08:嘘八百
「鳩村土萩保険事務所……うわぁ、豪邸」
バスを降りてすぐ、切子が空を仰いで言う。
住宅街の一角に構えた家は、広い庭を持っていた。門構えは木造の大きな観音開きで、サイズは見上げるほどのものだった。
「んで、当の事務所へ着いたわけやけど、具体的にどうするつもりなん?」
「そうですね」
ししろに答える代わりに、巳影はインターフォンを無造作に押した。迷いのない挙動に、切子とししろは「え?」と固まってしまう。
「な、何しとんねん!」
「とりあえず話を聞きましょう」
「き、聞くって……ストレートに!?」
あたふたし始める先輩二人の前で、巳影は落ち着いた様子だった。すぐさまインターフォンから女性の声が流れる。
『はい、鳩村土萩保険事務所です』
「すみません、保険プランのことでいくつかお伺いしたいことがあるのですが」
一言二言交わし、やがて門が開いていく。
『いらっしゃいませ、どうぞそのままお進みください』
「ありがとうございます」
インターフォン越しなのに一礼する巳影は、そのまま開いた門をくぐり、広い庭へと入っていった。
「来ないんですか?」
ぽかんとしている切子とししろは、慌てて後を追う。
「巳影くん、どうするつもり?」
切子が声を潜めて聞く。
「まず、その鳩村さんというか、地主さんがどんな人かを知りたくて」
玄関先にスーツ姿の女性が一人立っている。
「ご案内いたします」
ニコリと笑う女性スタッフに一礼し、巳影は迷うことなく案内されるまま、玄関先から入っていった。
「巳影くん……本当に保険に入りに来たとか?」
「アホぬかせ。ひ、ひとまず行くで」
一方、先輩二人はガチガチに緊張していた。
そのまま応接室へと案内された一行は「しばしお待ち下さい」と退室した女性スタッフを見送り、
「っぱぁ」
と、切子は大きな息をついた。
「ほ、保険屋さんになんて来たことないから、緊張した……」
「う、ウチもや。妙に意識張ってしもうた」
ししろもともに胸を押さえ、顔色を悪くしていた。
「中も立派な作りですね」
巳影はというと、リラックスした様子でソファに座り、室内を眺めていた。
「たくさん資料があるんですね」
「ですね、じゃなくて。いきなり入り込むだなんて……まさか、今のうちに何か物証でも抑えるつもりなの?」
「それは無理やろ。そんな手がかり、客通す場に置いとるわけ……」
三人の会話を押すように、ゆっくりと漆喰のドアが開いた。
「おや、お客様とは、学生さんでしたか」
珍しい。と口にして現れたのは、小太りの中年男性だった。スーツ姿で、べっ甲淵の眼鏡をかけた、おっとりした印象を受ける。胸のネームプレートには「鳩村」と書かれていた。
「突然すみません、保険のことでお伺いしたいことがありまして」
対面に腰掛けた男性に、巳影が柔らかな物腰で言った。
「構いませんが、学生さんが……萩北高校、ですね」
「はい。実は近々バイクを買う予定でいるんです」
巳影の言葉に、立ったままでいる先輩二人はぎょっとした顔をした。
「はぁ、バイクを」
男性……鳩村はひとまずといった様子でノートといくつかのパンフレットをテーブルに起き、メモを取っていく。
「失礼ですが、免許は?」
「実は……まだ持ってません。まだ教習所通いの身なんですが」
巳影の言葉に、鳩村は「ふむ?」と眉を寄せた。
「その教習所の課業の中で保険の授業があったんですが……実は恥ずかしい話、いまいちピンと来なかったものでして。そこで実際にプロにご質問できれば、そちらのほうがわかりやすいかな、と」
「そうでしたか、まあ保険と一口に行っても種類がありますからね」
「はい、なので……ここにご厄介になるという前提で、ご説明いただければありがたいのですが」
「ふむふむ。勉強熱心でいらっしゃる。しかし二輪免許ですか」
「父の影響で、車より先にほしいなぁ、なんて思っていまして。そう話したら父も乗ってきちゃいまして。……受かるまでは、母には内緒の方向で」
「ほほほ、見かけによらず、やんちゃさんですな。ではこのパンフレットからご説明しましょうか。こちらのプランは……」
穏やかな調子の談笑が続いている。鳩村の説明に巳影は「へえ」「お得ですね」「こんなのもあるんですか」と、ワクワクした様子で返していく。
「……と、長くなりましたが、以上が保険の役割ですね」
「なるほど、ありがとうございます。教習所よりわかりやすかったです」
話が一区切りついた頃には、すっかり日が暮れていた。時刻は午後の六時半を指している。
「あっと、もうこんな時間……すみません、いくつかパンフレット頂いて帰ってもいいですか?」
「どうぞどうぞ、お父様とご検討ください。お母様には内緒で」
「はい!」
満足顔でパンフレットを鞄にしまい、ついでに鳩村から名刺をもらう。
「遅くまで居座ってすみませんでした。免許が取れたら、一番に向かいますね」
「お待ちしております。くれぐれも安全運転で」
鳩村は終始にこにこ顔であった。女性スタッフの笑顔にも見送られ、巳影たちはバス停まで歩いて行った。
「へえ……巳影くん、バイク買うつもりだったんだ」
「そんなわけないでしょう」
バス停の前で、巳影は受け取った名刺をまじまじと見つめつつ、切子へと言う。
「全部口からでまかせです」
「……え?」
「その場で考えついた嘘八百ですよ」
巳影は肩を軽く叩きながら、ふぅと息を一つついた。
「言ったじゃないですか、どんな人かを知りたいって。加えて、あの人はこれで俺たちを警戒しにくくなったはずです。今後嗅ぎ回るなりしても、動きやすくなると思います」
さらりと言う巳影に、切子は言葉をなくしていた。隣で立つししろは疲れた顔で、頬を引きつらせている。
「……とんだ曲者やな、おんどれ」
「褒め言葉としていただきます」
ししろの皮肉にも、巳影はしれっと笑顔で返した。ししろは肩をすくめ、切子はまだぽかんとしたままだった。
「くっそ可愛げのない……まあええわ。で、感触は?」
巳影は真顔に戻り、名刺をじっと見つめて言う。
「……普通の、気の良い人でしたね。とてもせこい手を使ってお金を荒稼ぎするタイプには思えませんでした」
学生服の袖を捲り、腕時計で時刻を確認する。
「あの、お二人さえ良ければこの後、例のカーブミラーへ案内してもらえませんか。ついでですし、見るだけ見てみましょう」
巳影に言われて、切子は腕時計を確認する。もう午後七時を回ろうとしていた。
「いいけど……結構遅くなっちゃうよ。お父さんとお母さん、心配するんじゃ……」
「いませんよ、親は」
巳影は振り向かないままだった。切子はやや困惑した様子で言う。
「え……だって、お父さんの影響でバイクって……お母さんには内緒って」
「嘘だって言ったじゃないですか。適当に作った設定ですよ、そんなの」
巳影は、前を向いたままだった。切子へと向き直ろうともしない。
「今は親戚の人の所にお世話になってます。時間には、融通がきくんで」
「……それは、今度こそほんまのことやろうな」
ししろが巳影の後ろ姿に問いかけた。
「ええ。先輩たちに嘘ついて、どうするんですか」
巳影は次のバスが来るまで、二人の顔を見ようとはしなかった。