41:黙する痕
木張りの床に続く闇は、いくら目を凝らしても見通せない。まるで緞帳が降りているかのようだった。上を見上げても、天井らしきものも、闇の中に消えている。
後藤は、足元を囲むいくつもの数字と記号を、ひたすら睨んでいた。
「ヒントだけでもいただけないものか」
闇の奥から、赤銅色の髪の少年が姿を現した。歩いてくる少年、天宮一式を後藤は一瞥すると、挑発的に鼻で笑う。
「はかどらねえようだな」
「高橋も桐谷も苦戦している」
天宮は小さきため息をついた。遠くからは、どん……と空気を揺らす振動が鳴り響いている。
「くく、無駄だ無駄だ。破壊しようったってあの祠は崩せんぜ」
「さすがは稀代の結界術師が張った結界、というところか」
肩をすくめ、しかし焦る様子など全く見せない天宮は、後藤の前……後藤を囲む数字の前にあぐらをかいた。
「あなたが……というか、あなたのその残留思念はどれぐらい現界していられるんだ?」
「別によみがえったわけじゃねえ。まああと二、三日で消えるさ」
「それが消えたら?」
「俺は永遠にエラーコードとなって、結界の強化も解除も不可になる。『独立執行印』を守る結界全てがな」
「たちの悪いことだ、これは別の破壊方法を思案した方がいいな」
クスクスと笑う天宮は、まるで事の成り行きを楽しんでいるかのように見えた。後藤は笑みを消し、相貌を尖らせた。
「てめえら、一体何が目的だ。『独立執行印』を開放して……何がしたい」
「村興し」
そういう天宮の横顔にはなんの変化も見えない。
「……真面目に応えるつもりはねえか」
「心外だな、真剣に取り組んでいるさ」
しばし、沈黙が場を支配する。先に口を開いたのは後藤だった。
「もう『疫鬼』が開放状態にある。このまますべての『独立執行印』を崩せば、町は「土萩村」に逆戻りだ。そうなったらてめえ……」
そこまで言って、後藤は口を閉ざした。天宮は相変わらず微笑を浮かべたままだった。
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巳影がベッドの上で目を覚ました時、病室には切子とししろ、紫雨が顔を揃えていた。だが、病室は市民病院のものではない、木造の古い部屋だった。
「やあ」
隣のベッドには、帆夏が腰掛けている。どうやら町外れの『萩ノ院診療所』まで運ばれたらしい。
「状況は……」
巳影は身を起こしながら、誰というわけではなく、その場に問いかけた。
「祠ごと後藤さんは拉致。行き先は不明。さっき紫雨っちの治療が終わったばかり」
帆夏が足をぶらつかせながら、緊張感のない声で言った。紫雨は何も答えず、椅子の上で俯いていた。見た目に怪我らしきものはなく、巳影はそれだけでも安堵の息をつくことができた。
「どうやって追いますか」
窓の外を見やる。星の光が、小高い山を影にしていた。高く登った月明かりが、やけに眩しい。
「今それを話し合っとったところやけど……巳影は休んどかんでいいんか」
「動けますよ」
言って、巳影は布団を折りたたみ、ベッドの側に置かれていた靴を履き始める。
それをたしなめるかのように、切子は静かな口調で言う。
「闇雲に動くのは反対。だって町のどこを探してみても、誰かが……少なくとも、一つの集団が隠れられる場所はないよ」
少なくとも、「祠を持って移動する人物」という目撃情報は皆無だったようだ。切子によると、赤銅色の髪をした少年、という人物像にも、情報は全く出なかったという。
「……ヒントは、あるかもしれない」
そうポツリとこぼしたのは、俯いたまま顔をあげない紫雨だった。
「師匠のことです、ただで連れ去られるとは、思えない……例えば」
紫雨は部屋の隅に置いていたキャリーバッグを引っ張り出す。開くと、バッグの中には小さな八角形の形をした鉢のようなものが入っていた。
紫雨は全員の視線を集めながらも、その鉢を取り出すと、ポケットに詰め込んでいた白紙の札を中央に開けられている穴へとねじ込んだ。
「何、その八卦炉」
ベッドから降りて、帆夏が興味深げに「それ」を覗き込む。
「はっけろ……?」
どこかで聞いたことのある名前に、巳影は首をかしげた。
「古くは『西遊記』なんかにも出てくる、道教なんかで使われる道具だよ」
切子は興味深げに八卦炉を見つめながら、巳影に解説する。
「だけど、普通の八卦炉とは少し違うみたい」
「……」
水を紫雨に向けたつもりの切子だったが、紫雨は何も答えず、ブツブツと聞き取れないほどの小声で何かを呟いていた。そして、炉の上で手のひらを握り、そこへ息を吹き込んだ。
同時に、炉の中に押し込まれた白紙の札が燃え始める。火の粉を吹き出し、白い光を発する札は、やがて小さな光源の塊となった。それはまるで、ホタルの光のように見えた。
その光は八卦炉の方角を現す一角に、ゆらりと落ちて点滅を繰り返した。
「……方角は判明しました。やはり、師匠は探知できる気配を残しているみたいです」
「わ、わかるんやったら、もっとはよ言わんかい」
ししろが疲れた声で突っ込んだ。
紫雨が指した方角は山側……ではなく、町の中央方面だった。
「どのあたり?」
巳影もそばに寄り、皆で紫雨を取り囲んだ。紫雨はやはり顔を伏せたまま、八卦炉の光に手をかざし続けている。
「……郷土資料館」
ぼそっと呟いた紫雨は、そこでようやく顔を上げた。
「町の中央にある、郷土資料館かその近辺……みたいですね」
それを聞いたししろは、きょとんとしている切子と顔を合わせた。
「めっちゃ人通り多い表道やんけ……聞いた限りじゃ誰も不審者は見てへんで」
「近辺、ですから。そこを中心に、詳しく探ってみる価値はあるかと思います」
紫雨はそっと点滅する光を手のひらで包みこんだ。光は紫雨の手から灰となってこぼれ落ちていく。
(……紫雨?)
何故か、巳影は黙々と手を進める紫雨の表情に、違和感を覚えた。紫雨の顔色はあまりいいとは言えない。疲労がたたっているのか、発言も最低限のものになっているように感じた。
「ともあれ、今日はここまでや。巳影と紫雨は一晩まず、休め」
「動けますってば」
巳影はししろの言葉に語気を強めて返す。しかし、
「……師匠の思念は、数日は保つと思います。そして師匠の結界は、一晩でどうにかできるものでもありません」
紫雨は視線だけを巳影によこし、覇気のない声で言った。
「今日は、休むのが先だと思います」
「……。そ、そう……か」
八卦炉を片付けながら言う紫雨の背中には、何故か言い返しづらいものがあった。
「明日の朝から、学校返上で捜索や。届け出はウチがだしといたる」
ししろの言葉がトドメとなり、巳影はベッドの上に座り直した。
「仕切り直すしかないか……」
その場は解散となったが、紫雨は一晩同室のベッドで休むこととなった。
消灯しても、紫雨は一言も発せず、巳影には背を向け、眠りについた。紫雨の小さな背中を横目にしながら、巳影も仕方なく眠りにつこうと目を閉じた。
(……?)
意識がまどろんでいく中、鼻先がかすかに焦げたような臭いを感じ取った。だが、その臭いが妙に強く意識を眠りに引きずり、まぶたがとても重くなっていく。
巳影は程なくして深い眠りに落ちた。
紫雨が病室を抜け出すことにも気付けなかったほどの、深い眠りであった。




