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30:破邪の命運

(見える……!)

 右目からは通常の視覚が拾う情報の他に、違った景色が見えた。

 ゆっくりと歩き、近づいてくる「疫鬼」は、ひどく濁り淀んだ色をその巨躯に宿している。その淀み……まるでサーモグラフィカメラやセンサーカメラで読み取ったような色合いの中で、特に強い光を発しているものがあった。

「頭部……額に何かあります!」

 薄暗い色の中で、そのくすんだ光はひときわ目立っていた。

 「疫鬼」の眉間の中央……そこに、白く脈打つ影が透けて見えた。その白い影は植物の根っこのように細い管を体中に巡らせ、収縮を繰り返している。活動のエネルギー源となる心臓部、つまりは「核」ということだろう。

「額、か」

 切子が一歩前に出て、右手を閃かせた。鈍く光るナイフがまっすぐに飛び、「疫鬼」の眉間へと突き刺さった。だが、その刃先はヘドロ状の頭部に少し沈んだだけで、ぼとりと力なく落ちてしまった。

「肉の壁が分厚い……並の力じゃ届かないな……」

 切子は肩で息をしている。もともと消耗している上に、もう周囲を濃く汚染していく空気が、体力を確実に削いでいた。

「ねえ巳影くん。さっきの技、もう一度打てる……?」

 視線だけを巳影によこし、切子が言う。それに巳影は押し黙った。

 さっきの技……黒点砲のことだろう。だが。

「……っくそ」

 手が、小刻みにふるえている。ぐっと握りしめても、どこかで力は漏れてしまい、拳に力や精神が充実して集まることはなかった。

(打てない……もうそんな体力も気力も残ってない……!)

 決定打がない。このままでは、全員があの「疫鬼」に汚染され死んでしまう……だけではない。あんなものが町に出てしまえば、パニックどころではなくなるだろう。

 あの日の、あかね団地の時のように。

「くそ……!」

 考えなければ。何か良い手は……。

「ししろ、どうする……」

「祝詞が直接相手の「核」に届けば、なんとかなるやろうけど……」

「近づくたって……すごい空気ですよ。毒ガスの中に飛び込むようなものです」

 すでに全員の呼吸が浅くなり始めていた。鼻が曲がりそうな腐臭と、死臭。それに喉を刺すように痛む空気。毒ガスという表現はあながち的外れではなかったかもしれない。

『神聖の力だ』

「え……」

 頭の中で、巨体が身じろぎする。

『あの鬼は『負』の塊でできている。『正』の力……神や仏の加護があるものであれば、与えるダメージは大きくなる』

「神や仏……」

 自分でぼそりとつぶやいてから、巳影は顔を上げた。

「ししろさん、あの……こんな時に初歩的な質問なんですけど、なんであいつに祝詞が効果を発揮しているんですか?」

 突然湧いた巳影の言葉に眉をひそめるししろだったが、「そうやな」と自身を落ち着かせる意味で一つ息をついて口を開いた。

「祝詞は神に捧げる言葉や。簡単に言えば、神様へ通じる道をつくり、言葉を届ける。そしてその言葉には、神様の力が宿る。神様と同じ力を再現できる。それが「疫鬼」に通用するんは、神が正そうとする「邪」そのものやからや。例えるなら、油汚れに強力な洗剤を直接ぶち込むようなもんや」

「……油汚れに、洗剤を直接ぶち込む……」

 ししろの言葉を自分の口でなぞるようにつぶやくと、懐から「とあるもの」を取り出す。

「これって、効果ありますか……?」

 巳影が取り出したものを見て、ししろと切子はともに、はっと息を飲んだ。

「それだよ、巳影くん! それなら十分に効果がある!」

 切子は力なく笑う。手には次に投げるナイフを、すでに握っていた。巳影は頷くと、もう目前まで迫っていた「疫鬼」へと顔を上げる。

「切子さん、相手の足元を崩せますか」

 言葉を聞いた時にはすでに、プランを練り終えていたのだろう。切子は巳影の言葉にこくりと頷く。

「ししろさん、俺が合図したら……」

「分かった、任せとき」

 腕に抱いていた帆夏をそっと寝かせると、立ち上がって呼吸を整える。

「よし……行きます!」

 巳影は気だるくなり始めていた全身に喝を入れ、歯を食いしばって地面を蹴った。巳影のスタートダッシュの横を、鋭い光が追い越して行く。

 電磁をまとったナイフが、「疫鬼」の足……ではなく、沼地のような状態の地面へと吸い込まれる。電流が、泥を伝って上を歩く「疫鬼」の体を遡った。太く苦しそうなうめき声をあげ、「疫鬼」は膝を折って体勢を崩してしまう。

 大きな頭部は地面に付き、ゆったりとした動きで持ち上がった。その眼前には、細かな装飾を施された木剣を逆手に持ち、躍りかかる巳影がいた。

 大きさはサバイバルナイフほどの、儀式用のものだと、この戦いが始まる前に切子から渡されていた、お守り代わりの剣。それを切子は確かに「霊験あらたかな御神木から作った、儀式用の宝剣」と称していた。

 神聖性を十分に身に染み込ませた、これ以上にない最適の武器であった。

「このぉお!」

 力任せに、顔を上げた「疫鬼」の額へと木剣を叩き込んだ。

 木剣は「疫鬼」の腐肉へ沈んでいくように、深々と突き刺さる。その先端が固く、熱を持つものに触れる。

「ししろさん!」

 叫んで後ろへと飛ぶ巳影と入れ替わりに、ししろが前へと走る。

「大海原に押し放つ事の如く! 彼方の繁木が本を焼鎌の利鎌以て打ち掃ふ事の如く遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を!」

 ししろは祝詞を口に地面を蹴り、その傍らでしゃがみこんでいた切子が一枚の札をししろへと投げ渡した。

 ししろはそれを鷲掴みにすると、腹の底から声を絞り出し、

「今日より始めて! 罪と伝ふ罪は在らじと! 今日の夕日の降の大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を! 諸々聞食せと宣る!!」

 握った札は白い光を放ちはじめ、ししろの握りこぶしを輝かせた。

「相剋!」

 ししろの拳は、「疫鬼」の額に深々と突き刺さった。その刹那、白く燃える一閃が「疫鬼」の内部から広がり、視界すべてを真っ白に焼いた。

 音は、なかった。それとも人間が感知できる領域ではなかったのか。白に染まった世界では、「疫鬼」の体はどす黒い色を抜かれ、脱色していく。体はヘドロ状のものから泥へと変化し、流れ、溶けていく。

 視界が元通りになる頃には、乾いた沼地が夜風に吹かれ、乾いた土の塊は地面の上を滑っていく。影響といえば周囲の地面に黒い染みを作る程度で、「疫鬼」はその姿を消していた。

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