75:かつての人影
「まいったね。降参だよ」
上半身を起こした来間は飄々とした調子で、刀身を砕かれた刀を捨てて両手を上げた。それに清十郎は太刀の姿を淡い粒子に変え、改めて煙草を吸い、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
「トドメはささないのかい?」
「無闇矢鱈な殺生はごめんだ。後が面倒だからな」
そっけなく言う清十郎に、来間は「甘いなぁ」と苦笑した。
「大場さん!」
遅れて、巳影と紫雨が駆け寄ってきた。二人に大した怪我はなさそうだが、顔色があまりよくない。精神的に消耗しているのははっきりと見て取れた。
「ここに来たのは、君らだけだったね。……柊さんと相澤さんは?」
一瞬、巳影は紫雨に目配せした。紫雨は口をへの時に曲げながら「言っても問題ないんじゃないっすか?」と言葉を投げた。
立ち上がれないままでいる来間に巳影が向き直る。
「今、ししろさんと切子さんは、事の次第を問い詰めるために、新山さんのところへ向かっています」
「そっか……」
来間は袖をめくり、腕時計で時間を確認した。
「だったら、急いで合流したほうがいいと思うよ」
「え……どういう意味です」
来間は立ち上がろうとしたが、震えている膝では踏ん張りきれず、もう一度腰を床に落とした。
「新山さんの求める条件は、ほぼ揃いつつある。あとは実行に移すだけの段階だからね」
「……条件? 揃う……?」
こちらを見上げ言う来間には、笑顔を作る気配が伺えなかった。怪訝に思う巳影だったが、その言葉自体を疑う者はいなかった。清十郎も紫雨も、口を閉ざしそれぞれで考えている様子だった。
「住民が現れる。それだけのことだ」
冷たい風が、巳影たちに降り注いだ。凍てつく空気をまとい、歩いてくる少年を見て清十郎は舌打ちする。
「すっかり忘れてたぜ……てめえにも借りがあったな」
「俺に構う暇があるのなら、仲間の元に向かった方がいい。それに、消耗した弱者をいたぶる趣味はない」
少年、桐谷は離れた位置で立ち止まり、両手はズボンのポケットの中に収まったままだった。争う気は感じられない。
「住民って……何のさ。どういう意味?」
不機嫌そうに紫雨が口を開く。その口から漏れる吐息は、急激に下がった気温によって白く染まっていた。
「そのままの意味だ。住民は住民。……『土萩村』のな」
「村……の?」
緊張が音を追いやり、院内を無音に変える。それを揺るがしたのは、崩落し始めた天井の一部だった。落ちてきた瓦礫が下に広がる瓦礫とぶつかり合い、肌を痺れさせるような振動を生んだ。
「暴れすぎちまったか……おい、行くぞ!」
「い、行くって、切子さんたちのところに!? また走って!?」
涙目になっている紫雨の首根っこを掴むと、清十郎は走り出した。巳影もそれに続き、崩れそうになる廃寺を後にする。すぐに派手な崩落こそ始まりそうにないが、もうここへ立ち入るのは難しそうだ。
「……結局、第五の『独立執行印』は解除……阻止できなかったか」
苦い思いを噛み締めながら、巳影は敷地を出て山道を降りていく清十郎を追いかけた。
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屋敷に通されたししろと切子は、広い応接間まで案内された。その部屋だけは洋風で、対になる大きなソファーと大理石のテーブルが部屋の中央に置かれている。
部屋には他に調度品なども、悪趣味にならない程度の数が揃って並んでいた。
時刻は昼前。程なくして、新山の巨躯がドアをくぐり現れた。
まずは、鷹のような鋭い目で一瞥する。萎縮しながらも、手を握りしめて新山の目を正面から見るししろと、その隣に立つ切子からは、分かる者が見れば、いつでも臨戦態勢に以降できる気配を感じ取れる。
「座っていればよかろう」
ふん、と荒く息をついた新山は遠慮なくソファへと腰掛けた。
「じい……新山町長。お伺いしたいことがあります」
ししろが一歩前に出て言う。その声はかすかに震えていた。
「学校をサボってまで、聞きに来ることか」
威圧感を放ちながら、孫娘を睨みつけた。しかし。
「そうです。そんなことよりもはっきりとさせたいことがあって、来ました」
ししろは真っ向から視線を返した。手はわずかに震えている。だがその震えを握りつぶそうと、手のひらを握りこぶしへと変えた。
「何故この町は……新山町長は……『茨の会』と手を結ぶことになんて、なったんですか」
ひたりと無音のベールが、部屋全体に敷き詰められた。振り子時計の針音などは、完全に掻き消えていた。
だが、その緊迫感は老人の呆れた様子のため息で簡単に乱された。
「何を言うかと思えば……そんなことか」
心底つまらないものを見る目で、ししろをその視野にいれる。
「そ、そんなこと……あいつらは、この町を……『独立執行印』を壊している連中です! このまま行けば全封印が解かれて町が……!」
「帰依するだろうな。因習と悪習が混じり合い、「鬼」が跋扈する頃の……『土萩村』へとな」
平然とした口調で言う新山に、ししろは言葉をなくして立ち尽くした。
「町長。理由をお聞かせください」
茫然自失となったししろの前に立って、切子が言う。
「まるで町長は……『茨の会』は、『独立執行印』が敷かれる前の時代の村へと向かっているように見えます。何故です。そもそも管理組合自体……その封印を守るための組織ではないのですか」
畳み掛けた切子に、新山は苛立ちを含んだ露骨な舌打ちを返し、立ち上がった。
「よかろう、教えてやる。ただし、口で説明すると少し長い。ここは、実際に見た方が感覚でも理解できよう」
足元の気配が変わる。敷かれた絨毯の柔らかさはなくなり、来客用に出されたスリッパは、ごつごつとした固い地面の上にあった。切子はとっさにししろの手をつかんだ。その衝撃と、一変した周囲の空気でししろは我を取り戻す。
「な、なんや……!」
ししろと切子は即座に互いの背中をあわせ、周囲へ警戒の念を飛ばす。
今二人が立っているのは、薄暗い空の下を伸びるあぜ道だった。だが四方に見える田んぼはどれもが枯れて朽ちており、すでに機能を失っている。
空気は、ひどく濁っていた。腐臭と血臭が混じり合ったような、どろりとした粘度を持って体にのしかかってくる。
「今お前たちがいるのは、簡単な結界術で作った擬似空間だ」
どこからともなく、新山の声が聞こえてきた。
「見るがいい知るがいい。この町……いや『土萩村』の本当の姿を。そこに住まうべき、本当の住民というものを」
鼻を突く異臭が強くなる。怖気と悪寒がまじり、切子はとっさにししろの前に立った。
道の奥。ゆっくりとした足取りでこちらへと向かってくる人影に対し、懐に忍ばせていたナイフを抜き放つ。
「な、んだ……これは」
近づくにつれ、次第に人影の風貌は明確になっていく。それを目にした切子は凍りついた。あまりの異質さと、本能から発する恐怖心によって。
「住民だ。本来この『土萩村』に住まうべき者の、本当の姿だ」
新山の声はもうすでに、戦慄に支配された切子には届いていなかった。




