45:魂魄消滅の魔霧
高橋の攻撃は、まるでフェンシングの突きを思わせる攻撃だった。刀を平らにし、踏み込むと同時に長いリーチを活かして、巳影の接近を許さないでいた。
「くそ……っ!」
刀の切っ先を火柱の篭手で弾き、巳影は飛び下がる。
(この人にこんな剣技があったなんて……!)
高橋は余裕の笑みを浮かべたまま、刀を前に垂らし、いつでも接近できるフットワークを刻んでいた。体躯の動かし方に無駄がない。
(加えて……あの左手)
右手に持つ刀の奥で、空の手である左手が、どうしても強く踏み込めない原因であった。
見た限りでは右腕と変わらず、肩まで灰のコーティングで包まれた甲冑のような装備だ。西洋の鎧などを想像させる。だがその何も持っていない左手からは、言いようのないプレッシャーを感じていた。
(ひどく不気味だ……あの左手を使わせてはいけない)
直感だった。説明できるような根拠はない。
「どうしました。近接戦闘には自信があったのでは?」
高橋のあからさまな挑発の言葉にも、返す余裕はなかった。巳影は常に右手の刀を防ぎながら、左手の挙動を注視していなければならない。それは焦りとなって、巳影から確実に余裕を剥ぎ取っていた。
「後藤さん、まだですか!」
高橋を視野に入れながら、後ろに下がっている後藤に声を飛ばす。
「すまねえ、もう少しかかる!」
後藤の腕に抱かれた紫雨の体は、光のワタに包まれていた。眠ったままの紫雨の顔からは、徐々に疲労の色やダメージが薄れている。
「回復……ふむ」
巳影ごしに後藤を見やる高橋は、わずかな間だけ笑みを消し、思案したかのように見えた。
「そんな足手まといを回復させたところで、スムーズに逃走できるとは思えませんがね」
またしても挑発の言葉に、後藤は何も返さない。ただ光のワタを制御して、愛弟子に集中する。
「しかし……あなたが回復術の類いを使えたとは、知りませんでした。結界術専門の術師だと聞いていましたからね」
高橋は、隙を狙って打たれた巳影の左拳を飛び下がって回避した。巳影は追撃しようと足を踏み出すが、高橋は一瞬左手を少し動かす。それだけで、巳影は踏み込んだ足を下げて大きく飛び下がってしまった。
「せめて懐に飛び込めれば……!」
本能が。生存本能や防衛本能が、あの左手がひどく危険だと、頭痛さえ引き起こすほどの警戒を鳴らしている。
「では……続けましょうか」
今までよりも、一段と早く深い突きが来た。巳影は切っ先だけを弾くのは無理だと判断し、腕を交差させて衝撃に備える。
「なんて、ね」
突き出された右手の刀は……軽かった。パチン、と火柱の篭手の上を滑った。高橋が踏み込んだ一歩は巳影に肉薄する距離であり、その視線は巳影、ではなく。その背後に向けられていた。
「狙いはあなたではありませんよ」
高橋は踏み込んだ勢いを左半身に乗せ、巳影が反応する前に左手を突き出した。勢いよく伸ばされた左腕は、黒い霧を手のひらからスプレーのように発射した。吹き付けるその先には、紫雨をかばい、背を向けた後藤がいた。
霧に包まれた後藤は、その身に黒色の染みを作り、苦悶の声を上げた。思わずのけぞった後藤の腕から、紫雨の体がこぼれ落ちる。紫雨を包んでいた光は一瞬で四散した。
「これは……」
後藤の指先まで、染みは広がっていく。腕、足、肩、服の上からも、黒い染みは領土を広げ、後藤の全身を真っ黒な影に塗り上げた。
「残留思念体の体には、さぞ効くでしょう」
体に染み込んでいく影は、チリチリと崩れ落ちる灰に変わり、後藤の体を粉微塵にして行った。
後藤が口を開く前に。全身の影は灰へと変わり、軽い音を立てて崩れて落ちた。
「そんな……!」
後藤の姿はもうどこにもなかった。後藤のいた場所……倒れている紫雨の側には、積もった灰があるだけで、気配や名残すら掻き消えていた。
「魂そのものに、干渉したんですよ」
離れた位置に戻った高橋は、懐からまた黄色地の札を取り出した。高橋の左腕を包んでいた鎧は何故か消滅しており、素手となった左手で札を握りしめる。
「あなたは「対消滅」という現象をご存知で? それを魂だけに限定した領域でおこしたのです」
黄色地の札が、高橋の左手の中で灰になっていく。その灰が、意思を持ったかのようにうずまき、高橋の左腕へと巻き付いていった。
「僕のとっておきの攻撃です。亡霊数体分のエネルギーを用意し変換しなければならないのが、少し手間ですけどね」
高橋の左腕が、先程と同じく灰でコーティングされたように包みこまれる。
「まあご安心を。対心霊仕様の技術です。生身の人間に使ったって、せいぜい苦しんで死ぬだけですから。時間をたっぷりと使って、ね」
「……簡単に言ってくれる……っ!」
おそらく、防御方法はないだろう。あの術のターゲットは「魂」そのもの。生きている存在である限り、浴びればもう解除することもできない、猛毒だ。
視界の端で倒れた紫雨の様子を確認するが、まだ紫雨は立ち上がる様子はなく、意識もはっきりと戻っていない。
「お遊戯はここまでにしましょうか。飛八巳影、あなたも消えてもらいますよ」
再び刀を前に構え、左手を奥に引き、高橋は笑う。
「動けもしない仲間をかばいながら、逃げることは出来ません。あなたになら、わかるでしょう」
返せる言葉がなかった。巳影はただほぞを噛む思いで構えを取り、焦りを加速させていった。
(どうする、どうする、どうする!)
混乱寸前の巳影を弄ぶかのように、高橋の刀が切っ先を飛ばす。巳影は完全に受けに周り、ただ打たれるがままになっていた。




