46:あなたたちを
守るための力が欲しかった。暴力では限界がある。デメリットも多い。
黙らせるには。うるさい蝿どもを黙らせるには、圧倒的な力が必要だった。示し、わかりやすく、理解しやすいのは、守る力が一番だと考えた。
「結界術を教えてほしい? いきなり現れて、なんだてめえは」
彼が、後藤力矢が術の研究として南米に移っていたのはラッキーだった。土萩町では訓練にならない。どこにいても、何をしていても。町中から「哀れみ」が寄ってくる。
かわいそうに。かわいそうに。かわいそうに。
こんな小さな子を残して。
自殺だなんて。かわいそうに。
「……。訳ありか」
死んだ人間のことなんでどうでもいい。自ら死を選んだ人間のことなどどうでもいい。
力だ。圧倒的な力がいる。何者だろうと及ばないほどの力がいる。力さえあれば。
「いいぜ。しかし一度でも音を上げれば、それでアウトだ」
何者が相手だろうと、何だろうと。すべてを弾き返すほどの力を手に入れる。
それが当時十一歳の少年、神木紫雨の始まりだった。
□□□
濁る意識の外から、金属が弾ける音が脳内に入ってくる。
「打たれるままでよろしいので? 反撃してもいいんですよ?」
いやらしい口調。明らかに愉悦で口の端を歪ませているであろうと、容易に想像できた。
「これ以上挑発に乗ってたまるか!」
返す言葉には、冷静でいろと、自分に言い聞かせているような檄があった。
(……動け。動け……)
うつ伏せになった体を、地面から引き剥がそうとする。だが、体は異様なほど重かった。
剣戟の音は、近い。早く起き上がり、彼に加勢しなくては。このままでは、飛八巳影は摩耗して殺される。
(師匠……?)
周囲の気配を探る。だが、周りにはなにもない、がらんとした空間が広がっているのみだった。
(どこに……くそ、意識が……おぼつかない)
指先で霊気を練ることすらできない。体がバラバラになったような感覚だ。
「ふふ、しかし。あの後藤力矢ともあろうお方が……なんともおかしな話ですねえ」
剣戟の合間を縫って、高橋の声が響いてくる。
「思念体まで残して……よほど不出来なお弟子さんだったのでしょうね。心配にもなりますよ」
(……)
動かない。
「未練だったでしょう。交通事故だと聞いていますが、自分以外の乗客に結界を貼り防御。しかし肝心のご自身には貼れなかったという。滑稽というかなんというか」
(……。……)
動かない。拳を固めたいのに。歯を食いしばりたいのに。
「技術そのものは目を見るものがあったと聞いていますが、このざまでは……身を挺して守った弟子を、死んだあともまたかばって消滅する……ふふふ、皮肉がきいていると思いませんか」
(……。……。……)
叫びたいのに。なのに。
何故、この体は泣くことしかできないのか。
「この弟子にしてこの師匠にあり。実に無能と物語っています。肝心な時に防御にならない結界術など、一体どれほどの価値がありましょうか」
(……黙れ、黙れ)
「黙れぇええ!」
火が咆える。膨れ上がった火炎の拳が、刀を持つ高橋の腕を、真正面から殴り飛ばしていた。
(……!)
目に映る背中は、両手に火柱を宿し、肩を震わせていた。
「あなたは、人を踏みにじることしかできないのか!」
「……何を正論ぶっているのか。弱いから踏みにじられる、でしょう? 当たり前のことではないですかね」
再び、拳と剣が交差する。火花が弾け、鋼のしなる音が飛び、空気を切る。
(……何故、僕は、動けない……)
指先だけでも動けば、「糸」を紡ぎ、なにかできるかもしれないのに。
「……ごめんな、さい……」
そんな言葉が、口からこぼれた。
(飛八さん、師匠……申し訳ありません)
自分では。
守れなかった。
「ほお。お前にしちゃ、随分と健気な物言いじゃねえか」
覚えのある声が、すぐ側で聞こえた。
「守る力が欲しかったんじゃないのか? そのために三年も俺の下で訓練したんだろう。弱音の一つも吐かずによ」
おぼつかない視野の中、とても見知った人影がこちらを向いて、不遜な笑みを浮かべていた。
「……師匠」
「やっと起きたな、寝坊助め」
俯いてしまう。顔が挙げられない。顔向けできない。
「それでいいのか。言いたいコトとやらは、まだ何一つ聞いちゃいねえが」
「……ぼ、僕は……」
手が震えていた。指先に力を伝わせようとしても、筋肉が全く働かない。だがそれでも、ぶつかる勢いを持って、腹に力を入れて口を開いた。
「どう、して……どうして、僕をかばって……あの事故で、あなたは……」
息がうまくできない。言葉と言葉の間に、荒れる呼吸が喉から飛び出ていく。
「……。俺は結界術師だ。守るべきものを守ったにすぎん」
「……」
「だから、お前も守るんだ。お前が守るべき、守りたいと思う者たちを」
「……格好、つけるなぁ!」
不格好な拳が、叫びと同時に後藤の頬を撃った。そのまま襟元を掴み上げ、紫雨は呼吸も捨てて、怒声を吐き出した。
「守れだって……? 守れないですよ! あんたはもう、あんたたちは死んだんだから! 目の前で! 僕が守りたかったのは! 守りたいと思った人は……あんたたちなんだからっ!」
言葉とともに、涙がぞろぞろと這い出てきた。
止まらない。嗚咽も、怒鳴り声も。こぼれていく。吐き出る感情から、今までの記憶も波打って流れていく。
「……すまねえな」
小さな笑みを浮かべると、後藤は紫雨の頭に手をおいて、自分の体へと抱き寄せた。
「俺も、お前だけは守らねえと、と思ったんだ。だからよ」
後藤はにこりと笑うと、紫雨の涙を乱暴に拭って言った。
「俺の守りたかったものを、お前が守っていてくれねえか」
見上げる紫雨は「え……」と、後藤の笑顔を見つめる。
「それは、お前だ」
紫雨の髪を乱暴に撫で、後藤ははにかんだ。
「お前自身を、守っていけ。お前が守りたいって思うんなら。守りたいって思う人がいるんなら。お前ごと、俺ごと……大切なものを守っていけ」
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勢いのまま突き出した右の拳は、確かに高橋の刀を真正面から砕いた。だが、先に笑ったのは高橋の方だった。
右腕を押されるがままにして、腰を捻った。左半身が勢いよく前に出る。黒い魔霧を噴き出そうとする左手は、飛び下がりつつある巳影を追って伸び、
「『悪性理論』!」
空を裂いて突く「糸」が、高橋の左手を貫通した。
高橋は苦悶の声を上げ、左手を握りしめる。「糸」は霧の中で消滅した。しかし、それは高橋の顔を愉悦のものから屈辱の色に染め替えるには、十分なものだった。
「紫雨!」
「だから、名前で呼ばないでって……はぁ、もういいです」
振り返った先。
半ばあきれた声であったが、涙の名残を目尻に浮かべていた紫雨は、妙に晴れ晴れとした表情を浮かべていた。




