170:静かな決起、闘志はまた灯る
「ただの噂話や暗喩だと思っていたんだけど……第一の独立執行印にはそんなものが……」
目を覚ました神木はししろからの話を聞き、重たいため息をついた。
「高橋京極や天宮一式らの話と、この異常事態……ウチも話半分に聞いとったもんですが、実在するものと思ってええでしょう。『茨の会』が呼び起こそうとしとる存在……『輝夜』なるもんを、ウチらで先に抑えるんです」
簡潔にまとめたししろの言葉には、否定も賛成もなく、病室には固い空気が張り詰めていた。体を鉛のようにする重さが、目を覚ました者全員にのしかかっている。
「まだ目が覚めとらん帆夏や蝶子の同意も得たいところやけど……回復するにはもう少し時間かかるらしい」
自然と、全員の目がまだ眠っている二人に向けられた。二人ともの顔色はよいとは言えず、しかし定期的な呼吸を保ってくれているだけでも幸いと言えた。処置した医者曰く、『斬鬼』から出る瘴気にあてられ、精神的な衰弱を起こしているとのことだった。並みの人間では、廃人になってもおかしくはない物だという。
「あの、一ついいっすか」
ベッドの上で身を起こした紫雨が手を挙げて言う。
「その『輝夜』……門ってやつの中で眠ってるとか、なんでしょうか」
「行ってみなわからんが……出てこられへんようにはされてるらしい」
ししろの返した言葉に、紫雨は眉をひそめて首をひねった。
「なんや、紫雨」
「いえ……なんかしっくりこないな、と。ただの印象の話だと思うんですけど……高橋や天宮って、その『輝夜』が復活することのこと……「降臨」って言ってたんですよ。「降臨」っていうからには、空からきっと現れるもんかと思ってたんですが。それなのに門の奥……「内部」にいるんすか?」
そう言って紫雨は身振り手振りを交えながら自分の中に生まれた違和感を表現した。それを聞いてた全員は、紫雨と同じ違和感を覚えた。
「確かに……彼らの言いぶりなら、空からでも現れそうにも思える」
顎先を指でなぞり、神木はつぶやいた。それに清十郎は頭をひねりながら、
「単なる方便の違い……で、すんでりゃいいんですがね」
と、切り捨てるつもりだったのだろうが、当人の顔はさっぱりとしていない。
「行ってみるしかない、と思う。どちらにせよ、私たちが取れる手段はもう少ない」
ベッドに腰かけていた切子が冷えた声で言った。
「問題は独立執行印を守る番人……これの厄介さは、封印管理者なら全員知っていると思うのですが」
神木はうなずいて、額に寄るしわを指でもみながら唸るように言う。
「……『影の祝福』か。これによる逸話も、本当の出来事としてとらえた方がいいかもね」
「おそらく、行けば全員が全員、その門番と相対することになるでしょう。こればかりは、確実に戦える人間だけが行くべきだと思います」
神木と切子の会話を呆けた顔で見ていた紫雨は、こそっとししろに「シャドウギフト」ってなんです?と問いかけた。
「簡単に言えば……心の暗部や。精神の弱い部分が門番となって現れる」
「弱い部分と……?」
「そうや。見たくない部分、目をそらしとった現実……それらが突きつけられる。いわば自分自身との戦いになる」
ししろの顔は険しいものだった。その気迫に、紫雨は少し気圧されてしまう。その気迫のまま、ししろは切子へと言葉を投げかけた。
「切子。戦える人間だけいうても、実質切子と大場さんだけや。せやけど、あそこで起こる戦いは……オフェンスやディフェンスを考えんでええと思う」
「……全員で行くつもり?」
わずかな時間、切子とししろの視線がぶつかり合う。
「寝とる人間はしょうがない。せやけど、ウチは出るで。その戦い、紫雨も神木センセーにも来てもらう。人手不足っちゅうだけやないからな」
「返り討ちにでもあったら……今度こそ助からないよ。何の保証もないんだから」
「それでも、や。不測の事態にも備えたい。それに……ここを超えられへんのやったら、この先生き残られへんやろう。もう正念場は目の前まで来とる。手段を選んどる時間もない」
ししろが畳みかけた言葉に、切子は苦い顔を作って声を詰まらせた。
「今は巳影もおらん。探したいところやけど、生きてるって信じてウチらはウチらのやれることをやらな、何も誰も前に進まへんで」
「……。ししろがそうまで言うのなら……分かった」
歯がゆい気持ちを飲み込んで、切子は小さくうなずいた。
「巳影の方なら、私に任せておけばいい。弟子のことだ、師が面倒を見るのが当たり前だからな」
病室のドアに背を預けていた比嘉葵が、組んでいた腕をほどいて一歩前に出る。
「私にもその門番の厄介さは想像できる。が、そこを突破する力こそが、最後に迫る戦いに必要なものになる。……今のままでは勝てない。それは全員が分かっていることだ、そうだろう」
比嘉の言葉に、一同は自然とうつむきかけていた顔を上げた。
当然だぜと鼻息を荒くして清十郎が言う。
「『茨の会』には恨みも借りもでっかいのがある。お返ししなきゃ気が済まねえ。それを果たせるってんなら、どんなもんだろうとかいくぐってやる」
「……僕もです。さんざん好き放題されて、僕が守りたいものを踏みにじる奴らをこの手で止められるのなら……きっと師匠がいれば、行けと言ってくれるはずです」
清十郎が切った啖呵同様に、紫雨は怯えの色を若干交えつつも、真剣なまなざしで答えた。
「……責任ってものが、あるんだよねえ。封印管理者には」
ごそごそと布団の中で動く帆夏は、寝ぐせのついた頭を出して言う。
「私は代々独立執行印を守ってきた者の一人として、『茨の会』に出し抜かれたことが許せない。役目としてのプライドと一人の人間としてのプライドが、連中を許すこともできない」
口調こそいつもの変わらない、間延びしたものであったが、前髪の奥に潜む目は、誰から見てもくっきりと浮かび上がるほど、強く輝いていた。
「帆夏……」
「しぃだけじゃないよ。私も、蝶子ちゃんもね」
げふん、と分かりやすい動揺を含んだ咳払いが、帆夏の隣のベッドで眠る枕元から聞こえた。しかしもう起きていたことを隠すことはできないと判断したのか、ぼさぼさになった髪を手櫛で直しながら、蝶子は身を起こした。
「町がこうなってしまった原因には、私の不甲斐なさも関わってる。だから少しでも可能性を広げる手段があるのだとしたら……私もその可能性を手に入れたい」
自然と、全員の視線が切子へと重なる。切子はその視線を真正面から受け止め、深くうなずいた。
「なら、準備ができ次第向かおう。目指すは第一の独立執行印が存在する空間……『聖域』と呼ばれる場所へ」




