86:大人として
頭痛の種は尽きない。昨晩は神木が三体目の『飛頭蛮』を発見、退治したと、朝当人から知らされた。それを聞いた時、町に現れた『飛頭蛮』の数は本当に打ち取っただけの数なのだろうかと不安になった。
それについては、神木が「大丈夫だよ」と笑って励ましてくれた。生徒に……子供の自分たちに負担をかけないようにしてくれた気遣いであろう、と巳影は思ってしまった。
こちらから打って出る、という具体的な対策がない。『飛頭蛮』……ついては、独立執行印が解けたという『首切り地蔵』という、第四の「鬼」。
(厄介だってのに……)
こめかみのあたりがずきりと痛む。とどめとしては、今朝見た夢が嫌に頭から……具体的には耳から離れない。はっきりとどんな夢を見たという記憶はないのだが、ずっと鐘の音のような音が鳴り響いていた。
おかげで授業にはまったく集中できず、あっという間に放課後を迎えてしまった。
教室は明日から始まる五月の連休に向けて、今から解放感で満ちていた。全体的に空気は上ずり、生徒たちの顔はみな明るい。
のそのそと教科書などを鞄にしまっていると、スマートフォンが鳴った。メッセージアプリにて、ししろから放課後オカルト研の部室に集まるよう知らせが来ていた。議題、今後の方針、とある。
「一人で考えてたって仕方ないか……」
それとなく、頭の中で獣の気配を探ってみる。獣は姿を見せず、何かが動く気配もない。どうしたのだろうか、最近はおとなしいというか、ずいぶんと声を聞いていない。
とはいえ、力は使えている。ふらりといなくなるようなことはないと思うが……。
どうにもすっきりしないことばかりだ。巳影は気怠い体を持ち上げるように席を立った。
□□□
「すでに第四の独立執行印が解かれてたっちゅうのは……デカい、手痛い」
部室ではししろと切子がちゃぶ台を囲んでいた。ちゃぶ台にお邪魔した巳影は改めて事態を確認する。言葉にすればするだけ、気が重くなった。
「こんな後手後手が続く中で……希望は黛さんだけやな。帳簿の暗号、か」
ししろはほぞを噛む思い、といった様子で湯呑からお茶をすする。
「俺、今日の放課後に進捗を伺いにいくつもりだったんですけど……」
ネックなのは、バスでも結構な時間がかかってしまうことだ。それにいつでも帰りの便がちょうどあるわけでもない。事前に調べて計画的に行くべきだろう。
「任せたいところやけど、巳影にばっか足運ばせるわけにはいかんやろ。確認だけやったらスマホで十分とちゃう?」
ししろはそういうと、自分のスマートフォンで蝶子へ進捗具合を伺うメッセージを飛ばした。
返信はすぐに来た。解析状況は現段階で60%程、とのことだった。少し苦戦している、との言葉が添えられていた。それに横から見ていた切子は、心配そうに眉をよせた。
「黛さん、無理してないかな……何かと一人で解決しようとする人だから」
「そうなんですか?」
巳影の言葉に、切子は苦笑を浮かべる。
「普段はおちゃらけた所はあるけど、根は真面目な人なの。根を詰めすぎないようにしてくれるといいんだけど……」
とはいえ、あの帳簿に潜んでいるものが、現状を打破するヒントになるかもしれない。藁にもすがる気持ちであった。
「せやけど、あまり気楽にはしとられへんで。爺さんや『茨の会』の連中が次に狙う独立執行印はあと三つ。黛さんはその当事者や。場合によっては、リスクが黛さんに向けられることも考えんと……」
ししろは湯呑を手にしたまま、難しい顔でうなっている。
「ならやはり、直接出向いておくべきではないでしょうか。警護もかねて、人を選べば……幸い、明日から連休になることですし」
話がまとまりかけた時、部室のドアがノックで揺れた。そのあとすぐに「ごめん、だれかドアをあけてくれないかな」と神木の声がする。巳影がドアを開けると、そこには冊子のようなプリントの束を抱えてきた神木がいた。
神木はおぼつかない足取りで、手近にあった使われてない机にどさり、と束を置く。
「な、なんすかこのプリント」
「いやぁ、日ごろ君たちには迷惑かけてるから、と思ってね。用意してたんだ」
ししろがプリントの束を取ってみる。そこには「数学」という文字が大きく印刷されていた。
「ほら、学校の授業を犠牲にしてまで頑張ってくれてたろう? それで君たちだけの勉強が遅れるというのは、あまりにも申し訳ない。だから、連休中に取り戻せればと思ってね。作ったんだ」
眩しいまでの笑顔で言う神木に、巳影とししろは何とも言えない顔を作った。束一つごとにそれぞれの教科の問題や授業内容の細くまで、びっしりと詰め込まれている。
「い、いやあセンセ……ウチらはえっと……それどころではなく……」
「連休中だけなら、あらゆるフォローはするつもりだ。君たちは学生なんだから、身勝手な大人のせいでその本分を犠牲にしてはいけない」
まっすぐに返されて、ししろは肩を落としてしまった。
「これじゃあ……『黛書房』に様子を見に行くのは難しいなぁ」
プリントの束を手に取り、巳影はひきつった笑みを浮かべた。
「あの目録の修復か……それなら、僕が尋ねにいくよ。車もあるしね……まあ、代車だけど」
『飛頭蛮』とのドッグファイト( ? )の末、結局保険は適用されなかったらしい。神木は少し涙目になっているように見えた。
「そういえば……黛さんが神木先生と同じ高校に通ってたって聞いたんですけど、お知り合いだったですね」
巳影の言葉に「懐かしいなぁ」とこぼした神木はうなずいて言った。
「うん、高校までは一緒だよ。僕は教員免許を取るため別の大学に行ったけど。幼馴染ってやつかな……」
あいつも含めて。そう最後にぼそりと付け加えた。その一瞬、神木の目に影が入り込んだ……ように見えた。
「まあ連休中は僕ら大人に任せて。それにほら、連休明けの中間試験の勉強にもなるだろうし」
「……あかん、退路が断たれた」
「ししろさん、腹くくりましょう……俺も成績いい方じゃないんで……」
すすり泣きしそうなししろの肩に、巳影はそっと手を添えた。頭痛の種は、尽きない。




