う。
アテネと勇者、聖剣の三体からの攻撃を転移と飛行で回避し続ける。
聖剣の術が発動する瞬間、ヴェンデルが勇者の懐に入り込んだ。
聖剣の電撃魔術が勇者を穿ち、核の結晶を破壊する。
アテネは引き下がることなく神術の陣に神力を流して勇者を召喚し続け、終わりの見えない戦いが始まった。
ヴェンデルたちの戦いで起こる轟音を背に、アレスは飛行しながら前の建物を見おろす。
破壊された壁にマルテが背を預けて倒れていた。
彼女と一対一になってから、アレスは攻撃の隙も与えず魔術を連射していた。
しかもその陣には、別の陣が組み込まれている。
結界に注がれた魔力を分解して結界を消し去る特殊な術である。
マルテは結界があれば攻撃を完全に防げると油断してしまい、分解されてとっさに反応できず術が直撃してしまっていた。
そのうえ術を複合させる戦い方など見たことがない。
術のいくつかは回避できたが、何発もまともに攻撃を食らっていた。
身体中、頭からも血が流れ、右腕が消し飛ばされて左わき腹に穴を穿たれている。
咳と共に血を吐き出し、ゆっくり体を起こす。
血の流れる右肩に手を当て、治癒魔術を発動させながら立ち上がった。
下を向いて表情はうかがえないが、ふらついており辛そうに荒く息を吐く。
「完全な神器じゃないとはいえ、俺の魔力量は神器並みにつくられているんだ。ただの眷属ごときが勝てるわけないよ。大人しく降参するならこれ以上は攻撃しない、けど……」
マルテが顔を上げ、見えた表情にアレスは唖然として言葉が止まる。
彼女の顔には、笑みが浮かんでいたのである。
頭から流れた血が上がった口角を濡らし、道を変えて顎下へと伝っていく。
血と同じ赤い目には喜の色が輝いていた。
「なんで笑って……」
「あはは、すみません。だってなんだか懐かしくて。死にそうだなって思うと、こう、俄然やる気が湧いてくるというか。強いなー、面白いなー、勝ちたいなーってなるというか」
「は、はあ? 面白い……? なにを言っているんだアンタは。怖くないのかよ」
相手の反応が心底理解できずアレスは困惑していた。
マルテは腹と腕の治癒が完了し、再生した右手を顎にやって少し考える。
「まあ恐怖がゼロとは言いませんけど、あまり怖くはないですね。むしろ楽しい。だって前はこれが……普通だったから」
マルテは顎にやっていた手を前へ伸ばす。
瞬間、陣が発現され一秒の間もなく氷の魔術が猛スピードで射出された。
アレスがとっさに結界を張る。
しかし氷の魔術が結界の魔力を分解して打ち破り、彼の腕を貫いた。
「なるほど、こうやって陣を二つに結合して術も複合させるんですね。なかなか難しいですが便利ですね」
「お前っ……こんな短時間でどうやって」
マルテはアレスに倣って結界の魔力解除の術を複合させて放ったのである。
結界魔力分解術と複合魔術、彼女はこの戦いで初めて見たものをこの短時間で二つも会得していた。
「簡単ですよ。術を受けた時に結界の魔力分解を目視で確認して、分解の過程と原理、複合陣の構成を分析するだけですから。数をこなせば、その内やり方に辿りつきます。まあ、方法が分かっても実際に複合魔術を発動するのは難しいですけどね」
「まさか、術の複合を習得するためにわざと術を受けていたのかっ!? そんなことしてたら死ぬのは分かり切っているだろ!」
「ええ。でもあなたの攻撃は当たる場所や威力が、死なないように微調整されている。そして、治癒魔術を発動できる隙をわざと作っていた。あなたに殺す気があまりないと分かっていたので、試してみる価値はあると思って」
マルテは柔らかく微笑んで見せた。
脇腹に風穴が開いていたときも、すぐ術を放っていれば彼女は高確率で死んでいただろう。
それが何度か続いていたため、マルテは彼の攻撃を分析するチャンスだと捉えたらしい。
戦いにおいて、手の内を晒すのはリスクも伴う。
「知らない技を目にした人は、それに対応する策をすぐには考えられない。確かに攻撃を連射すれば相手を押し負かすこともできます。でもその場合、相手の慣れと自分の技術を盗まれる機会を増やしてることになるんですよ」
マルテの足元に再び陣が描かれ、魔力分解の術を組み込んだ攻撃が放たれる。
アレスは奥歯を噛み、結界の防御ではなく飛行回避で彼女の攻撃をやり過ごす。
回避しながら陣を発現させてマルテに光の魔術を放った。
しかし彼女は結界を出そうとはせず動きもしない。
「新しい技術を手にした人の中には、それをもっと有効活用できないかと考える人もいます。結界魔力分解術が『対象の術の魔力を引きはがす』という原理なら」
光魔術が襲い来る中、マルテはそちらへ手を伸ばす。
足元に白い陣が浮かび上がり、アレスの光魔術が消滅してしまった。
「結界以外の術の魔力分解もできちゃいますよね」
一切アレスの魔術に触れることなく、それを消して見せた。
アレスの喉から、驚愕を含んだ短い声がこぼれる。
マルテは笑顔で手元に陣を出し、そこに刻まれた文字群を眺めた。
「術攻撃は消しちゃえば、負傷なく戦えるようになる。わざわざ結界で術を受ける必要なんてなかったんですよ」
「ばかな……そんなものを試すために攻撃を受け続け痛みに耐えるなんて馬鹿げてる!」
「そうですね、端から見れば変わってますよねえ」
マルテがかつての世界で遊んでいたVRMMOでもあったが、ゲームシステムに新しい技術やテクニックが追加されると、本来の目的外で使う人が出てきたりする。
好奇心旺盛なのか、応用して何かできないかという発想になるらしい。
労力も痛みも時間も無駄にするように試行する。
「ほんと、運営側もナーフを考えて対応しなきゃいけないし、対戦型ゲームとなると相当厄介ですよね。次々と変なことしてくるんだから」
アレスが術を放つが全て消し去られてしまう。
こちらは攻撃されるのに、こちらの攻撃は攻撃にすらなれない。
壁に追い込まれ、複数の魔法陣がアレスを取り囲む。
彼が転移術を使うよりも早く、マルテは先ほどよりも多量に魔力を込めて術を撃ち放った。
荒い息を吐きながら、ヴェンデルは目の前の巨大な聖剣の塔を睨む。
アテネを狙おうにも、聖剣と勇者の攻撃に襲われて回避に注力しなければならず攻撃に移れない。
敵を減らすため勇者を攻撃しても、アテネがまた勇者を召喚する。
聖剣の塔は、高威力の術でなければ破壊できない。
破壊し得る強力な術自体はヴェンデルにも発動できるのだが、大量に魔力を消費する上に発動までの時間が長すぎて、その間にアテネと勇者に攻撃されてしまう。
有効打が与えられないままで、大きな傷は負っていないが魔力の消耗が激しく疲労もどんどん蓄積していた。
アテネは空中に浮遊し、蔑んだ目でヴェンデルを見おろす。
「いい加減に諦めたら? 応援を呼んだとしても、勇者はいくらでも出せるからアンタたちに勝ち目はない。あの眷属だって今頃死んで」
彼女の言葉をかき消すように、大きな音と共に何かが横から飛んできて地面に落下し土煙をまく。
煙が流され、アレスが地面に倒れて気を失っているのが見えてアテネは目を見開いた。
「な、なんで。たかが眷属ごときに……」
マルテが上空からヴェンデルの元へと降り立つ。
ヴェンデルは彼女に作戦を耳打ちした。
「マルテ、ブレスレットを外せ」
「え、でも」
「大丈夫だ。ここなら壊れる物もない」
マルテは少し不安そうにしてうなずき、腕に着けていた魔力制御のブレスレットを外す。
聖剣の塔へ手を向け、地面に白い魔法陣を展開した。
狙いが塔だと分かったアテネは口角を上げる。
「アンタにこの聖剣が壊せるわけないでしょ。目障りなネズミね。今すぐ消してあげるわ」
アテネも術を発動させるため陣を展開する。
彼女の態度を見てヴェンデルは小さくため息をついた。
「アテネ。お前は悪癖がまだ直っていないらしいな。相手を下に見て油断をしていると、死ぬぞ」
「はあ? なに言って……ッ!」
マルテが陣に追加で魔力を注ぎ、強く光を放った。
その莫大な魔力を感知してアテネの頬に痺れが生まれる。
「我、主たる神器ヴェンデルの血に従い、眼前の敵を食らう牙と化す。穿て、聖縁の光弾! パニシメント・ドライヴ!」
マルテの陣に重なる形で巨大な白い魔法陣が地面を覆い尽くす。
直後、アテネと勇者、聖剣の塔の下から、莫大な魔力を孕んだ光線が天へと突き上がってきた。
「ッ!!」
アテネはとっさに回避するが、避けきれず左手を肩ごと消し飛ばされてしまった。
血が流れて痛みに顔をしかめる。
持っていた聖剣を捨て、片手で左肩があった場所を抑えて治癒魔術を発動させる。
眩しい光線の中で勇者も、巨大な聖剣の塔すらも破壊されてチリも残らず消え去ってしまった。
「な、なんなの、この魔力量……こんなの、マグスでも出せないんじゃ……」
アテネは呆気に取られていた。
今の術に込められた魔力量は、概算で測定しただけでも神器の出し得る量を超えている。
術が終わり、マルテはヴェンデルと共に飛行してアテネの前までくる。
手を前に出し、いつでも攻撃できる姿勢を見せて牽制した。
「さて、こいつは今みたいなのを連射できるみたいだが……まだ続けるか?」
ヴェンデルに問われてアテネは眉を寄せ、はっきりと大きく舌打ちをする。
「チッ……端からそれを出しておけばいいのに悪趣味ね」
「お前相手になるべく実力行使はしたくなかったんだよ」
「昔は、問答無用で世界を書き換えたくせに。分かったわよ。降参するわ」
アテネは大きくため息をつき、右手を上に挙げて降伏した。




