27:篝火の一閃、闇を焼く
高橋の口から吐き出される声は、もう人の声のそれではなかった。体をのけぞらせ、己の首を掴み、人語とは違う別の咆哮を吐き出し続けている。
悲鳴、怒声、憤怒、憎悪。あらゆる負の感情がうずまき、高橋から放たれる暴風を更に強くしていた。
「心霊のコントロールに失敗して、完全に乗っ取られたね……あの神童らしからぬ失敗だ」
帆夏は冷静に観察しつつも、自らをかばうように立つ巳影の肩をしっかりと支えていた。
「でも、その心霊を結びつけてる「核」を破壊すれば、この暴走は食い止めれる」
「破壊、か……」
荒ぶる暴風に、巳影は目を開くことさえ厳しかった。頬を叩き、切り裂くような冷たさがあると思いきや、マグマのような熱が服の上からでもえぐりこむことがある。もはや台風そのものであった。
「ちょっとまってね。『サーチ』してみる」
輝く結晶を目に宿した帆夏は、黒い影を吹き出し続ける高橋を凝視した。
「……高橋の右胸。そこに思念が集中してる。……これは……数珠?」
「み、見えるのか?」
「透視能力まであるわけじゃないけど、数珠の形をした道具が、高橋の袈裟に入ってるみたい。それさえ破壊すれば……うわっぷ!」
声が押し戻されるほど、風が強くなった。巳影も正直、耳元で聞かなければ、帆夏の声はわからなかった。
「提案を出してもらった後で悪いけど……」
なんとか、といった様子で暴風をしのぎながら、切子が険しい顔で巳影たちのそばに立った。
「私のナイフの投擲じゃ、届かないな……」
苦しげに呻く切子の声は、今にも暴風にかき消されそうになっていた。片手で腹部を抑え、もう片方の手にナイフを持っているものの、その腕で風を受けるだけで精一杯になっている。
その切子の横顔に、帆夏はにんまりと笑って見せた。
「大丈夫! そのために特訓してたことがあるんだからさ。ねー、巳影っち」
笑顔を向けられた巳影は、ぎょっとして声を上げた。
「い、いやだけど、訓練中じゃ一度も成功しなかったんだぞ!」
「大丈夫、ぶっつけ本番のほうがうまくいく!……と、ドラマチックじゃん!」
「盛り上がりの問題!?」
聞いていた切子は、怪訝な顔で巳影に言う。
「な、何か手があるの?」
「……。い、一応ですが……」
巳影はうつむき、ぐっと下唇を噛む。
『迷うな、飛八巳影』
暴風に支配されていた聴覚とは別のところで、地響きに似た声が、意識に入り込んできた。
(……ベタニア!?)
『忌々しい鎖が開放されたおかげで、ようやくまともに動ける』
鎖……。それは、帆夏の両目を封印していたあの鎖だろうか。
『なぜかあの鎖……私の出力までも抑える力を発揮していた。直に触れていたわけでもないのにな』
(それで最近おとなしかったのか……、まて。出力?)
ベタニアに一つ確認する。獣はそれに厳かに頷いた。
「……」
うつむいたままだった巳影の顔が、持ち上がる。
「どうしたの、巳影くん……」
「いえ、なんでも。それよりも……帆夏」
足に力を入れ、痛みをこらえて暴風の前に立つ。
「その「核」になってるものは……高橋の右胸に入ってるんだな」
「うん。早めに破壊しないと、心霊現象のメルトダウンが始まるね」
そうこう話している間にも、高橋からは黒く濁る影が吹き出し続けている。風の濃度は次第に重いものになり、呼吸すら難しくなり始めた。
ちらりと後方を見る。ししろは動かず、暴風に耐えていた。だがその目はひたりと高橋を捉えていた。
「……切子さん、帆夏。二人とも、ししろさんの所まで下がっててください」
両手に宿る熱を強く意識する。
皮膚の上に薄っすらと灯り始めた火は、瞬時に火柱となった。
「やる気になったね、巳影っち」
「ぶっつけ本番、上等だよ」
下がり際に帆夏が親指を立てて笑う。それに巳影もなんとか笑みを作ってみせた。
「……よし、ベタニア。力を貸してほしい」
暴風に折れそうになる火柱を束ねるよう、巳影は両手を組んでまっすぐ腕を伸ばした。指を組んだ拳から肘、そして肩に駆けて、赤い爆炎が突き抜けた。
「……『地獄門』、第二開放!!」
体そのものにかかる負荷が、一回り以上強くなる。だが、組んだ手の間に発生した熱は、瞬時に火柱となって高く立ち上った。うねり、暴れ、今にも爆発しそうな火炎のエネルギーを手や腕だけでなく、体全体で抑えつつ、腕を爆風の中心地……高橋へと向けた。
「地蓮流『黒点砲』……発射!!」
組んだ両手は燃え盛る火を一つの弾丸にし、空気と音の壁を破る。手首から肩にかけて走った反動で、巳影は大きくのけぞった。
こぶし大の火球が、黒い暴風を焼き尽くし、蒸発させながら突き進む。
それが高橋の右胸に吸い込まれた。音は次の瞬間にやってきた。
鼓膜を突き刺す轟音と、高く立ち上った爆炎は、宵闇の黒をあっさりと赤色で塗りつぶした。飛び散った風はそれ以上の速度で広がる熱気にあぶられ、蒸発していく。暴風の怨嗟までもが駆け抜けた熱に突破されて、やがて静寂を引き戻す。
「はぁ、はぁ……」
肺が極限まで収縮、膨張し、酸素を求めている。目がくらみ、血の巡りもおかしい。
だるく重い腕をだらりとおろし、巳影は膝を着いた。
「ど……土壇場で成功する、もんなんだな……」
声がかすれている。ひどく喉が乾いていた。
「おおー。あれが新必殺技かぁ」
帆夏が、ししろと切子を両肩で支えながら、座り込んでしまった巳影の元へと歩いてきた。
「すごいエネルギーだった……高橋京極は?」
切子は、離れた位置で倒れている人影に目をやった。高橋は仰向けに倒れ、その黒衣は右胸を中心に焼け焦げ、まだ煙を立ち上らせている。
「……生きてますよ。正確に言えば、高橋がまとっていた霊を吹き飛ばすので精一杯でした」
高橋は動く気配を見せない。しかしかろうじて胸が上下している。呼吸はしている様子だった。
「あいつには……『茨の会』のことを吐かせないといけませんしね」
巳影は震える膝に手を置き、一呼吸入れて立ち上がる。
「けど……帆夏。その目は……」
「うひひ、驚いたでしょ?」
雪の結晶を思わせる紋様を持った目で、帆夏が笑った。
「だから言ったっしょ。『竜宮真鏡』は持ち出せないところに隠してあるって」
悪戯小僧のように笑う帆夏に、巳影は力なく口元をほころばせた。




