56:ブレードランナー
「……おにいちゃん、だあれ?」
廃寺の本堂に一人佇む「それ」は、どう見ても自分よりも幼い少女の姿をしていた。
人間で言えば、十かそこらか。本堂への出入りを禁止する鉄柵の檻には、人間にも強い害を及ぼす呪術がかけられていると、大人たちからは教わっていた。それでもなお、この「封印」というものは不完全である、とのこと。
強力すぎたのだ。鉄柵という即席の檻に閉じ込められているとはいえ、並の囲いでは、簡単に突破されてしまう。だが、「それ」は暴れる様子もなく檻の中で座りこみ、ぼろぼろの天井の隙間からもれる、光の一筋を見上げているだけだった。
生気のない、暗く淀んだ目は、言葉をなくしているこちらの姿を映していたが、やがて関心などなくなったかのように、また天井を見上げに戻った。
「鬼」。かつてこの町が村であったはるか昔に、大罪を犯し人々を恐怖に陥れた存在。それらは『独立執行印』という特殊な封印で抑え込まれ、村に初めて平和が訪れたという。
(……こんな子が、悪さをした鬼?)
衣服はズタボロであり、両手両足には重たそうな枷が取り付けられ、首には太い鎖が巻き付き、檻に繋がれている。
それは、教訓と戒めのための昔話で聞く姿とは程遠い。恐ろしいものとして散々聞かされていたというのにもかかわらず、先に感じたものは恐怖ではなく、怒りだった。
当時十三歳になったばかりの大場清十郎は、無知であった。しかし、遠い知識よりも、その時は溢れ出る感情を優先させた。
清十郎は、短く叫んだ。
「顕現!」
□□□
清十郎が戻った集会場は、つい先程まで行われていた法事の気配など微塵も感じさせず、ひりついた空気を含む「臨時作戦会議室」になっていた。出入り口の他に、あらゆる死角となる場所へと、黒服の男たちが配備されている。
集会場のメインホールへと通された清十郎は、そこで意外な人物たちを目にした。
相澤ししろ。柊切子。そして、つい先程自分を『飛頭蛮』の奇襲から助けてくれた、あの少年。更には三年前に海外へ留学に出ていた、神木紫雨までが顔を並べていた。
机を口の字型に並べ、上座には筋骨隆々の老人が、不機嫌さと苛立たしさを隠しもせずに座っている。下座である席に座る少年少女たちは、老人新山が放つ怒気に萎縮しているのか、入ってきた清十郎の姿を見ても、すぐに声をかけられないでいた。
「遅かったな」
吸っていた煙草を灰皿に押し付け、新山は清十郎に吐き捨てるように言う。それに全力で走ってきた清十郎はいささかムカついたものの、まだ息は整っていなかったこともあり、減らず口を返す前に一礼し、空いている席へと座った。
「来間」
新山の太い声に呼ばれ、控室から姿を見せたのは、スーツを来た細身の青年だった。一見どこにでもいるような青年に見えたが、腰に下げられている刀が、彼を「非日常の存在」であると語っていた。
「では、揃ったところで状況を整理しましょうか」
来間と呼ばれた青年は、あらかじめ用意していたのか、控室からホワイトボードを引っ張り出し、簡単な略図と情報を整理した文を書き出していた。
「まず、相澤ししろさんと神木紫雨さん。このお二方が『天静院』内にある第五の『独立執行印』の封印が破られていることを発見しました」
相澤ししろは俯き、気まずそうに口をすぼめている。一方神木紫雨はというと、気だるそうに頬杖をついて口を曲げていた。
相澤ししろが祖父である新山の前で縮こまっているのはいつものことで、そんな相手の前ですら、持ち前のへそ曲がりな性格を露骨に見せる神木紫雨も、いつものことであった。久しぶりに目にした旧友たちの変わらない様子に、清十郎の心は少しほぐれていった。
「それとほぼ同時に、遊撃隊である俺と柊さん、飛八くんが『飛頭蛮』の対処へと向かっていました。知らせが入ったのは処理が終わった後すぐ。今慌てて関係者が集まり今に至るというわけですが……」
来間がまとめ上げると、新山はギロリとししろに目を向けて言った。
「儂を出し抜くような真似はこの際不問にする。お陰で見張りも気付けなかったアクシデントを、最低な形で知ることになったのでな」
枕詞とは裏腹に、棘のある言い方で新山は鼻息を荒くした。
「知っての通り、『独立執行印』にはそれぞれの「鬼」が封印されている。その中身が現在所在しれず、だ。これがどれほど危険な状態であるか、聞くまでもないな」
新山は新たに煙草へと火をつけ、その指でこちらを……清十郎を指して言った。
「大場。今一度聞く。『天静院』へは、一度も行ってないな」
「……行ってませんよ」
清十郎は、半ば投げやりに答える。この問答には、その場にいた者たちが顔を固くする。……きょとんとしている、あの少年一人を除いて。
それを無視する形で、来間という青年も清十郎へと視線を向けて言う。
「第五の『独立執行印』に封じられていた鬼は……『暗鬼』、で間違いないですか」
「……。そうだよ」
清十郎は自分でも、ふてくされた顔をしているのがわかっていた。
「となれば、だ。大場のせがれよ。「鬼」ならば、お前が斬らねばならん……それができない、とは言わせんぞ」
新山が眉間に深いシワを刻みながら、こちらを睨みつける。それに対して、清十郎も相貌を険しくさせて返した。
「俺みたいな「なまくら」に? そっちのお兄さんの刀は飾りなんですか?」
皮肉を込めて、清十郎は口角を吊り上げる。水を向けられた来間は「いやいや」と苦笑し、
「俺の刀じゃ「鬼」までは斬れないからね。君の……大場家の役割というものは聞いているよ。そこはこちらとしても、頼りにしたいんだ。それに個人的な興味もある」
眼鏡の奥にある笑みは、どこか作り物めいていた。
「土萩村の頃より代々続いた「鬼の首切り」の家柄に、受け継がれたその太刀の輝き。後学のためにも、ぜひ見せてほしいよ」




