22:影からの刺客
高橋京極が、打って出る。そう改めて考えただけで、巳影の体に緊張感が張り詰めだした。
「早速切子にも連絡やな。ウチらも迎撃の準備を……」
「あ、ししろさん。ちょっと待ってください」
巳影は押し黙ったままの帆夏へと向き直った。どうも、自分のパソコンに入りこまれたことが、よほどお気に入らなかったらしい。
「帆夏。すまないけど、少し協力してほしいんだ」
「むー。何かな」
「もう一度、仮想世界で訓練したい。時間ギリギリまで」
巳影は自分の考える「高橋京極戦」について、ししろにも「訓練」のプランを話してみた。
「付け焼き刃かもしれないんですけど……ないよりはまし、というか」
「なるほど、新必殺技ね。面白そうだし付き合うよ、くふふ」
帆夏は二つ返事でOKを出した。だが、ししろは腕を組んでしばし押し黙り、
「……訓練するんは賛成やけど、帆夏にも封印管理者としての準備がある。時間は昼までに限らせてもらうで」
「わかりました。じゃあ早速で悪いんだけど、帆夏」
「了解。しぃはどうする?」
「ウチも可能な限り手を打って準備する。昼間には戻るから、訓練しっかりな」
言ってししろはスマートフォン片手に出ていった。歩きながら、切子へと連絡を取っているらしいことは、遠のいていく声でわかった。
「んじゃあやるけど……そんな便利な必殺技があったんなら、早く使っとけばいいのに」
「……じ、実は」
巳影は苦い顔を作った。
「理論は教えてもらった技なんだけど、一度も成功したことのないものなんだ……」
「へえ。難しいの?」
「基礎的な部類に入るんだけど……その、じっくり練習する時間もなかったというか、教えてもらう時間も少なかったし……」
巳影の歯切れの悪い言葉に、帆夏は「ははぁ」と口の端をつりあげた。
「技の師匠さんとは、喧嘩別れでもしたのかな?」
「う……ま、まあ……」
巳影はうつむいてしまう。その後ろ頭をぱちんとはたくと、帆夏は胸を張って言った。
「んじゃあ、今から完成させて、いずれその師匠さんとやら、見返しちゃえ」
帆夏の言葉に、巳影は苦笑を浮かべた。
「……そうだな。今は悔いてる時じゃないか。よし、やろう。時間もないし」
□□□
「高橋が……そうか」
学校の中庭で切子から報告を受けた神木は、形の良い眉を曇らせた。
「ならば、僕も防衛に……」
「いえ。先生には別のことをお願いしたいのです」
切子は神木にいくつかの「プラン」を伝える。それらを聞いた神木は顎に手を当て、頷いた。
「……そうだね。高橋との戦いは、最終的に「そう」なるだろうね」
「それに、先生が直接前線に出ても、あまり意味はないですから。弱いですし」
「そ……そうなんだけどね……ごめんね、三流管理者で」
□□□
それぞれが駆け回るなか、日暮れはあっさりと訪れた。時刻は、夜の八時に差し掛かろうとしている。
「ふぅ……」
息を整えた巳影は、庭先の飛び石に腰を下ろしてストレッチを始める。
(……結局、あの技を完全に成功させることはできなかったな……)
ししろに無理を言って昼をオーバーしたにもかかわらず、訓練の成果は出なかった。
(……いや、それでいい。付け焼き刃には危険も伴う。手堅く、できることをやっていこう)
体の筋を伸ばし、体を温めていく。そんな中、暗闇に沈んだ山道から、ミリタリーコートを羽織った人影が現れた。
「切子さん、結界の方はどうです?」
「順調だよ。ちょっとおまけもしてきた。あと、巳影くんにはこれ」
そういって、コートの懐から一振りの木剣を取り出す。大きさはサバイバルナイフほどで、細かい装飾が施されている。
「なんですか、これ……」
刃の部分を指に当ててみるが、切れ味といったものには無縁のように思えた。
「霊験あらたかな御神木から作った、儀式用の宝剣さ。お守り代わりにでも持っておいて」
握っていると、不思議な力が湧いてくるような温かさを感じた。巳影は礼を言って懐にしまい込む。
「ししろや帆夏ちゃんたちは?」
「少し前に、装束に着替えるとかって言ってましたけど……」
ふと冷たい風が吹き抜けた。後ろを振り向くと、巫女装束に着替えたししろがドアから出てくる。ただ、正月に見るような「巫女さん」の衣装ではなく、どちらかと言うと袴に近い作りだった。
「やあやあ。メインヒロインの登場だよ、くふふ」
「ふざけとらんと。また裾踏んで転ぶで」
ししろが帆夏の手を引いて庭先まで出てきた。帆夏もまた、同じようなデザインの衣装を身にまとっている。ただ、袖口や襟元に走る刺繍の文字が、巳影に妙な圧力を感じさせていた。巳影は初めて帆夏を見た時に感じた……正確には、今も帆夏の目を巻いている鎖に感じたざわつきを覚えていた。
「どうよ巳影くん。我々の勝負服は」
得意げに胸を張って言う帆夏へ、巳影は小さく首を横に振ってきっぱりと返した。
「似合わない。何か……物騒な感じがする。好きじゃないな……」
「……」
「帆夏には、アニメキャラクターが描かれたシャツのほうが、似合う」
言ってしまったあと、はっと巳影は我に返った。少しは場の空気を読むべきであったか。
しかし。
「……。うん、ありがとう」
帆夏は微笑を浮かべていた。いつもの茶化した様子もなく、ただ微笑んでいる。それだけだった。
「……いちゃついてるところ悪いけどさ」
切子の言葉が終わる頃、場の空気が一変した。緩和していたものが急激に張り詰め、肌を切るような緊迫感が山道……この敷地唯一の出入り口付近から、吹き付けてきた。
「来るよ、みんな」
切子の手には、すでにナイフが握られていた。巳影はバンテージを手に固定し、握りこぶしを作る。
闇を凝視する。光のささない山道の影は、どんどんとより深く、濃度の高いものへと変貌していった。
「お邪魔しますよ、皆さん」
聞き覚えのある、常に嘲笑を含んだ声が、木々の葉を一斉にざわめかせた。闇の中から、影が切り取られ、空気を黒に染めていく。
風になびく黒い法衣をまとった青年は、満面の笑みでこちらを見つめていた。




