28:高橋京極の妄執
膨らんだ熱気が静まりつつあった。倒れている高橋京極に動く気配はない。
「そこのあんたは、どうする」
ししろが用心深く、敷地の入口で静観したままの少年に声を掛ける。
少年は特に興味もなさそうにこちらを眺めていたが、一つため息を着いて、組んでいた腕をほどいた。
「もともと乗り気ではなかったが……更に興が冷めた」
「逃げる気か」
息を整えた巳影は一歩前に出て、拳を握る。
「あんたも……『茨の会』なのか?」
「答える義務はない……が」
そこで初めて、少年は感情らしいものを見せた。かすかに笑みを口元に浮かべ、巳影と同じく拳を握る。
「力付くで聞き出す……というのなら、付き合ってやるぞ」
少年の不敵な笑みと、巳影の今にも噛みつきそうな気迫がぶつかり合う。しかし、その衝突を先に流したのは、少年の方だった。
ふん、と鼻で巳影の気負いを笑うと、
「青いやつだ。ところでお前ら……あまり高橋を舐めない方がいい」
巳影が嫌な気配を覚え、振り返ったのと、足元の土が膨れ上がったのは同時だった。巳影、切子、ししろの足首を、土から生えた白骨の手が鷲掴みにした。
「骨……っ!」
すぐさま拳を足元に振り下ろそうとするも、骨の腕が巳影を持ち上げる力の方が強く早かった。巳影は足元をすくわれ、強く腰を打つ。
「巳影くん、動かないで!」
同じく足をすくわれ、倒れそうになっていた切子が、倒れざまにナイフを投擲する。近距離で放たれたナイフは白骨の手の甲を削ぐように飛び、粉砕させた。
「高橋……!」
なんとか起き上がった巳影だが、顔を上げた時には高橋の姿を確認できずにいた。倒れていた場所には、もう姿は見えない。
「ど、どこや!」
ししろは倒れながらも周囲を見渡すが、人影らしきものも見当たらない。立ち上がろうとするものの、腕に、腰にと白骨化した腕や手が伸び、つかみ、地面に縛り付けようとする。
「し、しぃ!」
それを剥がそうとしゃがみ込む帆夏であったが、多少引っ張った程度で骨の群れはビタリとも動かなかった。
「に、逃げえ帆夏!」
「でも……」
「ふふふ」
土を割り、白い手が地面から伸びた。それはヘビのようにうねると、しゃがんでいた帆夏の体へと巻き付いた。
「くぁ……っ!」
その腕は帆夏の首に固定され、腕は黒い色に染まり、膨らんでいった。
「高橋、おんどれ!」
黒色の膨らみはやがて法衣へと姿を変え、帆夏を羽交い締めにした高橋が姿を見せた。高橋は乱れる呼吸をそのままに、にやりと笑ってみせる。
「ふ、ふふ。待っていたんですよ……あの鎖がほどかれるのを」
巳影が踏み出そうとした瞬間、高橋が帆夏の首元に釘のような尖ったものを突きつけた。思わず踏みとどまり、巳影は奥歯を噛みしめる。
「あの鎖……『龍の髭』は僕にも解除できない封印術でしてね。自ら宿主が解くしか解除方法はなかったんですよ」
「鎖……」
ベタニアも影響を受けていたという、帆夏の目をがんじがらめにしていた、あの鎖のことだろうか。
「おかげで、僕ともあろうものが……一芝居打つことになりましたよ。身を削ってね」
「まさか……わざと怨霊どもに乗っ取られたんか!」
地面に縛り付けられたままのししろが呻く。それに高橋は笑顔で答えた。
「ええ。暴走を止めるとすれば、「核」を破壊するしかない。「核」を正確に見抜くには『竜宮真鏡』を使うだろうと予測していました。そして予測どおり、あの鎖はほどかれたわけです」
高橋の指が帆夏の頬にふれ、その指先を瞳へと這わせていく。
「っぐ……は、離せこの……害虫野郎!」
「気丈な子ですね。……だからこそ壊しがいがあるというもの!」
高橋の指の中から、釘が現れる。それは、帆夏の瞳へ深々と突き立てられた。
「お前ぇ!」
火柱を腕に宿した巳影の突進が、高橋を突き飛ばした。高橋からの拘束を逃れた帆夏は、ぐっと悲鳴をこらえながら目を押さえうずくまる。
「帆夏!」
「来ちゃだめ!」
ぼとん、と。まるで泥が落ちたような重たい音がなった。その後まるで集中豪雨のように、その音は……目を押さえる帆夏の手の間からこぼれ落ちていた。
「ふ、ふふ。言ったでしょう……封印は……『独立執行印』は、いただくと」
立ち上がった高橋京極の姿が、徐々に薄れていく。風が吹き、法衣はカラスの羽のようにばらけはじめ、夜空へと溶けていく。
「逃げるな! 高橋京極!」
巳影は腕を引き絞り、地面を蹴って突進した。だが、繰り出した拳は黒い影を焼いただけに終わり、そこに人の気配はなかった。
「くそ……!」
気がつけば、敷地の入口にいた少年も姿を消している。苛立ちと焦りだけが、巳影の心を炙っていた。
「帆夏! しっかりせえ!」
高橋が消えたことで、骨の拘束からは解かれたようで、ししろはしゃがみ込む帆夏に寄り添い声を大きく上げていた。
「ほな……」
巳影も駆け寄ろうとした時、背筋に走った怖気に勢いを引き止められた。
「しぃ……逃げて……」
呻く帆夏は顔を手で抑えるものの……帆夏がうつむく周囲の土は、ヘドロのようにぬかるみ、明らかに地面とは違う色になっていた。まるで土砂崩れで剥き出しになったような赤土は、気泡を浮かべながら、どんどんと広がっていく。
その泥は帆夏の手から……釘の突き刺さった瞳から流れ出ていた。
「この釘……なにかの呪術が施されてる」
顔を手で覆いながら、帆夏はなんとかといった様子で声を上げる。
「このままだと……『独立執行印』が……『中にいるやつ』が、出てくる……っ!」
帆夏の苦悶の声で、巳影は『独立執行印』というものが何かを思い出す。
封印。「危険な鬼」を封じたもの、だと。
「みんな逃げて!」
悲鳴にも聞こえた帆夏の叫びに応えるように。
帆夏の瞳から……破壊された『竜宮真鏡』からこぼれ出るヘドロは、やがて人の形へと変わっていく。泥が重なり合い、膨らんでは割れる気泡から呼吸のような音が漏れ出す。
足は太く、丸太のようで、体躯は膨らんだ腹を持っていた。その膨らみを超える大きさを持つ頭が、泥の体から生えるようにせり上がってくる。
「く、くそ……なんだってんだ!」
見上げる形になるほど、ヘドロから生まれた「鬼」は、巨大なものとなっていた。




