85:暗い答え
なぜ、自分は「悪」として生を受け、生きてきたのか。
その答えは高橋京極自身でも、今のところ出せていなかった。
しかし。彼との出会いがあった。
「気に入ったのだ。お前が曇りのないほどの「悪」であることを含めて。俺はお前が気に入ったのだ」
天宮一式。彼の存在を深追いしようとは思わなかった。仮にしたとしても、彼は咎めるようなことはしないだろう。些末なことだからだ。
「お前が隠し持つその刃。俺の元でさらに磨きをかけてみないか?」
手を差し出されたことは、初めてだった。まだ、未だに。その時の天宮一式の笑みを覚えている。夜空のように深く、朝焼けのように広く。自分自身の何かが焼けた。
その熱は、びっしりと詰まった脳の神経すべてに行き渡った。血が沸騰していくのが分かった。指先の痛覚でさえ、甘いしびれを覚えていた。
高橋京極を囲む世界は、高橋自身を神童と呼び占めた。生まれ持っての高い霊能力に、高い感応能力。現世以外を見る目。技術を吸い込む学習能力。誰もが彼の将来を期待した。
その中で。誰も気づくことはできなかった。気づこうとしなかった。
高橋京極が、生まれながらの「悪」である、という現実に。
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目撃された『飛頭蛮』は二件。商店街のはずれと、北に広がる新興住宅地での報告であった。幸いにして大きな騒ぎになる前に、巳影が駆けつけ少ない人数ながらも『飛頭蛮』を発見、退治することができたのは、幸運といえる部類だ。
「あの地下室に行った時点で気づけたはずだ……『首切り地蔵』か」
全員無事の連絡を受けたか神木は、スマートフォンを閉じてつぶやく。『飛頭蛮』を探し回るため、自分の車を足として使い、それが空振りに終わったことは幸運というべきか。
交通量の少ない道路に停車していた車のハンドルを切り、ゆっくりとアクセルを踏んでいく。もう夕日も沈みかけている。
「あの異様な空間に何もないことを、疑うべきだった……」
第四の独立執行印『首切り地蔵』。その封印管理者は町の組合であり、正式な管理者はいなかった。正確に言えば、数年前に死亡している。首を、胴体から切り離されて。
現場の状況からは、「管理、制御しきれなかった」という結論で落ち着いた。この独立執行印だけは別物の歴史を持つものだからだ。
怪談、都市伝説としてこの町に残る『首切り地蔵』の名前は、それなりに有名なものであった。山を越えた都会でもウワサは広まり、心霊スポットとしてこの町を訪れる若者は定期的に現れる。
曰く。「首のない地蔵を見つけ、お祈りすれば、悪縁を絶つことができる」「ただし効果が表れた三日以内に返礼しにこなければ、首のない地蔵がやってきて、首を切り飛ばされる」などなど。細かい差異はあれど、広がっているウワサはおおむねその筋書きであった。
ウワサの出元には「縁切り神社」のような性能を持つことが多々見られる。そしてそれは、あながち間違いではない。
収められた封印の中には、「鬼」とされた者の親族などを守る際に、「鬼」との絶縁を行う儀式のようなものがあった。誰もが不満や不幸を擦り付け合う村社会にしては、良心的ともいえる装置だ。絶縁が行われた「鬼」はただ「鬼」であるだけのことを求められ、その首を落とされていった。
第四の独立執行印が封じていたものは、そんな狂気じみた絶縁をつかさどる地蔵である。地蔵という偶像を作り、それが絶縁を成していたのだという、空想に逃げた。人間のおぞましさを身に沁み込ませた地蔵は、もう真っ当な偶像ではなくなっていたのだ。
「次の相手は、その地蔵か……」
疲れが見える嘆息をつき、神木は車を走らせていく。空は夕暮れから一瞬で夜に切り替わったように、深く思い夜の色を下ろしていた。走る道路に備え付けられた街頭は最低限のものでしかない。車のヘッドライトがアスファルトに張り付いた闇をはがし、進んでいった。
そのライトが、わずかによぎった影をとらえる。神木は即座にブレーキを踏み、車体の後輪が暴れて揺れた。ぐらついた車内でハンドルを握りながら、もう片方の手を窓から突き出し、指先に全神経を集中させる。
神木の五指から伸びた霊気の糸は、その場を離脱しようとした影を寸前でからめとった。暴れれる影が、ヘッドライトの前に飛び出る。首のない、犬のような胴体を持つ独特のシルエットが何であるか、もう確認する必要もない。『飛頭蛮』だ。
神木は『飛頭蛮』を霊気の糸、『悪性理論』でからめとると、アクセルペダルを思い切り踏み込んだ。空回りする車輪は弾力を持って、車体を前に飛び出させる。その真っ先にいた『飛頭蛮』は、車の全馬力を使った体当たりを受けて吹っ飛んだ。
反対車線にあるガードレールまで飛ばされた『飛頭蛮』は、スピードを殺さずそのまま突き進んだ車のフロントに押され、背後のガードレールとの間に挟まり、その体を爆ぜさせた。
「……っくそ。自損の保険きくかなこれ……」
息を切らし、ゆっくりと車を後進させた神木は、わずかにゆがんだドアを押して外に出た。
車のフロント部分はガードレールにめり込む形でへこんでいた。その間に挟まれたであろう『飛頭蛮』は肉体を維持できず、黒いチリへと姿を変えて風に揺られ、消えていく。
「戦闘力というか、攻撃力がないというのも考え物だなぁ……」
とっさの判断で『飛頭蛮』を跳ね飛ばす方法を選んだ神木であったが、今は車の修理費とガードレールの対処で頭がいっぱいになっていた。
「いやいや、僕は冷静な判断だったと思うよ?」
後ろで間の抜けた拍手がなり、神木は苦い顔のままで振り返った。
「キョウゴ……なぜここにいる」
「おや、僕もこの町の住人だよ。どこにいてもいいじゃないか」
神木の真意を察したうえで、高橋京極はとぼけた答えを口にした。
「まあ今日は本当にただの通りすがりさ。見知った車の前方には打ちもらしの『飛頭蛮』。どうするかなって見ていたんだよ。でも車で押しつぶすとは……瞬時によく思い切ったね」
「そんな話はどうでもいいさ」
神木は四方に霊気の糸を飛ばし、高橋を囲み込んだ。
「キョウゴ……お前の意見を聞きたい。この町をどうする気だ」
「基本的に天宮さんと一緒さ。僕も僕で、この町を『土萩村』に戻したい」
「今みたいな化け物が跋扈する世界でも、か。それどころか、無関係な住民を巻き込んでまで……!」
神木の整った顔に、明らかな敵意が生まれる。眉間のしわを深くした神木に、高橋は苦笑して返す。
「新山爺さんの企てのことか。まあ彼も彼なりに考えだした末の答えなんだよ、あれが。僕は応援したいものだね」
霊気の糸が、強く高橋の体に巻き付いた。しかし、高橋の笑みは変わらなかった。
「なぜ……なぜ平然とそんなことが言える!」
霊気の糸を束ねる神木の拳が震えていた。それに高橋は笑みを浮かべたまま「そうだね……」と少し間をおいてからつぶやいた。
「僕が、純粋な「悪」だからだよ」
その言葉に、神木は一瞬あっけにとられた。
「悪も悪。「絶対悪」さ。悪者は、悪いことを企むものだろう?」
ふいに、拘束していたはずの手ごたえが拳から消えた。高橋の姿はもうそこになく、高い夜の空には一羽の鳥が風を切り、羽ばたいていった。




