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89:鐘が鳴る

 高橋の体に巻き付いた糸は、ずしりと重量を持ち、黒い法衣に沈み、食い込んでいく。

「今までのものとは意趣返し、ですか」

「力を入れればより一層、その身に食い込む作りさ。と言っても、力比べで勝とうというつもりはないよ」

 神木は梁に糸をかけると、自分の体を真下である階段の踊り場へと落下させる。その反動で、霊気の糸に巻き付かれた高橋は二階中央付近の高さまで吊り上がった。

「立てるか」

 神木は片方の手を蝶子へと差し出す。蝶子は神木の手を借り、「ごめん」と謝りながら立ち上がった。

 踊り場の下では、大きく鈍い音が響いてくる。本棚が倒れ、無数のコミックスが落ちて散らばっていた。何かが本棚の影に潜み、素早く動き回っている。巳影とししろはその不意打ちを食らうまいと、ただただ逃げ回るだけに徹していた。

「キョウゴ、何を引き連れてきた!」

「僕らの兵隊を二体ほど。といっても、いつもの死霊術ではないのであしからず」

 高橋はつるされているにも関わらず、朗らかに笑顔で答えた。

 本棚に隠れる謎の影は、次々に本棚を倒し、道を遮っていく。おかげで一階のほとんどがコミックスの山となり、巳影たちが動き回るスペースを狭めていた。

 本棚より零れ落ちたコミックスの山の一つから、何かが飛び出した。それを背後に勘づいた巳影は、振り返りながらも肘を突き出し、迫る気配へと打撃をたたき込んだ。

「っ!」

 鈍い音が響く。巳影の肘打ちは突進する気配を止めたものの、ダメージまでは与えられなかった。どすん、と気配は散らばるコミックスの上に着地する。

「首のない……地蔵!?」

 どういう原理で動いているのか。潜んでいた気配の正体は、巳影が思わずこぼした通り、頭部が切り離された地蔵そのものであった。その姿からすぐに、第四の独立執行印に封じられていたものであると、その場の全員が思い至った。

 その地蔵は手に、古びた鎌を持っている。赤い錆びが刃を侵食するように染めていて、毒々しい色に見えた。

「今日は『首切り地蔵』の試運転でもあるので、相手になってもらえると嬉しいですね」

「なんてことを……キョウゴ、お前がコントロールしているのか!?」

 神木の青ざめた顔を見下ろす高橋は、「まさか」と笑って返す。

「完全にコントロールをしているわけではないのですが……ターゲットを認識させ、誘導するぐらいはできています」

 最後の本棚が倒れ、そこから無数のコミックスが雪崩のように落ちていく。その雪崩の中を、もう一体の首切り地蔵がかいくぐり、ししろの真上へと姿を見せた。

 手にはやはり、赤く錆びた鎌が握られている。

「チクタク!」

 蝶子の声に呼応するかのように、とびかかってきた首切り地蔵の胴体へ、丸い芋虫型のぬいぐるみが張り付いた。

「相澤さん、下がって!」

 蝶子は階段から飛び上がると、降下する首切り地蔵へと人差し指を向けた。

 その瞬間、宙に踊る首切り地蔵はまるで見えない何かにからめとられたかのように、空中でその体を停滞させた。

「攻撃を! 早く!」

 焦りを浮かべた蝶子の声に、巳影は拳に炎を宿らせ、宙にいる首切り地蔵へ向けて拳を打ち出した。鈍い手ごたえとともに、首切り地蔵の胴体には大きなひびが入る。

 首切り地蔵に張り付いていたぬいぐるみ、チクタクは器用にその場でばねのように身を縮め、蝶子の肩へと飛び移った。

 チクタクが飛びのいた直後、首切り地蔵は力なく落下していき、大きく三つの破片に分かれて粉砕していった。ことり、と赤い錆びをまとう鎌が床に落ちる。首切り地蔵の本体そのものは、一瞬で風化したかのように砂となり、形を保てず崩れていった。

「さすがは『時護』の力。お見事」

 ぶら下がったままの高橋が、カラカラと気楽な笑い声を飛ばした。

 しかし神木も蝶子も、巳影もししろもまともに取り合う暇がない。首切り地蔵は高速で移動し、コミックスをバラバラに切り裂いて煙幕代わりにしてくる。今や一階の床一面がひっくり返ったコミックスでいっぱいになっている。まともに迎撃しようにも、崩れるコミックスの足場で思うように姿勢が取れず、結果首切り地蔵の突進を回避することで精一杯になっていた。

「くそ、動きは単純やのに……!」

 手には三枚のお札を握り、ししろは飛び掛かってくる首切り地蔵を迎え撃とうとするが、やはり煙幕代わりにコミックスを散らかし、吹きあがる紙の洪水には下がるしかなかった。

「……っ」

 下唇を噛み、見ているだけでいた蝶子は、踊り場から一階に飛び降りた。

 それに反応したかのように、今や海水の中から接近するサメの動きで、首切り地蔵は着地したての蝶子へと進行方向を変えた。

 神木が駆け寄ろうと、拘束の糸を手放そうとした。翻弄されるばかりだった巳影は離れた位置にいて、紙の海から飛び出た首切り地蔵への攻撃は届かない。赤く錆びた鎌が、吹きあがる紙の波から姿を見せる。

 飛来する首切り地蔵へ人差し指を向け、その手にチクタクの丸い体が重なった。

 その場にいる誰もが、鐘の音を……大きく耳に響く鐘の音を聞いた。空気はしびれ、震え、重たさを腹の底に押し付けていた。

 膨れ上がった音と空気の中心にいた首切り地蔵は、空中に停止したまま足元から砂へと姿を変えた。砂は水あめの中にでもたまったかのように、ゆっくりと下へ垂れて下がっていく。

「い、今のは……!?」

 巳影は目の前で起こった突然の出来事に、理解が追い付かないでいた。

「あれこそが『時護』の力ですよ。始まりと終わりを告げる鐘の音。やはり良い響きだ」

 体を縛り付けていた糸から抜け出た高橋は、素早く二階の窓の縁へと移動した。逃がすまいと再び霊気の糸を放つ神木だったが、その糸の束は高橋の右手で簡単に振り払われてしまう。その右手には黒く濁る霧のようなものが張り付いていた。

「今日は撤退します。目的は果たせませんでしたが……鐘の音を生で聞くことができただけでもラッキーとしますかね」

 高橋は窓から身をひるがえし、飛び降りた。しかし重量のあるものが着地する音さえなく、その姿は忽然と消えていた。神木が窓から身を乗り出し周囲を確認するものの、気配すら嗅ぎ取ることもできなかった。

「……ときもり……?」

 雑然とした店内で巳影がつぶやく。どこかで、聞いたような。

「みんな、無事? 怪我はない?」

 頭にチクタクを乗せた蝶子が微笑んで見せた。だがその笑みはすぐにこわばり、寸前で神木が支えなければ背中から床に倒れているところだった。

「蝶子!」

「……ごめんなさい。少し疲れただけ、だから」

 はぁ、と大きく肩で息をして、蝶子は青白い顔いろのままでつぶやいた。

「ごめんだけどみんな……ひとまず片付け、手伝ってくれるかな?」

 一面に広がる紙くずの海に、とりかかる前から疲労を感じることができた。


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