33:毒花の試験
「……以上が、事の顛末だよ」
市民病院のベッドで横たわったままの神木は、言葉を区切ると一息着いた。
「そう……高橋京極が、ですか」
ベッドの脇で椅子に座る小さな背中がつぶやく。
「何が目的かはわからないが、彼らは……『茨の会』とやらは、確実に『独立執行印』の崩壊を目論んでいる。どんな理由があっても許されない、危険な行為だ」
小さな背中は、病室の窓から見える空に目をやった。薄暗く曇る空を凝視する。
「……「疫鬼」が出ただけのことはありますね。この町の空気そのものが濁っている」
淡々とした声だった。
「もし『茨の会』が次に狙うとしたら……それはおそらく僕だろう。何しろ、封印管理者である僕自体が、非常に非力だからだ」
「『竜宮真鏡』の次は『帰らずの小道』、ですか」
「もし『独立執行印』が破壊され、『帰らずの小道』が開放されてしまったら……町は更に最悪な事態となるだろう。理由はわかるね、紫雨」
紫雨、と呼ばれた小さな背中は、無言でコクリと頷く。
「僕は明日で退院できる。その前に、紫雨に会ってもらいたい人たちがいるんだ」
「誰ですか」
「僕の学校に行って、オカルト研を尋ねるんだ。実際に『疫鬼』を退けた戦力だ。いわば、最前線基地ってところかな。その彼らと会ってみてくれ」
「……」
小さな背中はしばし口を閉ざした後、小さく頷いた。
一方その「最前線基地」では。
「んん~……」
「むぅ~……」
「……。あの、そろそろ一息入れませんか」
オカルト研の部室。ちゃぶ台に広がった無数の「書き散らし」をまとめながら、巳影はできる限りの作り笑いで言った。
「この線の強化はこっちの弱体化になるし、でもそうなると素材が……」
切子は巳影の声など聞こえない様子で、かりかりと紙に図形や数式を書き込んでいる。
「……あかん。ウチ理数系は逃げて通ってきた人生やねん……」
ししろは図形や数式に目を通しながら、顔を青白くさせていた。
「駄目だ……今ある結界の強化は難しすぎる……」
こんな作業をおよそ二時間通し、ついに切子はペンを手放した。
「……結界術、ですか」
図形の一部を見るも、一体それが何を表しているのか、巳影にはちんぷんかんぷんであった。
今後、高橋京極ら『茨の会』は『独立執行印』を狙う。
何のためか、まではわからない。だが現に宣戦布告までして、『独立執行印』の一つを先日破ったのだ。これに対抗するため、守りを固めることが先決であろうと、各『独立執行印』を守っている結界の強化を試みた、のであるが。
「現時点で張られてる結界がすでに高等技術なんだ」
頭痛のする頭をさすりながら、切子がこぼした。
「でも、高橋京極なら突破できる……もしくは、未知の手段を使ってくるかもしれない」
「せやかてなぁ……」
ちゃぶ台に突っ伏したままのししろが、げっそりとした顔を上げた。
「ウチら素人が、本格的な結界術に手ぇなんてつけられへんで……切子でさえアウトやろ」
「……うん、甘かった。甘い考えだった。基礎をかじった程度じゃどうしようもない」
小学生が大学受験に挑む難易度、とのことだった。しかも科目は数学、理系の総合ジャンル。もちろん、平均的な学力でしかない巳影には、「理解できないことが理解できる」程度で終わってしまっている。
「ひ、ひとまず休憩しましょうよ。売店で冷たい飲み物でも買ってきますから」
ちゃぶ台からは「コーラ……あ、カロリーゼロので」「冷コ微糖で」と注文が蚊のなく声であがった。
(あのタフな人たちがバテるほどなんだな……)
部室を出て、人気のない実習棟を歩きながら、巳影はため息をつく。部室に居合わせるだけで疲れてくるほどの追い込み様であった。
「ベタニア、結界術ってわかる?」
なんとなく、この頃おとなしい頭の中の獣に尋ねてみる。
『専門外だ』
ぼそっとそっけない返事が返ってきただけで、獣はすぐに頭の中から気配を消した。
校舎の外に出ると、夕暮れの近い空の下で、各運動部がグラウンドを使い後片付けを始めていた。そろそろ下校時間が近い。
売店はとっくにしまっており、自販機だけが稼働していた。
「切子さんがコーラで、ししろさんがコーヒーと……」
ついでに自分も何か買おうか。自販機の口から缶を取り、立ち上がった視界の端に、ふと黒いものが入り込んだ。
「……?」
校舎の外れ。裏門から続く裏道を、小さな影が歩いている。手で引いている大きなキャリーケースは、持ち主の体の半分はあるだろう。黒と白で縁取られたゴシックなデザインだった。服装もまた、フリルがあしらわれた黒を基調にするデザインであり、燕尾服のようなジャケットにキュロットパンツと、ずいぶん特徴的な服装をしていた。
「……誰かの関係者かな」
巳影の独り言が聞こえたのか、その影がこちらに目をやった。
細身であり、スラリと伸びた手足に、肩まで伸びた髪はきれいに切りそろえられている。まるで人形のような美貌を持った人物であった。年の頃なら巳影よりも少し下の、中学生ぐらいであろうか。
「失礼。道を訪ねてもよろしいですか」
やや低いソプラノの声をかけられ、巳影は思わず背筋を正す。ジロジロと見てしまったことに後ろめたさを感じてしまった。
「この学校の実習棟とやらに行きたいのですが、どう行けばいいでしょうか」
「実習棟?」
さして広いわけではない学校内だが……迷っていたのだろうか。
「それなら俺も戻る途中だから、一緒に来る?」
「それは助かります。ではオカルト研の部室まで、案内をお願いできますでしょうか……飛八巳影さん」
小柄な影は薄く笑みを浮かべて言った。それはひどく蠱惑的で美しい、熱を抜かれるほどの微笑だった。
「ふふ……そんなに構えなくてもいいのに」
自分が飛び下がり、臨戦態勢を取っていたことに後から気づく。額には嫌な汗が玉となって吹き出しはじめていた。
「君は……何者だ。どうして俺の名前を知っているんだ。もしかして高橋の……『茨の会』の一員か」
影は薄笑みを浮かべたままで、答えない。手にしていたキャリーケースのハンドルを離すと、手に黒いレース製の手袋を装着する。
「兄からあなた達に会うよう言われたのですが……本当に事足りる「戦力」なのか、拝見してもよろしいですか?」
細い指を口元に当てて、ふぅと吐息をついた。その瞬間、巳影の手足に違和感が生まれる。
「……!?」
両手首と足首に、何かが巻き付いている。それは物理的なものではなく、背筋を逆撫でするような不快感から、特殊なものであると本能が告げていた。
「兄ゆずりの結界術『悪性理論』……あなたならどんな論破をされますか?」
病的なまでに、きらびやかな美貌が微笑む。毒性を持った花ほど綺麗に咲く、というどこかで読んだ本の記述を思い出し、巳影は息をつまらせた。




