68:いざ決戦へ
来間が廃寺『天静院』に足を踏みれた時、冷え切った空気が院内に満ちていた。崩れかけている壁や天井には、霜のようなものが張り付いており、本堂の中央で来訪者に背を向けている少年は、顔だけを向ける。
「冷えるもんだね。確か君は……桐谷くん、だったかな。眠り姫の様子はどうだい?」
来間はそう言って、本堂に建つ柱を見上げた。そこには、白く固い糸のようなもので縛り付けた、大きく赤い石の結晶が張り付いている。
真紅の輝きの奥では、小さな体躯を丸め、まるで蛹のように眠る少女がいた。
それに向けて少年……桐谷は左手にまとわせた冷気を握りしめ、無造作に打ち出した。
冷気の奔流は分厚い氷の刃となって、赤い石へと迫り、接触した瞬間に耳障りな音を立てて崩れ去った。すでに氷のかけらだらけの床へと、氷塊が落ちてバラけていく。
「物理的な干渉では破壊できそうもない」
愛想もない声で言い、桐谷は再び赤い石へと向き直った。
「ふうむ、厄介だね……高橋さんは?」
「一度戻った。内部からの干渉方法を考えるようだ」
来間は桐谷の隣に立ち、赤い石の中で眠る少女を見上げた。
「これは待つしかないね……」
桐谷の視線に答えるよう、来間は芝居がかった動きで頷き、言う。
「大場清十郎や飛八巳影……彼らがいれば、揺さぶれるかもしれないよ」
「来るものか?」
桐谷は怪訝な顔で言う。それに来間は満面の笑みで頷いた。
「彼らの行動は基本的に善性からくるものだ。助けを求められているのなら、動くさ」
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まだ午前の授業が行われている校舎には、しん……と張り詰めた沈黙がこもっている。その沈黙をどこかで感じながら、オカルト研の部室へと集まった巳影と切子は、ししろへ事の流れを話してみせた。
「そうか……『茨の会』と、爺さんが……か」
ちゃぶ台の前に座ったししろは、一瞬だけ顔色を曇らせた。同じくちゃぶ台を囲む巳影は、どう声をかけるべきか、言葉を選ぶのに苦戦している。
だが、隣に座る切子はあえて冷静な態度を取り、俯いているししろへ言う。
「あの人たちは『茨の会』の行動を暗黙するどころか協力体制にある。このままじゃ、町がどうなるかも分からない。行動を起こすなら、一秒でも時間は惜しいよ」
「……わかっとる……ウチも、なんかせなとは、思っとる……」
膝の上に乗せているししろの手は、強く握られたまま震えていた。
ししろはゆっくりと顔を上げ、切子を見据えて口を開いた。
「今から爺さんたちを……『土萩町管理組合』を暴く。手を貸してもらえるか」
「もちろん」
切子は短く頷く。
『んでさー。それでさー』
ちゃぶ台の上に乗せられたノート型パソコンから、ふてくされたような声が流れる。
『僕もいかなきゃいけないわけ?』
開いたウインドウから、紫雨がとても面倒くさそうにふてくされながら音声をよこした。
「いや……爺さんの元へはウチが行く。紫雨も中学の復学やらで忙しいやろ」
『復学は五月の連休明けからっすから、まだ時間には問題ないんですけど……』
ししろのしおらしい言葉に、紫雨は毒気を薄めていく。カメラに映る紫雨は若干気まずそうだった。
「大丈夫、私もししろに同行するつもりだから」
モニターに向けて、切子がにこりと笑った。
「とはいえ、来間さんたちを放っては行けないの。悪いけど紫雨ちゃん、今から来てもらえる?」
『……はい?』
紫雨はウインドウの中で、引きつった笑みを浮かべた。
「君と巳影くんで、『天静院』の方へ行ってもらいたいの。彼らを止めないことには、根本的な解決にはならないから」
『うはぁ……。飛八さんはそれでいいんすか?』
「構わないよ。もとよりその手筈だ」
『人のいないところで勝手に決めて……はぁ、またあの山登るのか……』
紫雨は大きく肩を落としたものの、覚悟は決めた様子であった。
「あとは……大場さんか」
巳影が呟く。
「誰か、大場さんから連絡をもらってませんか」
ししろと切子は首を横に振る。
『連絡を取る様子すらないんだよね』
ノート型パソコンの中、何故かウインドウ内に『サウンドオンリー』、という字幕を表示している帆夏が声を上げた。
『スマホは解約してるみたいだし、移動した痕跡もほとんど消してる。ほんとに駆け落ちするつもりだったんだね……』
それについては、言葉もなかった。
だが、去っていく大場清十郎という青年を見送った巳影は、彼がこのまま何もせずにいるとは、とても思えなかった。深い後悔と、寂しい決意が入り交じるあの目は、今も印象深く心の中に残っている。
「大場さんをよく知ってるわけでもないけど……あの人なら、ちゃんと決着をつけに来ると思う」
「……。せやな」
ししろが苦笑して頷いた。その勢いのまま立ち上がり、自分の手で両頬を強く叩いた。
「ウチもへこんだままじゃ調子狂うさかい、ここらでペース取り戻すで!」
気合を入れ、ししろは手のひらを拳で叩く。
「ウチと切子は爺さんのところへ行く。巳影と紫雨はなんとしてでも『暗鬼』を守ってくれ。第五の『独立執行印』は、あの『暗鬼』が死ねば解かれてしまう」
「了解です。この町がめちゃくちゃになるところなんて、見たくないですから」
『あかね団地事件』の二の舞いにはさせたくない。巳影の心には、ふつふつとした熱が灯りつつあった。
『巳影っちー。ちょっといい?』
サウンドオンリーのウインドウから、巳影へと声がかかる。
『そっちには電波の関係でサポートできなくなるけど、気をつけてね。嫌な予感が離れないんだよね』
「予感……?」
『漠然としたものがね……あの『暗鬼』ちゃんが来間某の言った通り、自ら作り出したコアに閉じこもってるとしたら……当然『茨の会』としては解くために動くと思う。大場さんや君らを犠牲にしてでも。そのために何をしてくるか、分からないよ』
「わかった、最大限に警戒しておく」
『もしもの時は紫雨っち、君が犠牲になるんだよー』
『デカすぎませんかその理不尽!』




