166:鬼が斬る
「提案だ。お前たち全員を俺一人で相手する。俺を退けられたら、この場からの撤退を約束しよう」
湖畔で待ち構えていた天宮、高橋は勝手に前に出て言う『斬鬼』の発言にぽかんとしていた。
「あなた……相手を待っていた理由はそれですか」
高橋からは呆れた顔で言われるものの、『斬鬼』は気にした様子もなくカラカラと笑っていた。
「目覚めたばかりで体を動かしたいんだ。準備運動には丁度良かろう?」
前衛として前に立った清十郎、切子、そして比嘉葵はわずかに目くばせし、それぞれが無言で構えをとった。
少し離れた後ろでは、贅沢は言えないと神木が前に立ち、ししろ、紫雨、帆夏、蝶子を背にする。全員が緊張に顔を張り詰めさせていた。
「物分かりがよくて助かる。では始めようか」
『斬鬼』は鞘から刃こぼれの目立つ刀を抜き放った。切っ先を地面に垂らし、悠々と歩き、間合いを詰めようとする。
そこへ、まるでスライダーのようなフォームで切子が放つ投擲用のナイフが飛び込んだ。数は二つ。地面を這うように迫る一本と、眉間をまっすぐに狙ったもう一本。『斬鬼』は下方のナイフを前に飛ぶことで回避し、顔面に迫るナイフは刀の柄で弾き飛ばした。
『斬鬼』が飛んで着地する位置には、大きく振りかぶる軌道で迫る清十郎の太刀が風を斬っていた。そのまま降りぬけば、『斬鬼』の体は横に真っ二つになる。しかし、
「雑だな!」
『斬鬼』は横に振られた太刀の腹を、またしても柄でたたき落とし、清十郎の攻撃軌道をがくりとずらした。空振りとなった太刀は固い地面をえぐり、小規模のクレーターを作るだけに終わった。
清十郎は肩から大きく下へとバランスを崩し、地面へ倒れ込みそうになる。その顎先を迎えるかのように、『斬鬼』のつま先が蹴り足となって駆けた。
真横から地面を滑る形で『斬鬼』の蹴りの軌道からから清十郎を押し出し、立ち上がると同時に拳を上へと飛ばした比嘉の攻撃は、『斬鬼』の表情を一変させる。
伸びた拳はまともに『斬鬼』の顎を打ち上げた。のけぞった『斬鬼』の腹部へ、比嘉は飛び膝蹴りを叩き込むと同時に大きく後ろへと下がった。下がる比嘉の真横を飛ぶナイフは、態勢を立て直せないでいる『斬鬼』の四方を囲んだ。
下がる比嘉とスイッチする形で、切子が前に出る。右手に握ったナイフを逆手に持ち、着地前の『斬鬼』に迫って刃を真下から真上へと切り上げた。
その刹那、耳をつんざくほどの電流が弾け、投擲用のナイフで作られた四角形の空間は、目を焼くほどのまばゆく強い電気を発生させた。
胃の底を深くたたくような、落雷そのものの轟音は、『斬鬼』の体を囲んで弾けた。
『斬鬼』の体が焦げた臭いを発しながら沈み、片膝をつく。
「離れろ柊!」
後ろから清十郎の声が飛ぶ。その意味を理解したのは、いつの間にか『斬鬼』が腰から抜いていた鞘を手にし、切子のこめかみを強く打った後だった。
「変わった曲芸だったな」
顔を上げた『斬鬼』は不遜に笑う。そのまま鞘で切子の体を無造作に横へと打ち払った。切子の体は地面に引っ張られるようにして倒れ、二度ほど土の上を転がった。
鞘を袴の腰に戻すと、『斬鬼』はゆっくりとした動きで立ち上がる。そこへはすでに清十郎が太刀を運び、今度は真上から斬りかかろうとしていた。
大振りの一撃を『斬鬼』は一振りの刀で軽く受け止める。清十郎がいくら前に押そうとも、太刀は一向に進む気配はなく、『斬鬼』が軽く刃を返しただけで、太刀はあっさりと横に弾かれてしまう。
刃のこぼれた刀が、清十郎の肩から袈裟切りに直線を描き、大量の出血を呼び出した。
悲鳴か怒号か。唸り声をあげる清十郎は体が崩れ落ちる寸前、手のひらに現れた太刀を『斬鬼』に向けて打ち飛ばした。雷鳴を思わせる衝撃音が『斬鬼』の腹部に突き刺さり、肌を裂くような電流の停滞が周囲を包んだ。
「悪くはない」
電流をほとばしらせる太刀は、『斬鬼』の羽織る赤い着流しをわずかに焦がした程度に終わっていた。腹部へと当たる寸前、太刀は『斬鬼』の手で鷲掴みにされ停止し、次の瞬間には握りつぶされて粉々になった。
清十郎のガタイのいい体は、下から救い上げるような軌道を書く逆袈裟切りに体をのけぞらせ、そのまま背中から地面へと沈んでいった。
「ふん……こんなものか」
なんでもなく言う『斬鬼』は、刀に付着した血を一振りで地面へと飛ばす。その刀を返して正眼に構えると、同じく構えをとった比嘉と向き合った。その折ふと、『斬鬼』は訝し気に眉をひそめた。
「その髪の色に瞳の色……。お前は、どこかで会ったか?」
言う『斬鬼』に比嘉は答えようとしない。じりじりと地面の上で草履を這わせ、攻め入るきっかけを探っている。
後方で一連の攻防を見ていた神木たちは、怯えて固まろうとする体に喝を入れ、せめて何が起こっているかだけでも把握しようとしていた。
帆夏は赤く光る右目から見える情報を、紫雨の糸を伝って全員に視野を共有した。そこから見える『斬鬼』の姿は、異様そのものだった。
人の形をしている。だが、その表面には分厚くどす黒い血の塊が張り付き、全身をめぐるよう絶えず流動している。毒沼のヘドロのように見えるそれは、目にするだけでも体調を崩しそうなものだった。
そのヘドロを見て、ししろが奥歯をかみしめた。
「攻撃は当たっとるのにダメージになっとらん……あのヘドロみたいなんが、全部弾いとる! 一体なんや、あれは……!」
同じ視界を共有している蝶子は、ふと湖畔の跡地へ目をやった。澄んだ水は完全になくなり、落ちくぼむクレーターは瘴気に満ちた泥沼となっている。
「ね、ねえ……あの『斬鬼』の体に張り付いてるもの……似てない? 湖畔跡にある、あの泥に……」
蝶子がこぼした言葉に、帆夏がはっと息をのんだ。
「……魂」
つぶやく帆夏の唇が震えていた。
「独立執行印の楔となってた、魂が変異して『斬鬼』を包ん守っている……! 多分高橋京極の死霊術で仮初の器になった肉体は、楔そのものとしての機能を失わないまま……『斬鬼』を守ってるんだ!」
言いながら背筋がぞくりと冷える感覚に、帆夏は身を震わせた。
「そ、それってつまり、どういうことなんです!?」
半ば悲鳴のような声を上げる紫雨に、そういうことかと眉間を険しくしたししろが答えた。
「今『斬鬼』は独立執行印に守られてるようなもんや! 『斬鬼』本体にダメージを与えるには守りとなっとる楔を取り除かなあかんが……それは独立執行印そのものを解くのと同義なんや!」
ししろの怒鳴り声じみた言葉に、全員が息をのんだ。
「今の『斬鬼』を倒すか、本格的な鬼となった『斬鬼』を復活させ、町をまた異界へ近づけてまうか……くそったれ、こんなもん二択ですらあらへん!」
風が強くなり始めた。湖畔跡の沼地から立ち込める悪臭が広がっていく。赤色の空がまた深く濃くなり、光る太陽は禍々しささえ放っていた。




