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76:成れの果て

「この世の成り立ちは理解しているな。強者が頂点に立ち、弱者が地盤となる」

 耳に届いてくる新山の声。

 だが、切子もししろもそれにこたえられる精神的な余裕はなかった。

「それを(ことわり)とし、現世を体現する現実。それは弱肉強食の「食物連鎖」だ。それは我ら人間だけでなく、この世界すべてにおいて機能しているシステムである。しかし、我ら人間はその頂点に立っていなければならないのだ」

 腕……であろうものは、不自然に長く太く、地面につきそうなほどに垂れている。

「だが現実は……『土萩村』では違った。「鬼」がいる。悪鬼どもが村にはびこり、災厄を呼び、大地を枯らし。そして、食らっていった。怯える者を、逃げる者を、立ち向かった者も……腹をすかしただけの童すらもだ」

 背中は大きく曲がっていた。長い腕が地に着きそうになっているのも、かがむような前傾姿勢がそうさせている。だが、背が曲がるのも無理はない。背筋から伸びる首は、垂れ下がった頭部を支えきれないでいた。

「故に我らは恐れた。故に我らは考えた。故に我らは、進化した」

 唇、という部位は見られなかった。耳元まで開いた口から覗くものは、杭となった歯がずらりと並んでいる。歯の一つ一つが、人間のものとは比べ物にならないほど大きい。

 そんな歯を持つ口だけが顔の半分を占領し、目と思しきものは見当たらない。肥大化した口が大きく開かれると、まるでワニのごとく上顎が顔面の上部を覆ってしまった。

「奴らが……「鬼」が人を食うのであれば。頂点に立つ強者だというのなら。我らが「鬼」を食えばいい。再び頂点に立つ強者へなるには、「鬼ども」を食料にしてしまえばいい」

 バチン、と空が元の応接間の天井に切り替わった。足の底に感じていた固い土の感触も、今はない。白を基調にした応接間にまぶしさを感じ、切子とししろは一瞬目がくらんでしまう。

「理解……いや、体感できたか」

 新山の巨躯が、ソファの前に立っていた。切子は視線だけを周囲に飛ばし、ここが通されていた応接間であることを確認する。ししろはすぐそばで立ち尽くしていた。無事ではあるようだが、しかし……まだ生臭さを持つ腐臭はかすかに残っている。

「今見せたものは幻影である。だが、現実でもある」

 新山の双眸は深く濃く暗く、底が見えない。真意もうかがいしれない。だが、虚言を吐いている目でもなかった。

 気が付けば切子は呼吸を乱していた。新山の言った通り、体が感じ取っていたからだ。あの、言いようのない怪物から感じる威圧感と、恐怖心を。

 額から流れた汗が首筋を伝う。遅れてやってきた怖気が、今更体を震わせた。

「お前たちはまだ聡い。この先『土萩村』の住民であり続けるのであれば、どうすべきかわかるだろう。事実「鬼」と戦った時に感じたのではないか……? その圧倒的な戦力の差を」

 切子の足はすくんでいた。老練なこの男の目は、すでに人間のものとは乖離しているように感じた。

「いつまでも「鬼」に囚われ怯え、震えているわけにはいかん。越えねばならんのだ……「鬼」を。「鬼」から人間の世界を取り戻せと、儂の血は煮えたぎっておる」

 老人は嗤っていた。拳を握り、震えさせている。うずいているようにも見えた。内側に練り上げられていく戦意が、肉の壁を突き破り、破裂する寸前までに膨張している。

「あの『茨の会』とやらが町の転覆を企んでいるのであれば、それはまさに好機。決着をつけるべき外敵を今、打ち滅ぼせる。この地に生まれ、生きた者であるならば、誰もが「鬼」の囚われである。そのつながれている鎖……砕いてみたいとは思わんか」

 新山は口の端をつり上げる。そこから感じる圧力をなんとか押し返し、切子はかすれる声で言った。

「……だからと言って、人間をあんな姿に変えてしまうつもりですか。誰彼構わずに」

「変えるのではない。取り戻すのだ。尊厳を、誇りを、そして頂点を、だ」

 視界の端にとどめていたししろの姿が、ふと後ろへ下がった。

「……っはぁー……あほくさ」

 ソファの背もたれに体を預け、足を組んだししろは、大きなため息をつくと同時にあきれた様子の声を漏らした。

「し、ししろ……?」

 場の空気を全く無視した言動に、切子も思わず困惑してしまう。だがそんな切子などお構いなしといった様子で、耳の穴を小指でほじりながら、ぶっきらぼうに続けた。

「なんや企んどると思えば、そんなつまらんことけ、爺ちゃん」

 新山の顔からゆがんだ笑みが消える。

「勝手に「鬼」の役なんぞ押しつけ、封じて。今度は勝手に怖がって、んで……あれが人間? 取り戻すべきもんやったらもっと他にあるやろ。むしろマイナス。それで尊厳って……」

 肩をすくめ、とどめとばかりに盛大なため息をついた。

「爺ちゃん、耄碌(もうろく)したな」

 真顔で言われた老人から、暴風のような圧力が膨れ上がる。阿修羅の如き憤怒で顔をゆがめた新山が口を開く。

 と、同時に。

「小娘相手に、一本とられたな新山。いやあ、愉快だ」

 カラカラと笑いながら、一人の少年が緩やかな拍手とともに現れた。

 狩衣(かりぎぬ)と呼ばれる白の法衣に袴をはき、しかし足元は編み上げブーツとちぐはぐな出で立ちであり、その髪は赤銅色に染まっている。

「……天宮。何をしに来た」

 新山が口にした「天宮」と言う名に、切子とししろの注意はそちらへとむけられる。

「高橋がまだ来ないんでな。暇つぶしに来たのだが……なかなか面白いものを見られた」

「あんたが……天宮一式か」

 ソファから立ち上がると、ししろは一瞥した後で鼻息を荒くついた。

「おんどれらの目的はなんや。この町をひっくり返してどないしようっつーんや」

「村興し……というジョークは嫌いか?」

「お察しの通り、今かなりイラついてんねん。なっさけないくそ爺と、そんなんにビビり倒してたあほの自分にもっとイラついてんねん。……今は口より手が出るかもしれんで」

 天宮は苦笑を浮かべもろ手を挙げた。「正直に話そう」と、濁りのない笑みを浮かべた。

「この町を、かつてあった『土萩村』へと還す。ある者は獲物を求めて……ある者は誇りを取り戻しに。純粋に混沌を望む者もいる。結託しているのは『土萩村』の復活までで、実のところ理由は様々で、どれもが個人的なものだ」

「……。じゃあ、おんどれは何が理由でそんな真似するんや」

「待ち合わせをしている。当時の『土萩村』でな。そこでなきゃ、落ち合えない相手なんだ」

 至極真面目なまなざしをししろに返し、天宮一式は嬉そうにはにかんだ。


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