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183/183

183:来訪者と観測者

 中学二年の終わりごろ、妙なタイミングで転校してきた少年が、飛八巳影だった。

 兼元陸郎の第一印象としては「どこか嘘くさい曲者」であった。少し緊張気味の挨拶。クラスに打ち解けた人柄。要領がよく、立ち回りがうまい。

 そんな少年の態度にどこか距離を感じる。物事に対し近い距離にいるのに、自分だけは半歩後ろにいて、俯瞰的な視野を確保する。

 処世術といえばそれまでだが、中学生に求められるスキルではない。浮かべる笑顔の奥では何を考えているか……推し量ることはできない。

 そんな少年をマークする。それが陸郎に与えられた、諜報員としての仕事だった。


「どういうことなんです?」

 放課後、人気のない校舎裏で陸郎はスマートフォンの向こうに不満をぶつける。

『まぁ……いつまでも隠しとってもしゃあないか』

 電話口から聞こえる関西弁はあきらめのため息をついていた。

『彼の精神の中には、獣がおる』

 すぐに答えを返せずにいた。ただ、周囲の気温が一気に上がったような気がして、額からは球の汗がにじみ出てきた。

『比嘉葵さんのところから飛び出してな。何とか別の人間がフォローしたものの、実質爆弾を抱えてるようなもんや。陸郎くんには彼に……飛八巳影に張り付いて、様子を報告してほしい』

 相澤天喜の声は緊張感を持ったものだった。

『このことは『茨の会』も新山の一派も把握しとらへん。様子を報告してくれるだけでええ』

「……責任重大ですね」

『押し付けようっちゅーわけやない。いざとなったらちゃんと大人が動く。でも学校内での様子を把握するのには、手段が限られる。陸郎くんが適任なんや。君の危機感なら、逃げるタイミングも分かるはずや。支持も出す』

「分かりました。最低限のことはやります」

 通話を切ってため息を落とし、薄暗くなり始めた空を見上げる。校舎からはチャイムが鳴り、部活動の終わり時間を放送部がアナウンスしていた。

「なんだか……今のだけでどっと疲れた気がする」

 ぼやいて校舎裏を去ろうとした陸郎の鞄から、着信音が流れ出した。陸郎は先ほど使っていたスマートフォンではなく、別のスマートフォンを取り出して通話のマークをタップした。

『お疲れ様です、陸郎くん』

 スピーカーの奥から届く、青年の声は朗らかな笑みを浮かべているだろうという、柔らかな調子だった。

「なんですか、高橋さん」

 高橋京極。彼の物腰は柔らかで、初対面の人間でさえ安心感を覚える人も少なくない。そういう接し方にしている、と本人は語っている。

『ちょっと気になることがありましてね。今すぐでなくていいのですが、コンパスの動きに注意してみてください』

「コンパスに……?」

『近いうちに、不穏な動きが出てくるかもしれません。その時の「座標」の変化を観察して報告してほしいのです』

「何か兆しでもありましたか」

 獣を宿した少年と同時に……何か関係があるのか? と、陸郎は相貌をとがらせた。

『いえ。これは僕の勘です。『土萩村』を知っている僕が感じる、嫌な気配が君の町に……あかね町に影響が出るような……そんな動きを感じるのです』

 高橋京極にしては、珍しく歯切れの悪い言葉だった。

「分かりました、周辺の変化には気を配っておきます」

『助かります。あくまで勘の範囲なので、表立って人を動かすことはできません。君が頼りですよ』

 通話を切り、また一つ疲れを乗せたため息をついた。

「これは胃がやられそうだ……」

 すぐにでも、今の会話を相澤天喜に報告しなくてはならない。『茨の会』は何かに勘づき始めている。

 兼元陸郎。その役目は『茨の会』から情報を抜き出すための、スパイでもあった。


□□□


 世の中には「子供」というだけで都合のいいことがある。大人たちは油断し、侮り、駒としか思わない。しかしそれが利点になることもある。それは盲点となる部分で自由に動けることだ。

 現に、高橋京極は極秘事項の管理を兼元陸郎という少年一人に任せている。その裏ではどんな行動をしているか、知る術はないだろう。高をくくっているからだ。子供なんぞに盤面をひっくり返されることなどない、と。

 放課後が過ぎ、夕暮れも夜空の中に溶けていく頃、陸郎は一人校舎の屋上にあがって、無人のグラウンドを眺めていた。もう残ってる教師すらいないはずだ。

 鞄の中から小さな木箱を取り出す。中身は、手のひらに収まる大きさをした、地球儀だった。陸郎はそれを空に掲げる。すると、地球儀は陸郎の手を離れ、浮遊し、ゆっくりと回り始めた。

 地球儀の周りには、薄く光る粒子が静かに流れ、それは日本の一部へと集約していった。

 その位置は……ここ、あかね町を指している。

 この光と光の動きが何を示すのか、そこまでは教えられていない。

 ただ高橋京極からはこの粒子の様子を観測し、粒子の着陸地点の座標を確認することを命じられていた。

 座標は変わることなくあかね町を示しており、特に変わった様子は見られなかった。しかし。

「……ん?」

 毎日確認している座標から、違和感を覚えた。あかね町に集まる粒子に、小さな乱れがあった。いつもならあかね町をさす地区にとどまる粒子だが、それがあかね町の近くで迷ったかのようにうねりを作って漂っている。

 そして、光はあかね町に着地することなく消えてしまった。

「なんだ、今の……」

 こんなことは初めてだった。あかね町に……定位置の座標に光が集まる前に、輝きは消えてしまった。

 浮かんだ地球儀、コンパスと呼ばれる器具を手に取る。瞬間、コンパスから陸郎の脳に向けて、ダイレクトな情報が流れ込んできた。光が消えた座標が脳裏にイメージとして広がっていく。そのビジョンの中では、光のうねりは町の上空で弾けて霧散し、塵となってあかね町へと降り注いでいた。

 嫌な汗が噴き出てくる。この異常はやはり、獣を宿すあの少年がこの町に来たから、であろうか。

「こりゃ……一波乱あるかもしれないな……」

 乾いた喉は生唾も飲み込めずにいた。陸郎は漠然とした不安を覚え、屋上を後にした。


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