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37:結界術師の意図

沈黙が落ちた。

「……」

 紫雨はまだ戸惑いを顔色に残し、

「……」

 巳影は撃った拳の感触に眉をひそめ、

「……」

 現れた男は、体をくの字にして顔面から地面に突っ伏していた。

「……何だったんだ、この人」

 踏み込み、ショートパンチを腹部に当てた。もちろん全力ではない。威力を殺し、次の行動のためのステップとしてのパンチだったが。

「ぐ、うぐおおお……」

 その一発が見事の男のみぞおちに突き刺さり、男はそれだけで倒れた。前に。今も腹部を抑えてうめいている。

「……ぐぐ。や、やるじゃねえか小僧、いい右だったぜ……」

「いえ……左ですが」

 よろよろと立ち上がる男の顔は、かなり青くなっていた。すでに、その姿からは圧力も敵意もなく、ただのグロッキー状態にあった。後ろを向けば、紫雨が顔を手で覆っている。

「いてて……こりゃ生きてたら死んでたな。一週間は何も食えねえ威力だったぜ」

「……」

 どす、と。巳影は右の拳を男の胸板に当ててみた。男はバランスを崩し、派手に転倒した。

「な、何しやがるクソガキ! 痛えじゃねえか!」

「……い、いえ……変な手応えだったなと」

 拳で撃った限り、その感触は生身の人間とは程遠かった。しかし死霊などを殴った際に覚える不快感や重みはない。

「そりゃそうだ。この俺は「残留思念」だからな」

 咳き込みつつ、男はよろけながら立ち上がった。その言葉に巳影は「残留思念?」とオウム返しに口を開く。

「しらねえの? ()()が残した思念が具現化したもんだ。地縛霊と似ちゃいるが、違うのはある程度コントロールが効くってところかな」

「死者……」

 何度か深呼吸した男は、落ち着きを取り戻して前髪を乱暴にかき上げた。そして太い笑みを浮かべる。

「驚かせて悪かったな。紫雨のツレっぽかったんで、ついからかっちまった」

 もうその男からは敵意も完全に消えていた。それでも顔は、いささか悪人ヅラのように見えるのは、おそらく第一印象がいまだ消えないからだろう。

「自己紹介しとくぜ。俺は後藤(ごとう)力矢(りきや)。結界術師だ。んでもって、そこのちっこいのが俺の弟子だ」

 男、後藤力矢は顎で巳影の後ろを指した。振り返った先の紫雨は、ほぞを噛んだような顔で押し黙り、そっぽを向いていた。

「残留思念を残したのは、ちょっとした心配事があったからなんだが……その様子じゃ、()()そうだな」

 後藤は紫雨に向けた視線を、鋭いものにする。

「おい紫雨。どうやら俺が死んだこと、引きずってるみてえだな」

「……」

 後藤の言葉に、紫雨はなんの反応も示さない。変わらず視線を避け、横顔には苦いものを含ませている。

「あの……話が見えませんが」

 ひとまずこの男は敵対する人間ではないらしい。が、どうしてこのややこしい時に現れたのかがわからなかった。

 その意味に気づいたのか、後藤は軽いため息を着きつつ口を開いた。

「別に俺は殺されたわけじゃねえんだよ。ドラマチックなことがあったわけでもねえ。事故だ。単なる交通事故……それに巻き込まれちまってよ」

 後藤はボリボリと頭を掻きながら、面倒くさそうに話す。

「二年前だ。バスでこいつと移動してたら、横から信号無視の乗用車が突っ込んできてな。まあ見事にその横っ腹にいた俺は直撃をくらったわけだ」

「……」

 後藤の言葉で紫雨の眉間には、深いシワが刻み込まれた。

「即死じゃなかったが……結局は運ばれた先の病院で死んじまった。まあそれは別にいいんだ。人間、寿命ってもんがある。特にそれに思うもんはねえよ」

「別にって……そんなに軽く……」

 世間話の調子で言う後藤は、戸惑う巳影を笑い飛ばした。

「大事なのはそこじゃねえよ。死んだ人間じゃねえ、生き残った人間の方が、遥かに大事だ」

「……いい加減にしてください」

 紫雨は、苛立つ様子を隠すこともなく、敵意をむき出しにして後藤へと振り返った。

「相変わらず、死んだ後でもお喋りな人ですね。一体、何の用なんですか。僕たちは今……」

 今にも飛びかかろうという剣幕を見せる紫雨だったが、それを真正面から迎えた後藤は冷静な様子だった。

「結界の強化の最中。ってことは……高橋京極絡みか」

「……!?」

 ビタリ、と紫雨は押し黙った。

「事情はおおよそ察しがつく。お前ら今……厄介な連中とコト構えてるみてえだな」

「知ってるんですか……『茨の会』を」

 紫雨の代わりに、巳影が返した。自然と巳影の相貌も険しいものになった。

 後藤は顎先に手を当てて「詳しくは知らねえよ」と言ったあと、

「ただ……何か企んでる連中が後ろにいるってのは、なんとなく感じていた。俺なりに探りはしたが、何もつかめないままだったがな」

「……そうでしたか……」

 巳影は唸るような低い声を出し、うつむいた。

「しかしロクでもねえことだってのは、簡単に想像できた。だから死に際、結界に細工を飛ばしたんだよ。いじれば「残留思念(おれ)」が出てくるようにな」

 後藤は押し黙ってしまった巳影と紫雨を一瞥すると、腕を組んで首を横に振る。

「紫雨と、そこのお前も。厄介事から身を引け。今すぐだ。もう関わるな。相澤と柊がいるんだろう。そいつらに任せろ。お前らじゃ、お荷物どころか足を引っ張る」

 後藤の言葉に感情的なものはなかった。ただの厄介払いの口調であり、巳影と紫雨の二人を「戦力」に数えていないことが分かった。

 そのぞんざいな言い方に、紫雨が目を吊り上げて唸った。

「……そんなことを言うために、わざわざ「残留思念」を残したんですか」

「不満でもあるのか?」

「……積もり積もって、大量にありますよ。あなたにはね」

 ズカズカと後藤に詰め寄った紫雨は、見上げる形となっても睨むのをやめなかった。紫雨を止めようと一瞬考えた巳影だったが、ここは紫雨に賛同するつもりで後藤に言った。

「俺も降りるつもりはありません。これは個人的な事情ですし、もう十分に首と足を突っ込んだ。逃げませんよ」

 巳影は紫雨の側に並び、やはり見上げる形になる後藤を見据えた。その二人の視線に、後藤は不敵な笑みを作った。それは初対面の時にも見えた、露悪的な敵意を持ったものであった。

「……強情な奴らだな」

 後藤が組んだ腕を解き、その手で指を鳴らす。警戒心を高めていた巳影はとっさに構えるが、その肩を、別方向から突き飛ばされて、数歩下がった。

「紫雨っ!?」

「だから名前で呼ばないでください、気持ち悪い!」

 紫雨の悪態が、途中で遠くなった。

 ずん……と、腹に響く重たい音が小道に響いていく。左右の防風林はざわざわと葉をこすり合わせ、吹いた風に身をしならせていた。

「簡易結界を作った」

 すぐ目の前にいるというのに、後藤の声は遠く聞こえた。巳影は走り寄ろうとするも、二人の手前でなにかにぶつかり、目を白黒させた。

「よく目を凝らせば見えるはずだ。今俺とこいつを囲む、箱状の結界を張った」

 後藤の言う通り、落ち着けば、限りなく透明に近い壁のようなものが、巳影の前に降りていることが分かった。

「そんなに戦いたいというなら、この程度の壁……破ってみせろよ」

 不遜な笑みで言う後藤は、手のひらを広げてみせた。

「ただし五分だ。五分以内にこの結界を破れなければ……こいつは連れて行く」

 後藤の側にいた紫雨が、ふらりと頭を揺らした。倒れそうになった体を細い足でなんとか支え、その手は首元を抑えていた。紫雨の顔色が悪い。

 後藤はその襟首を乱暴に掴むと、見えない壁に遮られた巳影の前へと放り投げた。

「お、おい紫雨!」

「だ、だから名前で……くそ、息が……」

 紫雨の呼吸がおかしい。まるで酸欠にでもなったかのように、過呼吸を繰り返している。

「この結界の中にある酸素を制御した。あと五分で完全にここは無酸素状態になる」

 淡々と、後藤は巳影を見据えて言った。

「酸素がなくなれば、思念体の俺はともかく、生身の人間であるこいつはどうなるかな?」

「あ、あなた……この子はご自身の弟子でしょうに!」

 あまりにも淡白な言いように、巳影は力任せに……苛立ちをあらわにして、見えない壁を殴りつけた。

「……!?」

 どんどん、といくら殴りつけても壁は微動だにしない。

「ほら、早く破らないと。こいつが死ぬぞ?」

「……気は確かなんですか!」

 巳影が声を荒らげる。だが、後藤は笑ってはいなかった。後藤の目は冷たく静かに、愕然とする巳影を写しているだけだった。

 そこに先程まであった人間味はなく、温度もない。その目の前で、紫雨は膝をつき、激しく咳き込んだ。

「さて。そうこうしているうちに……あと四分だ」

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