164:深い闇、暗雲が立ち込める中で
街はずれの『黛工房』。神木の強引な割り込みにより逃げることのできた一行は、二階の工房に集まり現状を報告しあっていた。誰の顔も疲れと暗い色でくすんでおり、覇気のようなものか皆無だった。
「そっか、あんたが飛八のお師匠さんか……」
和服姿の少女を見やり、清十郎が疲れた声で言う。
「弟子が世話になっている」
比嘉葵は一礼すると、疲労と敗北感で打ちのめされている清十郎、紫雨、帆夏、そしてししろを順番に目をやってから、静かにつぶやくように言った。
「どうだった。あの天宮一式という者と戦って……何を感じた」
帆夏が真っ先に比嘉から視線をそらした。といっても、立つ自分のつま先に視線を落とし、うつむく形となる。その横では紫雨が大きく肩をすくめ、深いため息をついた。ししろは奥歯を食いしばり、言葉を出そうとしない。
その沈黙の後、清十郎は代表するかのように座っていた椅子から腰を上げて口を開いた。
「どうもくそもねえ……まるで手応えがなかった。暖簾に腕押しっつーか……柳でも相手にしてる気分だったぜ」
重いため息もついでに吐きだし、清十郎は力なく首を横に振って頭をうなだれた。
「正面から挑めばそうなる。むしろ、ここまで全員が無事だという方が奇跡的だ。天宮にその気がないとしても、十分僥倖だ。しのいだだけでも誇っていい」
淡々と言う比嘉に紫雨は声を返そうとしたものの、疲れが口を閉ざしてしまい大きく肩を落としただけに終わった。
「……けど、問題はそれだけじゃないですよね……」
うつむいていた顔を上げ、帆夏がつぶやいた。
「鬼が……『斬鬼』が現れてしまった……なら、町はもっと影響を受けてしまうのでは」
「多分だけど、今はそれほど強い影響はでないと思う」
答えたのは切子だった。柱に背中を預け、腕を組んだままで言う。
「今の姿は『斬鬼』そのものではない。第二の独立執行印も完全に開放されたわけじゃなく、現れたのは仮の姿だと思う。第二の独立執行印には人間の魂が封印の楔として使われている……それをおそらく、高橋が器として悪用した」
比嘉を除いたその場にいる全員がきょとんとした。
「言い切るな……別にお前さんを疑うわけじゃないが、その通りなのか?」
清十郎の言葉に、切子はうなずく。
「うん。確実だよ。あの姿が……『斬鬼』であるわけがない」
組んでいた腕をほどき、強く拳を握りしめる。まるで苛立ちを外に出さないよう、今の切子は自分から感情に封をしているように見えた。
「なら、まだやれることはあるわけだ」
一階から階段を上り現れた神木に全員の視線が集まる。
「これ以上独立執行印を揺らがすわけにはいかない。第二の独立執行印がまだ機能しているのだとしたら、それを強化し徹底して守り抜く。もちろん、『茨の会』は介入してくるだろうけどね」
神木が言い終わると、その後ろから空腹を焦らすような香りが漂ってきた。一階のキッチンから、蝶子が簡単な料理と握り飯を用意して、工房へと上がってきた。
「みんな、ひとまずお疲れ様。まずは腹ごしらえでもして、気持ちを切り替えましょう」
紫雨はつばを飲み込み、帆夏は自己視聴する腹の音に顔を赤らめた。清十郎とししろも部屋のテーブルに置かれた料理に釘付けとなり、苦笑を浮かべる。
「そういやウチら……昼からぶっ通しでなんも食うとらんかったな」
窓の外からは夜風が吹き込んできていた。高く登る月のためか、薄暗くはない夜空だった。
「んで、先生……車は?」
ししろの問いに神木は苦笑して、窓から夜空を見上げた。
「……レッカーで運んでもらうことになったよ。自損扱いでね」
「……むごいこと聞いてすんません……直ったばっかでウチらのために」
「いいんだ。子供を守るのが大人の、そして教師の役目だ」
大丈夫、と言う神木の目じりには光るものが浮かび、頬を伝って落ちていった。
□□□
「なるほど、うまくいったんだ」
仏間で胡坐をかく来間は、茶をすする高橋を前にして一つ息をついた。
「この調子で最後の独立執行印もうまくいけば……」
「ここで楽観的になってはいけませんね。むしろ、正念場はここからです」
湯呑から唇を離した高橋は、静かに続けて言った。
「『斬鬼』の復活は完全ではありませんし、存在自体もまだ不安定です。定期的に栄養となるものを与えねばなりません。それに最後の……第一の独立執行印。これも厄介なのですよ」
「そうなのか? こちらにはもう二人も鬼がいるというのに?」
「戦力なら申し分ありません。ですが、第一の独立執行印の守りは……。片手間にやってのけることは難しいでしょう。それに彼らも必死の思いで防衛しようとするはず。最後だからこそ、油断できないのですよ」
淡々と言う高橋に来間は眉をひそめた。
「どういう代物なんだい? 第一の独立執行印というのは」
「そうですね……一言で言い表すとすれば」
高橋は湯呑の中のお茶に写った自分の目を見てつぶやいた。
「……己自身、でしょうかね」
見上げる大きさの木像を前に、天宮と『響鬼』はお猪口を重ねて中の酒を喉奥へと押し込んだ。
「そうか、『斬鬼』は今休憩中か……惜しい、一目したかったがな」
「今の『斬鬼』は言うならゾンビのような状態ですからね。今は省エネのため眠ってもらっています」
そういって天宮は日本酒の瓶を傾け、『響鬼』のお猪口に中身を足した。それを受け取ると『響鬼』は苦笑してもう一口酒を口の中に含むと、
「もう敬語で話す必要はなかろう。今の俺は貴様の上官ではない」
「はは、習性ですかね。日本軍にはそれなりの時間、所属していたものでして」
「だが。ここからは同士であり共犯者であり、貴様は司令塔だ。気持ちを切り替えた方がいい」
しばしの沈黙の後、天宮は小さく一礼して「では、お言葉に甘えます」と笑った。
「して。ここよりどう動く」
「まずは、第二の独立執行印の完全開放を狙う。時間はかからんだろう。厄介者たちが現れなければな」
「ふむ……あの連中か。ここいらでケリをつけてはどうだ? 生かしておく意味もあるまい」
そう言って、ふと『響鬼』が眉を寄せた。天宮はお猪口にしせんを落としたまま、すぐに言葉を返そうとしなかった。だがそれもわずかな間で、天宮はふと笑みを浮かべた。
「そうだな、もう十分に構ってやった頃か……しかし、連中のうちの一人は生け捕りにしたい」
「飛八巳影、という小僧か」
「ええ。彼からは、獣の力を返してもらわねばならない。……取り返せる状態でいたならば……ね」
つぶやく天宮を見て、『響鬼』は喉の奥で笑った。
「今の貴様……ずいぶん怖い顔をしていたぞ」
酒をあおる天宮は「人聞きの悪いことを」と静かな笑みを浮かべていた。




