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64:幼少期の終わり

 大きく傾いた観音開きの扉をくぐると、「声」は一層強く体全体を叩くように響いてきた。押されそうになりながらも、吹き抜けとなった堂内を見やる。

「あれは……」

 本来ならば多数の部屋に囲まれた設計であろう院内は、ほとんどが崩落し、奥に広がる本堂が丸見えになっている。まず目についたのは長く高く、天井まで伸びた太い柱だった。

 反射的に、それが何かを封じていたものであろうということがわかった。そして、その柱の前に立つ小さな人影が何であるか、思考が理解する前に、体が恐怖し、足を止める。

(同じ……あの『疫鬼』とかいう化け物と同じ性質の気配……!)

 だが。

 か細い手足に痩せこけた頬。身につけている貫頭衣のような服は、ひどく古くあちこちがほころびてていた。立つ足は裸足で、見ただけでは確かに十歳ほどの少女であった。

「や、やあ。来てくれたか」

 今にも倒れてきそうな壁に、息を潜めて寄りかかる来間の姿が見えた。スーツはいたる所が破け、赤黒い染みを作っている。だが顔にはまだ生気があり、見た目ほどダメージは受けていないように思えた。

「来間さん……! 一体何がどうなってるんです!」

 駆け寄り、壁を背にして本堂の方へと顔をのぞかせた。そこには少女の姿をした影と、それに対峙する清十郎がいた。

「俺が知りたいよ……でも、彼が来て少し状況は変わったかも」

 巳影が来たことで安心したのか、来間は大きく息をついた。額から垂れていた血を、手の甲で無造作に拭う。

「様子を見よう」

 背にした壁から飛び出す寸前の巳影に、来間が短く声を掛ける。

「彼……大場清十郎が来てから、『暗鬼』の様子がおかしい」


 □□□


 姿かたちはあの頃のままだった。だが、柱の中に消えていった寂しげな笑顔からは、程遠い目をしていた。

「よう……久しぶりだな」

 今まで走り通していたはずの体は、自然と落ち着いていた。清十郎は柱を背に立つ少女に微笑を向けて言う。

「……どうした。嫌なことでもあったか」

 少女の目は、人間のものと同じであるはずなのに、まるで獣のような熱を持っていた。呼吸も浅く短い。口を開くが、かすれた息が出るだけで、声にすらなっていないかった。

 清十郎が一歩前に出て、少女に近づこうとした。

 再び、怒号なのか悲鳴なのか……すべての分子が震えるかのような「声」が少女の口から吐き出された。崩壊しかけの天井の一部が崩れ落ち、廃寺はまた一つ、元の形を失っていく。

 さらに一歩。同時に膨れ上がる「声」は、清十郎の真横に天井の一部を落とした。腐った木張りの床は簡単に抜け落ち、破片を飲み込んでいる。

 その横を、清十郎の足が通過した。ゆったりとした足取りで。

「疲れるだろ、大きな声だすのは」

 獣の熱を持った目が、歩いてくる清十郎を映し出す。

「何があったのか、今は聞かねえよ」

 一歩ずつ、天井が崩れ落ちていく中を進んでいく。

「だから」

 歩みを止めなかった青年を、少女は見上げて、唇を震えさせる。

「もう少し、一緒にいようぜ」

 短かった息が、深い呼吸に変わっていく。瞳の熱が消えるように薄くなり、長いまつ毛はゆっくりと降りて、目を閉ざした。

 膝から崩れ落ちる寸前で、清十郎がその小さな身体を受け止める。腕の中で静かに眠る少女は、冷えていた体に少しずつ体温を発し始めていた。

 痩せこけた頬にかかる前髪を、そっと指で撫でた。寝顔は、記憶の中にある少女に一致し始めていく。

「……大場さん」

 振り返ると、崩れかけの壁から巳影が姿を現した。

「その子が……」

 言い淀む巳影の顔は、戸惑いの色を見せていた。

「心配っていうか、迷惑かけたな」

「いえ……無事で何よりというか……まだ、わからないことだらけですが……」

 巳影は視線をさまよわせ、しばらく黙ったあとで、清十郎の腕に抱かれた少女へと向けられる。

「……これから、どうします」

 夕暮れ時が終わっていく。影が濃くなり始めた。崩れた壁から見える、灰色の空に目をやって、清十郎は苦笑を浮かべた。

「もう、後悔したくねえんだわ」

 その横顔に、巳影は何も言わなかった。遠くから、虫の音が聞こえてくる。廃寺に落ちた静けさに寄り添うような音色に、しばし耳を済ませる。

「こんな空気の中で、無粋なことは言いたくもないけどね」

 壁に身を預けたまま、来間は声だけを投げてきた。

「君が「それ」を連れて行こうというのなら、俺は阻止しないといけない。それが仕事だからだ」

 けど。と、声の間に深いため息を挟んで来間は続けた。

「この負傷じゃ動けないってことにする。実際、痛いしさ」

 来間は腕だけを壁から出し、ぶらぶらと揺らして見せる。

「ついでに意識も失っておくかな。出血多量で通るでしょ」

「……すまねえな」

 ボソリと呟いた声を残し、清十郎は一度も振り返ることなく、廃寺を後にした。

「君はいいの?」

 虫の音に身を預けていた巳影へ、疲労の色が強い来間が問いかける。それに巳影は腕を組んで唸り、肩を大きく落とした。

「まだ多くの謎というか、説明が追いついてないことばかりですが……止められません」

「……いい顔してたもんね、彼」

 来間は肩をすくめて苦笑した。


 □□□


 パチン、と。仁王像を背に、新山堅郷は将棋盤の上で歩の駒を一つ、前へと進めた。木製の駒は、広い本堂にあった静けさの水面に、乾いた音でさざなみを立てていく。

「そう腹を立てないでくれ。いくつか無断で行った事項にも、ちゃんとした理由がある」

 一羽の雀が仁王像の肩に止まり、小さく鳴いた。

「こちらも打てる手数が無限というわけではない。中には試しながらクリア、確認していくものもある。容赦してくれ」

 雀はコツコツ、と仁王像の肩をくちばしで軽くつついた。新山はまた一つ、歩の駒を前に出す。

「でも安心してくれ。これからはちゃんと連携していくさ……『土萩村』のためにも」

 新山の指す手が、ぴたりと止まった。雀は羽根を広げ、高い天井へと飛び上がっていく。

 再び、本堂は静けさに満ちる。新山は止まったままの盤面を前に立ち上がり、拳を落として将棋盤を押しつぶした。

「……いい気になりおって……獣どもめ!」

 遅れて、木に亀裂が入る音が響く。振り向けば仁王像の肩に凍った羽根が一つ、深々と食い込んでいた。


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