第三十一話「消された居場所」
アリシアは神術の陣を見て眉を寄せる。
しかし特に攻撃して止めるようなことはなく、冷静にヴェンデルを見据えていた。
『その術は応急処置にしかならないよ。臭いものに蓋をしたところで、また同じことを繰り返すだけ。私が今ここにいる醜い人たちを受け入れることは、もうないの』
『お前と俺が刻んだこの世界の全ての軌跡を、全て改変する。歴史と環境、世界と神への認知が変われば人も変わるかもしれない。あとこれは、まあついで程度だが、争いの起きない世界にできれば俺への非難もなくなるだろ。アリシアの理想の世界に近づけるはずだ』
代償はあるものの、デウス・エクス・マキナを使えば思うがまま世界を改変できてしまう。
同じ世界の作り替えとはいえ、アリシアの世界白紙化と違い血を流すことなく終わらせられる。
ただし、争いのない世界を維持し続けられるかどうかは別である。
多くの人々が共生していく中でこれから先、絶対に争いが起きないとは言い切れない。
人の間で争いが起きてしまった場合、ヴェンデルは一人で責任を負おうとしていた。
しかしそれをアリシアに伝えてしまえば反対されると分かっていたため、その先に起こり得る可能性を隠した。
『セシルたち神器はお前から引き剥がす。今までの思い出があるから、五人とも俺とアリシア双方の味方になろうと苦悩していた。そのせいで派閥が生まれてしまっている。七人で過ごしてきた思い出がなくなれば、俺への情なんて消えてアリシアを神として崇めるようになる。全員がアリシアの味方をして、仲間内で対立するようなこともなくなるはずだ』
『! ふ、ふざけるな! そんなことしなくたってアンタが意地張らなきゃいいだけの話でしょ!』
ヴェンデルの言葉を聞いてアテネは険を浮かべて反対する。
マグスとセシルも納得はできていないようだが、それしか方法がないのかもしれないと口をつぐんだ。
『ヴェンデル、そんなことをしたらあなたが独りになってしまいますよ』
『一人でも何なりやっていけるだろう。大丈夫だ。お前らに負担がいかないように全ての責任は俺が取る』
『……それが君の望みなら、僕は君に従うよ』
『すまない。アテネたちを頼む』
マグスがため息をついてヴェンデルのもとに来る。
ヴェンデルはマグスとセシルに託し、手を前に出した。
『神器ヴェンデルの名に置いて、世界を鎮める神となれ』
『ダメ! 待ってッ!! 止めて!! あなたたちは、私たちの居場所なの!』
ヴェンデルの足元に陣に神力が注がれて強く光を放つ。
アテネは止めようと炎の術を放つが、そばにいたセシルとマグスが結界で防いだ。
二人はヴェンデルを守るように彼の前に出る。
ニノスとヘルは特に止めようとはせず、アリシアも動かずに黙って見ていた。
(ヴェンデル。君は、あんな人々のために自分の大事な記憶を捨ててしまうんだね)
自分が与えた神の力を肌で感じ、ヴェンデルを冷めた目で見おろす。
『デウス・エクス・マキナ!!』
ヴェンデルの詠唱を最後に、その場にいる全員の意識が遮断される。
現在軸で記憶を見ているマルテたちの前も真っ白な景色に変わった。
再び記憶の景色が戻って来て、過去のアテネの意識が再起する。
聖剣ノ塔で目覚めた彼女は、ヴェンデル以外の神器を訪ねて回った。
しかし全員、アリシアとヴェンデルとの対立を覚えていなかった。
それどころか、
『アリシア、様? セシル、何でそんな仰々しい呼び方……いつも呼び捨てだったじゃん』
『何を言っているんですか? 神を呼び捨てにするなんて有り得ないでしょう?』
アテネ以外の神器は皆、かつてアリシアと暮らしていた頃の記憶を失っていた。
『ど、どうしたの皆。アリシアと皆で一緒に下界の飛行魔術レースに行ったでしょ! そうだ、証拠! 八月のブルムデルク新聞に取り上げられてたじゃん!』
アテネが術で新聞を出す。
氷中都市シェードのブルムデルク地区の新聞で、そこには一面に大きくアテネたちの写真が載っていた。
飛行魔術で速さを競う大会のようで、「六神器と神アテネが参戦」と書かれている。
ヘルはそれを見て呆れた表情を浮かべる。
『あー、それ確かアレだろ。偽物の六神器が俺たちを騙って勝手に遊んでたやつだろ』
『に、偽物……? なに言って』
『アテネもそんな子供のイタズラみたいなの信じてないで、聖剣ノ塔の管理ちゃんとしなよ。もう何年整備してないのさ』
『は、はあ? いや私、昨日も巡回してちゃんと管理してるし』
ニノスに指摘されて不満を放つが、ヘルたちは信用していない様子である。
『神様から与えられた仕事サボるなよ』
『神様って……私たちにとってあの人は家ぞ』
『アテネ』
家族、と言おうとしたがセシルが言葉を遮った。
彼女の表情にアテネは目を見開く。
いつも冷静なセシルの赤い目が怒りを帯びており、鋭くアテネを見据えていた。
空気が凍てつき、冷たい風がアテネの肌を突き刺す。
『戯言もいい加減にしてください。私たちにとって、アリシア様は崇高な神なんですよ』
『なんで、そんな。私たちは、たった一つの……』
言葉が終わる前に周囲が白くなり、記憶の景色が消えて元の聖剣の前に戻る。
過去を見たセシルは驚愕し、呆然として言葉を失っていた。
その隣でアテネはうつむいて拳を握る。
「私とヴェンデルを以外、神器は皆で暮らしていたことを誰も覚えていなかった。コイツは、コイツは……私たちの思いでも居場所も奪ったのよ」
アテネが顔を上げて憎悪のこもった碧眼でヴェンデルを睨み、指をさした。
「ヴェンデル、どういう……」
セシルは戸惑ってヴェンデルへ視線を向ける。
今まで彼女たちは、神とは一切会話も接触もできないと思っていた。
それがこの世界の摂理だと信じていた。
しかしその事象自体が捻じ曲げられたものだったのである。
「アテネの記憶が残ったままなのは想定外だったが……争いに目覚めた人々を変えるには、アリシアを説得するには、ああするしかなかった」
ヴェンデルの返答にアテネは眉を寄せて奥歯を噛む。
「世界安寧への道が私たちとの関りを断絶することだったなら、記憶の抹消が最適解だと判断したなら……私はあなたを許さない。私たちの大切にしてきた居場所を消したアンタを、絶対に許さない!」
「今まで、お前たちは俺やアリシアとの距離が近すぎたんだ。アリシアと俺との対立でお前たちの仲を引き裂くくらいなら、端から近しい存在でなければ一喜一憂することもない」
ヴェンデルがアリシアの敵対者となって、人の不満を一挙に引き受ける。
同じように、神器五人で手を合わせてヴェンデルを悪とする筋書きなら誰も傷つかない。
そう彼は思っているのである。
「アリシアが介入してきて、今じゃセシルもマグスも俺への敵対心がなくなっているみたいだがな」
「何が、一挙に引き受けるだ……アンタは何もわかってない。神だけじゃなくて、私たちがどれだけアンタを慕っていたか。アンタが思う以上に、大事だったんだよ。返せ……私の居場所を返せ!!」
アテネは空中に浮遊して手を横に出す。
彼女の背後に巨大な金色の陣が出現する。
「おい止めろ!!」
「アテネ!!」
「神器アテネの名に置いて、この世を鎮める轍となれ――エインヘリアル!!」
ヴェンデルとセシルの制止も聞かず、アテネは神術を発動させた。
地響きが起こり、聖剣ノ塔の結界内に戦士や勇者たちが大量発生する。
少し離れた後方で、会員たちが列車から出て勇者たちを迎え撃つ。
事前に立てた作戦通り、アスティとレドッグが指揮を取っていた。
マギアとファンファニフが前線の主戦力、アスティを防衛の要とし、レドッグが後衛で全体のサポートに回る。
ヴェンデルはマギアとセシルを含め、会員全員に個別の結界を張った。
勇者の術で破壊されないよう、結界には大量の魔力が注がれている。
勇者の魔術が発動されて轟音を立てるなか、ヴェンデルはセシルへ目を移した。
「セシル、お前は勇者たちの相手をしてくれ。まだ暴走後から魔力が完全に戻ってないだろ。ここは俺とマルテで何とかする」
「でもっ」
「お前は、アテネと本気で戦えるのか」
「ッ……わかり、ました。何かあればすぐに駆け付けます」
セシルはヴェンデルに問われて反論できず唇を噛む。
一度アテネの方へ視線を向け、その場から離れて会員たちの元へ向かった。
「戦力になる神器を勇者討伐に送るなんて、ずいぶん舐められたものだね。確かに勇者も大変だとは思うけど、大丈夫なの? 私相手に、眷属と二人なんて。神器の血を受けた者とは言え、眷属の力はたかが知れてる。大した力もないのに、お荷物になるだけでしょ」
「どうだろうな。お前が手加減してくれれば大丈夫だとは思うが」
遠方から勇者の魔術がこちらにまで飛んできて、ヴェンデルは結界で勇者の術を弾く。
「手加減なんて、するわけないでしょ!!」
アテネが手を上にかざすと、巨大な聖剣が上へと動き出した。
聖剣の動きに合わせて地面が大きく揺れる。
アテネは聖剣に魔力を注ぎ込み、それに呼応して聖剣に魔法術式が刻まれヴェンデルに向かって大量の魔術が放たれた。
ヴェンデルはマルテも含めた範囲で結界を張って受け止める。
何発も術が結界にぶつかって大きな音を立てた。
アテネは二人のいる場所を見おろす。
土煙が広がって二人の様子が明確に分からなくなったが、煙の中から電撃が放たれた。
アテネは鼻で笑い、手を払って簡単に術をかき消す。
「こんな術で私に傷をつけられるとでも……」
背後から強い魔力反応を察知して目を見開き、慌てて後ろを振り向く。
そこにはマルテがいて、突き出した手のひらで白の魔法陣が眩しく輝いていた。
直後、魔力砲がアテネに放たれる。
爆音が鳴り響き白煙が立ち上がった。
風に押されて煙が晴れ、マルテは目を見開く。
アテネに傷ひとつなく、彼女の前で男が結界を張って守っていた。
「相変わらず騒がしい人たちだ。今日は変なのも連れているし、頭痛の種が増えそうだ」
金髪を風に散らされ、男は透き通った緑眼でマルテを見据えた。




