161:ラフメイカー
山に棲む生物も近寄らない、水呪の湖畔。そこへ現れた人物に誰もが身を固くした。
「待たせたか」
夕暮れも間近な山中には、虫の声すら響いていなかった。静寂を破ることをものともせず、ゆったりとした、散策気分の歩調で天宮一式が姿を見せた。
即座に前に出たのは、大場清十郎だった。後ろに控える紫雨、帆夏、ししろは元よりディフェンスに優れた面子。前衛を張れるのは実質清十郎だけだ。のちに合流してくる神木と蝶子が加わっても、この立ち位置に変化があるかどうか……。
「……よう総大将。いいのかよ、ラスボスが表に出てもよ」
清十郎は間合いを図りながら手に蒼い太刀を握りしめる。
「いつも高橋たちばかりに現場を任せているのは、少しばかり心苦しいのでな」
しれっと言う天宮の後ろに控える高橋京極は、こっそりとため息をついていた。
「それにここの独立執行印を解くには、高橋に集中してもらわなければならん。その間の護衛ぐらい、俺にも務まるさ」
凍り付いたように動かない湖畔の表面が、小さな波を立て、揺れ始めた。湖畔の前には高橋が立ち、錫杖を水面にかざしていた。
「あ、あいつ!」
高橋の方へ飛び出ようとした紫雨を、清十郎が手を挙げることで制した。今の布陣……メインアタッカーである切子と巳影が抜けた今、攻めの決定打が欠けている状態だった。加えて高橋京極そのものが持つ高い戦闘力まで清十郎の負担になれば、じり貧で負けてしまう……しかし。
高橋京極が攻撃に加わらないのであれば。
(……チャンスだ。これを逃す機はねえ!)
手に握られた太刀に、空気を焼く電流のほとばしりが絡みつく。
同時に、清十郎が踏み込んだ足は強く地面にめり込んだ後、その体を弾丸のように発射した。
地を裂く電流は、吸い寄せられるように天宮一式の胸に入り込み、長い刀身を深々と差し込んだ。
(獲った……!)
皮膚を裂き肉へと潜り、繊維を断って刀身の切っ先は、確実に心臓を貫いた。清十郎の手には確かな手ごたえが衝撃として残る。
太刀を引き抜かれた天宮の体は、ゆっくりと後ろへ倒れた。地面には血の色が広がっていく。
「え……や、やった……?」
あまりに速い清十郎の突きがもたらした結果に、紫雨は後ろで唖然とする。だがそれは、数歩下がった清十郎も同じく捉えがたいものを見る目をしていた。
「……驚いた。大したスピードじゃないか」
多少せき込みながらも身を起こした天宮は、傷が穿たれた胸を見下ろし感心の声を上げた。
「さすが百年以上生きてるだけあるな……やっぱ不死身の体とか、か?」
清十郎は強がるセリフを口にした裏で、思考を加速させる。だがどう思い返しても、確実に自分の刃は敵の芯を捉えていた。しかし、起き上がった天宮にはダメージすらうかがえない。
天宮は土のついたジーンズやジャケットを出て払うと、のんきな口調で返してきた。
「まさか。俺にも限界はあるし不死身というわけじゃない」
「……じゃあ今の一撃をやり過ごした解説をお聞かせ願いたいね」
清十郎の一太刀が与えた傷からはもう、血は一滴も流れてなかった。清十郎は再び構えるものの、踏み出す気力がごっそりと削られてしまい、精神的な疲弊を感じ取っていた。
「そうだな……すべて言葉で説明するのは難しいが、俺の手札ぐらい明かそうか。そこから考えるもいいだろう」
言うと天宮は足元に転がっていた小石を拾い上げる。その小石を手のひらの上に乗せ、手首を返して手のひらを下に向ける。
だが、手のひらにある小石はまるでくっついたかのように、天宮の手から離れない。それを油断なく見据える清十郎に天宮は微笑みかけた。
「怖い顔をするな。正体は、磁力さ」
「何……?」
「俺はとあるきっかけを境に、磁力というものをコントロールできるようになった。この小石も磁力で吸い付けているというだけだ」
天宮はあくまでフランクな、世間話でもするかのよな口調であった。それがより一層『正体不明』というベールを深く、濃いものにしている。
清十郎はそんなペースに飲まれまいと、気を張って口を開く。
「磁力だ……? それで刺された心臓をどうにかできるってのかよ」
「嘘ではないぞ。だが、工夫はした。そこまでは明かせないがな」
天宮は穏やかな笑みを浮かべている。戦いが始まってから、先手を打って相手の手札が明らかになったというのに、じりじりと肌を焼くような焦りばかりが体と思考を支配していく。
「では今度はこちらから……かな」
天宮は血で汚れたジャケットを脱ぎ捨て、ゆっくりとした足取りで清十郎へと近づいていく。清十郎はすぐに後ろへと下がり間合いを取った。
(なんだこいつは……何なんだ、このプレッシャーは……!)
得体のしれない男だとは分かっていた。だがこうも……情報は出そろうのに図りきることのできない規模を持った男相手に、清十郎の体は恐怖から硬直し、動こうとしなかった。
知らない、ということ。未知。それ自体がすでに、この天宮一式からにじみ出る異能だった。
「大場さん、横に飛んで!」
半ば裏返った紫雨の声が、氷固まる思考を瞬時に溶かした。清十郎が右にサイドステップを踏んだ瞬間、後ろから伸びた霊気の糸が天宮の体をからめとった。その糸を走る白い閃光が、天宮を包み込むと大きな爆音を生み出した。打ち付けたのは……紫雨の糸伝いに祝詞を叩き込んだ、ししろだった。
「しっかりせえ! 効かへんのやったら、効くまでタコ殴りにするんや!」
ししろの顔もまた、恐怖にひきつったものだった。だが清十郎はその通りだと強く奥歯をかみしめ、白く煙る奥に立つ人影をめがけて太刀を走らせる。
太刀は、立ち込める白煙を裂いただけに終わった。清十郎の横なぎの一閃は、霊気の糸から逃れ即座に後ろへと下がった天宮に回避されていた。だがその足元にも、両手の手首にも、紫雨が放った霊気の糸が絡みつく。
一瞬生まれた膠着。蒼い刃が天宮の体を袈裟切りに斬り叩いた。その衝撃で天宮は後ろに倒れるものの、次は即座に起き上がる。その体と動きを見ても、ダメージはやはりない。
「斬っても死なねえんなら、手足ばらばらにして動けなくしてやるぜ!」
叫ぶ声は、すぐにひるみそうになる弱い心に喝を入れるため。天宮に向かう者たちの声が重なるものの、その先にいる天宮自身は未だに微笑みを絶やさずにいた。




