26:暴走外法
「まずは見事と言いましょうか。個性的な結界術です。「檻」とは、あまり出ない発想ですよ」
口元は薄く笑みを浮かべているものの、高橋の目はまるで笑っていなかった。ぽんぽんと手をたたき、気の抜けた拍手を送る。
「世辞なら結構。それで、どうする。まだ出せる「演目」があるのか」
切子は握ったナイフを高橋に向ける。鈍く光る切っ先の奥で、高橋はしばし口を閉ざしたあとで、首を横に振った。
「このままでは埒が明かないでしょうね。互いに地味な消耗が続くだけ……ならば、今回の切り札を使おうと思います」
高橋は法衣の裾から二枚、赤い文字が踊る札を取り出した。
「死霊術にはこんな外法もあります……例えば」
手にした札を二枚とも、高橋は強く握りつぶす。高橋の握った手からは、薄黒い影がいくつも吹き出し始めた。
切子や巳影は構えを取り、警戒に専念した。
「心霊に取り憑かれた者を払うのが霊媒師の力ならば、その逆もまた力です」
高橋の手から吹き出る影は、見ているだけで体を重くし、胃の中をかき回すような不快感を与える。
影は輪郭のおぼろげな腕を生やし、何かを求めるように宙をなでていた。
夜風が強くなる。風鳴りの中で、怨嗟の声か、または悲鳴か。黒い影たちの鳴き声で、鼓膜がしびれ始めていた。
やがて影たちは、自分たちを握りしめている高橋へと、そのおぼろげな腕を伸ばし始める。触手のように伸びた影の腕は高橋の腕に巻き付き、首へと伸びた。高橋の白い肌に、みしりと音を立てて、手のひらの形をした痣が食い込んでいく。
「あれは……わざと取り憑かれている、のか……?」
高橋に巻き付き始めた影の腕は、ゆっくりと高橋の体の中へと沈んでいく。その様子を警戒しながら見ていた巳影は、背中に走る怖気と悪寒に身を震わせた。
「ええ。ひどく、ひどく気が進みませんが……あなた達を舐めてはならないと判断しました」
影が放つ怨嗟の風の中から、高橋の声が聞こえてくる。
「さあ亡霊たち。僕の体を媒介に膨れ上がれ」
無数の影溶け合い、渦を巻いて高橋の体を包みこんだ。まるで竜巻のようにうねり、暴風とともに耳を刺す悲鳴と怒号が撒き散らされた。それに思わず誰もが耳をふさぐ。
暴風地点に立つ黒い法衣は、足元から揺らめく無数の人影を背負っていた。
「……ふぅ。おまたせしましたね」
持ち上がった高橋の顔は、歪み、引きつり、輪郭はぼやけ、しかしつり上がった口端だけが明確で、ピエロのような笑みを見せていた。
「自分に心霊を取り憑かせて、なおかつそれをコントロールしてるみたいだね」
一番うしろに控える帆夏が、目の部分を塞ぐ鎖を指でつつきながら言う。
「つまり……どういうことなんだ!?」
叫ぶ巳影であったが、迎撃の構えをとるものの、吹き付ける風に押され、ろくに動けないでいた。
「簡単に言うとばかみたいなバフがかかってる。身体能力は普通の人間の比じゃないくらいのポテンシャルに高まってるよ。切子ちゃんのビリビリパワーみたいに、高橋京極は心霊を自らの身体機能を高めるエネルギーにしたんだ」
一歩、高橋が歩いた。その靴底が地面を焼き、一瞬で焦土にしてしまう。高橋の体から吹き出す暴風は収まる所をしらず、一歩二歩と近づいてくるほどに、耳に届く怨嗟の風切り音は強くなる。
「……っち」
舌打ちし、切子は両手に握ったナイフに、電流を通した。足にも電流を宿らせ、地を蹴って一気に高橋へと滑空していく。
「切子さん、一人じゃ無理です!」
巳影の声は、黒い暴風にかき消された。
切子の腕がきらめく。ナイフは電撃のほとばしりを弾けさせながら、弧を描いて高橋の首へと肉薄する。
だが、そのナイフはギリギリの所で停止する。高橋の手が、振りかぶった切子の腕をがっしりと掴んでいた。
「流石に速いですね」
歪んだ笑みがケタケタと声を立てる。その顔面へめがけ、切子は反対の腕を振りかぶる。
だが、電流をまとったナイフが、鈍い音を立てて弾かれて、地面へと落ち、滑っていった。
高橋はただ虫を追い払うかのように、腕を振っただけだった。払われたナイフは、突き刺さることもなく、あっさりと切子の手から吹き飛び、また切子も大きくバランスを崩してしまった。
軸足がぐらついた一瞬を、高橋は見逃さなかった。切子の腹部へと、拳を叩きつける。
「っ!」
切子はみぞおちに、肉が燃えるような痛みを感じた。黒い煙のようなものが、叩きつけられた腹から昇っている。
「そぉれ!」
掴んでいた切子の腕を、高橋は強引に引っ張り上げる。地面から引っこ抜かれた切子は無防備に宙へと投げ出された。
高橋が再び拳を握りしめる。制御の効かない空中で、切子ができることといえば、腕を交差させ身を固くすることだけだった。
「吹っ飛んでいただきましょ……」
「『地獄門』開放!」
灼熱の火柱が、黒い暴風を真っ二つに割った。横合いから殴りつけた巳影の拳が、高橋の頬へとめり込んでいく。
「痛いじゃないですか」
殴られた拳を受けたまま、高橋が笑う。
「……!?」
黒い手が伸び、巳影の顔を鷲掴みにする。瞬時に腹部、右肩、右足へと激痛が走った。まるで銛のように尖った触手が、高橋の腕から伸びていた。巳影は身をよじり、ひねり、なんとか拘束を振り払うと、慌てて高橋から距離を取った。
「くそ、何でもありかよ!」
足へのダメージは深刻だった。立てないほどではないが、踏ん張ろうとすれば、肉の内側から痛みが走る。
「いや……このパワーアップは時間の問題かも」
隣まで駆けてきた帆夏が、崩れそうな巳影の体を支えて言う。
「見てみ」
帆夏に促され、なぜか追撃してこなかった高橋を見やった。
「……ぐ、ぐぐ」
高橋の笑みが、崩れかけていた。歪む輪郭や滲む影に無数の顔が浮かび上がり、高橋の体へと更に入り込もうとしていた。
「たちの悪い霊を体に入れて、流石に無事じゃいられない。完全に乗っ取られれば、あとは霊たちが暴れまわる」
高橋はくの字に体を折り、頭をバリバリと引っ掻いていた。
「どうすればいい……!」
「高橋京極が心霊を束ねている「核」があるはず。それを破壊できれば……」
「核って……どこに」
じゃらり、と重たい鎖が音を立てた。
「肉眼で見えるものじゃないよ。でも『竜宮真鏡』なら見通すことができる」
鎖は地面に落ち、帆夏は前髪を乱暴にかきあげた。
「帆夏、その目は……」
巻き付いた鎖を解き現れたものは、雪の結晶を思わせる紋様を眼球に浮かべた相貌だった。
「私が、樹坂帆夏が「核」を見抜く。この『竜宮真鏡』でね」




