09:土萩村
「……結構歩きますね」
「バス停は峠の麓かその上にしかないからねえ」
時刻は夜の八時を回っていた。三人が歩く道路ある明かりは、点々と立っている街灯だけで、見通しがいいとはいえ、緩やかな坂道の奥は夜の色と同化していた。
ガードレールの外は、手入れの入る前の雑木林が続いている。鬱蒼と立つ木々の間から、街明かりがちらほらと伺えた。
「んー……」
巳影、切子の後ろを歩いていたししろは、眉を寄せて唸るように息をついていた。
「どうしたんです?」
「夜に来たのは、ちと間違いやったかもな」
「確かに……思った以上に暗いですね」
辺りを見回しても、夜の暗さで道路の輪郭がぼやけて見える。ちゃんと観察するのであれば、もっと強い光源が必要だろう。
「暗いのもあるねんけど……巳影、自分「霊感」はどれぐらいある」
「え。「霊感」、ですか」
立ち止まったししろは、巳影と切子を視界にいれるだけではなく、その左右に広がる暗がりまで警戒の念を飛ばしていた。
「正直、霊感に関しては……普通、です。訓練を受けてない人とあまり変わりません」
「……そこはまあ、しゃあないか」
ししろの視線が、巳影の背後へと移動する。その瞬間、切子が半歩動き、巳影の後ろへと回り込む。
「え……」
背中合わせのようになった切子へ振り返ろうとするが、その頬をししろが強引に掴み、首の向きを固定する。
「見たらあかん」
ししろの声と共に、空気が切り裂かれるような鋭い音が、耳元で聞こえた。
「追い払ったよ」
切子の明るい声が聞こえ、ししろはほっと息をつき、巳影の頬から手を離す。
「な、何があったんです?」
振り返ると、切子の手には一本のナイフが握られている。それはゴムでできたダミーナイフなどではなく、本物の刃を持ったナイフだった。
「憑いてきとったんや。いつの間にかな」
「つ……お、俺にですか?」
慌てて背中や肩を払ってみる。だが特に変化は見られない。
「もうそろそろ、例のカーブミラーが見えてきてもいいやろな。肌で感じる」
坂道を見上げて言うししろ。
「ししろさんは霊感みたいなの、強いんですか?」
「……仕事柄ちょっと、な」
わずかに苦笑を混ぜた横顔からは、それ以上話したくはない、といった壁のようなものを感じた。
「学校出る前に話したこと、覚えとるか。土地柄ってゆうたあの話や」
「あ、はい……」
切子と共に言葉を濁していたことも思い出す。
「この町はな……結構古い歴史を持っとるんや。昔は地図には「土萩村」って表記されるぐらいのな」
「村、ですか……」
ししろが周囲を見渡した。一息ついて、坂道へと歩き出す。ひとまずは安全、ということだろうか。
「それこそ人がちょんまげしとる頃からある村……集落や。せやけど、まあしょっぱい土地でな。土壌が悪いから、ろくな作物は育たん。狩りをしようにも、麓の山におるんは、同じくやせ細った動物しかおらん。村は常に貧困とともにあった」
話しながら歩くししろを先頭に、巳影を挟んで殿を切子が歩いていく。
「せやから、人は何にでも頼る。今ほど科学が発達してなかったはるか昔の時代。人は瀕したら何にすがったか……」
「……信仰、ですか」
歴史の授業でも聞き覚えのある件だった。今ある民間の宗教が生まれたのは、貧困の時代。時勢に感じる不安を、いくつもの教えが混乱を押さえ、宗派を作っていったという。
巳影の想像は当たっていたようで、ししろはこくりと頷く。
「この村にもとうとう神頼みになる時が来た。その指揮をとったんは流れてきた坊さんって話やけど、この辺は記録が曖昧で、ようわかっとらん」
社を立てて、村人たちの祈りを、願いを集中させた。旅の僧侶は三日三晩お教を読み続け、その気迫と真剣さに村人たちの心は、より一層僧侶に信頼をよせた。
「最初の奇跡は、雨やったそうや。もう長いこと降ってなかった恵みの雨が、たちまち乾いた土地を潤し始めた。草木は蘇り、田畑には水が敷かれ、村人たちは心置きなく乾きを癒やした」
聞いていた巳影は昔語りだというのに、妙な気迫を感じていた。まるで三日三晩お教を唱え続けたという、その僧侶の迫力が今目の前にあるかのように思えた。
「す、すごいお坊さんもいたんですね……。それで、村は大丈夫になったんですね」
「だったら、美談なんだけどね」
後ろでボソリと切子がつぶやいた。
「言うたやろ、何にでも頼るって……。村は確かに「一命をとりとめた」が、完全に問題がクリアになったわけやなかった。むしろ、余裕が生まれたことで、「悪いところを改善しよう」って話になったんや」
ししろのその言葉を聞いて、巳影は小首をかしげる。
「……い、良い事、なのでは」
それにししろは大きくため息をついて、首を大きく横に振った。
「改善、つまりそれは「悪い部分」を見つけようっちゅう話や。雨が降ったからゆいて、農作物すべてが豊穣になるわけやない。土壌が変わらんねん、多少マシになっても、根本的な不作が続くことに変わりはなかったんや。やから、その原因がある……悪さしとる「もん」がある、そういう考えに行き着く」
ししろは振り返り、苦虫を噛み潰したような顔で続けた。
「信仰を基盤にして作り上げた信頼や。不満不安も、信仰に由来するもんになる」
「……?」
「巳影、自分は「鬼」いうたら、どういう印象をもっとる」
聞かれて真っ先にでてきたものは、童話「桃太郎」に登場する、悪事を働く鬼の絵だった。
「信仰のほとんどに「悪いもの」を「悪鬼悪霊の仕業」と解釈するもんがある。昔からの考えでな。んで、村で始まったんは「鬼探し」や」
「え……と、話が少し分からないんですが。鬼なんているわけが……」
「それは現代やからこそ言える話やな。でも当時はちごうた。鬼が悪さしとるから、やっつけなあかん。でもそんなん存在せえへん。せやから……鬼を「仕立て上げた」んや。村の中からな」
理由が分からない。村の中から仕立て上げる……? それはつまり……村人の誰かを、鬼にする、ということではないのか。
「どこの国にも、そういった話はあるよ。鬼という「代名詞」が変わるだけでね」
切子がどこか冷めた様子でつぶやいた。
「そう、原因がなければ「困る」んや。せやから……危害を加えても「問題ない者」を鬼としてやり玉にあげ……「退治」したんや。生きる村人たちの、心の平穏のために」