第二十九話「アテネ・ロンド」
荒野にそびえる剣は錆や傷、欠けのひとつもなく銀の刃に白雲を映していた。
近づけば近づくほど、その大きさを認識させてくる。
巨大な刀身を覆うように薄い金色の結界が張られていた。
パセリケパークは減速し、ちょうど機体の先端が触れるところで停車する。
先端が触れて結界が波を打ち、彼女たちを受け入れるように一部だけ開いた。
そこから結界内へと入れば、地面を真っ白な石畳が埋め尽くしている。
しかし中には駅がなく建物すら見当たらない。
パセリケパークは大剣から離れた所で停まり、ヴェンデルとマルテ、セシルのみが降車する。
石畳に硬い靴の音を響かせて、三人は大剣の方へと足を進めた。
「剣以外なにもない……」
マルテは辺りを見回して眉を下げた。
人の気配もなく、まるでこの空間自体が死んでいるように思える。
ときおり冷たい風が吹き、奥底からくる不安を煽ってきていた。
「ここはもともと普通の街だったんだが、アテネが全部取り壊したんだ。今は居住スペースというと塔の中くらいだな」
「塔って?」
見える範囲では塔と呼べるものなど一つもない。
マルテが不思議そうにしていると、セシルが前方の大剣を指さした。
「あの聖剣のことですよ」
「え? でもあれって剣ですよね?」
「ああ。剣ではあるんだが、中は塔になっているんだ」
この地区に付けられた名の通り、あの巨大な聖剣は巨大な塔なのである。
剣の中はくり抜かれて、長い階段と広い部屋がいくつか設けられている。
しかしただの変わった形の巨大な建物というわけではない。
アテネであれば、あの巨体を動かすことができ、本来の剣として使うことが可能なのである。
聖剣には複数の魔術が施されていて、剣の中に空洞があっても簡単に壊れることはない。
また、剣自体を抜いて動かしても中の物は動かず部屋も壊れないようになっていた。
「前までは塔にも何人か人が住んでいたので、あまり聖剣自体を抜くことはなかったんですが……今あそこに住んでいるのは、アテネと弟のアレスだけ。もしかしたら抜かれてしまうかもしれませんね」
聖剣自体に莫大な魔力が宿っていて、高威力の魔術を陣の発現なしで瞬時に出すことができる。
アテネは神術が厄介だが、あの聖剣も危険要素だった。
目の前に来て剣を見上げる。近いと上を見ても柄がはっきりと捉えられない。
白銀の刃が太陽光を反射して眩しく輝き、青い空を映す。
しかしその巨大な刀身の中に、金髪の女性が一糸纏わぬ姿で眠っていた。
「え!? け、剣の中に人がッ!」
慌てて剣に近づこうとするマルテを、ヴェンデルが腕を掴んで制止する。
マルテが困惑していると、女性の埋まっている場所が光りだして彼女の身体が剣から押し出された。
二十代前半ほどだろうか。
長い金髪が風に揺れ、陽の光を受けて煌めく。
まぶたを閉じたまま、露出した肌もそのままに三人の前に降下してきた。
ヴェンデルは少し呆れた表情で、気まずそうに顔を背ける。
セシルも小さくため息をつき、ヴェンデルの前に来て女性を直視できないようにしていた。
「まったく誰だよ。気持ちよく寝てたのに……」
女性は開口一番、面倒くさそうに声を吐き出した。
アテネ・ロンド、この聖剣ノ塔を管理する神器である。
アテネは爪先からゆっくりと地に降り立ち、大きなため息を出してまぶたを開く。
綺麗な碧眼が姿を見せ、ヴェンデルを捉えた瞬間に冷めた視線に様変わりした。
「……なんだ、オッサンまだ生きてたのかよ。もう歳だろ。腰の骨、大丈夫なのかアンタ」
「残念ながらな。今日はずいぶんと落ち着いているな。いつもなら刃物の一つや二つ歓迎品が飛んでくるところだが」
「セシルに当たったら危ないから。アンタ一人だけだったら今頃は串刺しにしてるし」
セシルに視線を向けるが、彼女は何やら眉を寄せていてアテネは少し驚く。
「え、なんか怒ってる?」
「大事な友達が真っ裸で外に出てきたら呆れるでしょう。まったく、また服着ずに剣に入ったんですか? ちゃんと服着なさい」
セシルは少し拗ねた様子でアテネのそばに来て彼女の身体を隠す。
術を使い彼女に強制的に服を着せた。
「ご、ごめんて。分かってるけど、剣の中に入ったら服が劣化して外出た時に消滅しちゃうからもったいないじゃん。ここ私とアレス以外ヒトいないから良いかなって」
「良くないです」
セシルはため息をついてアテネの頬を軽く引っ張る。
アテネは情けない声を出して「ごめんってー」と笑っていた。
二人の様子にマルテは拍子抜けしてしまう。
ヴェンデルとアテネは険悪な仲で、周りもかなり警戒していた。
マルテにとっては、こうしてアテネが楽しそうにしているのは予想外だった。
戸惑っている彼女にヴェンデルが声をかける。
「アイツは基本的に俺以外には、素直な奴なんだよ」
「そうなん、ですか……あ、ならヴェンデルさん以外の人が説得すれば味方になってくれるんじゃないですか?」
「……いや、それはどうだろうな」
二人が話しているのを耳にして、改めてアテネの関心がマルテへ向けられる。
彼女へ視線を送り、アテネは顔に少し険を浮かべた。
「久しぶりに声をかけてきたと思ったら、変なのを連れてるね、ヴェンデル。見た目は魔族なのに真性の魔族じゃない……元人間か。この間マグスが言ってた眷属ってそいつのことなんだ」
「信心深いお前のことだ、神の創造物に手を加える行為だから思うところはあるだろ。だがこいつは俺と同じ異界から来た奴で自我もある。あのままだと人間のバケモノとして皆に襲われて、強烈な痛みを持って殺されてしまうから眷属にした」
ヴェンデルは守るようにマルテの前に出て彼女を背中に隠す。
その行動にアテネは眉を寄せた。
「……なるほど。同郷のよしみで見捨てられずに助けたってことか」
「正確に言えば同郷ではないんだが、何かあれば俺が制御できるから人間と違って危険性は少ない。大目に見てくれないか」
アテネは目を伏せ、大きくため息をついた。
「気にならないと言えば嘘になるけど、別に私はそれで狂乱したりはしないよ。それよりも、もっと気になることがあるし」
「どうかしたか」
「……今もそうだけど、ソレ、ずいぶん大事に守ってるんだなと思ってさ」
アテネは碧眼にヴェンデルを映しながら、彼の後ろにいるマルテを指さす。
「まるで、そう妹か娘みたいな……なに? 新しい家族でもつくってるんだ?」
皮肉を込めて煽るようにアテネの声が上ずり、口角が引き上げられる。
少し眉を寄せ、青い目が怒りで濁り始めた。
ヴェンデルは家族と聞いて表情が固くなる。
「マルテはただの眷属で仕事上のパートナーだから庇護してるだけだ。俺は家族を持つことをやめた。俺には必要ない」
「……ふざけんなよ。アリシア様と私たち神器を引き離しておいて……私はまだ、アンタを許してない」
ヴェンデルの返答を聞いてアテネは拳を握る。
その声は小さく震えていたが、確かな恨みをはらんでいた。
「お前、やっぱりあの時の記憶があるのか」
「あの時の記憶……? アテネ。アリシア様と引き離したって、なんのことですか?」
二人が話しているのは神器に関係することのようだが、セシルは思い当たる節がなく怪訝そうにする。
アテネは彼女を守るように手を握り引き寄せた。
「セシルはやっぱり消されてしまったんだね……思い出させてあげる。コイツの、醜い行いを」
手を前に出し、白い魔法陣を展開させる。眩しい光が周囲を埋め尽くし、ヴェンデルたちは顔を手で覆った。
光が収まり手を降ろせば、ヴェンデルたちは草原の中にいた。
しかし幻影のようにして足が透けている。
「ここは……」
セシルは戸惑ったように辺りを見回す。
どこかは分からないが、草に埋め尽くされる中に一つ、細長い白のテーブルが置かれていた。
その周りを同色の椅子が囲み、横面に一つ置かれた椅子には一人の女性が座っている。
十代後半ほど、長い白髪を風に撫でられ、水色の虹彩を手元のグラスに向けていた。
セシルは目を見開き固まってしまう。
「ア……アリシア、様……」
目の前の白髪の女性こそが、この世界の創造神アリシアである。
ヴェンデル以外、触れることも近づくことも、話すことさえできない存在。
誰にも姿を見せず、何百年ぶりかに神を目にして、セシルは感極まって涙をこぼしていた。
「あれが、この世界の神様……」
神アリシアを初めて見たマルテは彼女から目が離せなくなっていた。
関わり合いはないが、どこか心が引きつけられてしまう。
ヴェンデルは少し苦い表情をしてアテネへ視線を向ける。
「ここは記憶の中か」
「そう。古い古い記憶……アンタによって消された、過去の中だよ」
恨み言をいうアテネの声は刺々しいが、アリシアへ向けられる目には温もりが見える。
少し離れた所から女性の声が聞こえてきた。
そちらを見れば少し見た目の若いアテネとセシルがいて、アリシアのもとに駆けよってくる。
『アリシア! 見て見て! 下界の人たちとお菓子つくったの!』
『私もシェードで街の人たちと一緒に氷細工を作ってみました。アリシアが気に入ってくれるといいですが……』
『ふふっ、二人ともありがとう。じゃあお菓子もあることだし、三人でお茶会でもしよっか』
記憶の中のアテネとセシルは、アリシアの手に触れて楽しそうに笑っていた。
そんな三人を目にしてセシルは驚愕する。
「な、なんで……なんで、アリシア様と話せて……」
「セシルたちが知っている現実は、捻じ曲げられたものなんだよ。真実を教えてあげる」
アテネは手を前に出して時を動かし、過去の記憶をヴェンデルたちに流して見せた。




