158:ホーンデット・クロウセスト
目立つ容姿をしているとのことだったが、駅の裏手で合流したメッセージの相手を前にして、切子は面食らった。
「改めて自己紹介する。私の名前は比嘉葵だ。安全のためとはいえ電話越しに名乗れなかった非礼を詫びたい」
体格ならば小柄な巳影よりももう一回り小さく、何より目を引くのはその白髪……銀とも見える透き通った髪だった。瞳の色は赤く、着ているものが和服でなければ妖精の類いだと言われても納得してしまうだろう。どこか現実離れした美しさをもつ少女にしか見えなかった。
「あなたは……その」
びっくりした感想はひとまずひっこめ、切子は聞きたいことを言葉にまとめようとするが、何から何を、どう聞いていいかわからないほど謎が多い。言葉に詰まっている切子を見て、比嘉葵は自分から切り出した。
「まずは私の素性から話した方がいいか……私は元『月輝ル夜ノ部隊』の特殊班に所属していた。そこでは獣の力を宿した人間のケアに当たっていた」
「『月輝ル夜ノ部隊』の……特殊班? ケア……?」
初めて聞く単語の現れに、切子は話をうまくつかめないでいた。
「そうだ。獣の力を宿した人間を安定させるのが仕事だった。武道の精神と技を通してな」
獣を宿した人間……つまりは鬼に対し、宿った力の使い方を指示し、訓練して一つの戦力に育てると、比嘉葵は短く話した。
「だが天宮一式とは意見が徹底して合わなくてな。隙を見て、巳影を連れて部隊を離れた。その後しばらく巳影の面倒を見ていたが……くだらないことでケンカしてしまい、あいつは道場を飛び出してしまった。……そこからは別の人間に保護を頼んで、最低限の生活を確保してもらったというわけだ」
巳影の師匠だということは本当らしい。それも武術だけでなく、人としての道理や倫理も教えに入っているようだ。
この少女……にしか見えない比嘉葵という人物は、危険な人物ではなさそうだ。嘘をついている様子はない。切子はこわばらせていた体から少し力を抜く。
「少しは信用してもらえたようで何よりだ。しばらくは隠遁生活を送っていたが、天宮が……『茨の会』の動きが本格化してきた今、じっとしてはおれんのだ」
「それは、巳影くんのため……ですか?」
切子は少し意地悪い質問かなと思いながら聞いてみる。比嘉葵は若干視線を泳がせつつも「そうだ」と言い切った。照れくさい様子だった。
「もう一つお伺いしてもいいですか」
できるだけ感情を表さないよう、切子は静かに言う。
「何故師匠を……相澤天喜をご存じで」
この質問に比嘉葵はまっすぐ切子の目を見て口を開いた。
「古なじみ……といったところだな。彼が存命だった頃は、何度も手合わせし、技と力を競い合う……武人としての仲間だ」
言う比嘉葵の口調は、どこか誇らしげだった。
「もちろん君のことも聞いていた。彼は『月輝ル夜ノ部隊』の特殊班として土萩町に身を置き、従うふりをして有事の際に備えていた。その備えというのが君だ」
「私が?」
「優秀な弟子だと伺っている。まれにみる才能だとな」
今度は切子が気恥ずかしくなってしまった。そんなことを師匠である相澤天喜から言われたことはない。
「自己紹介はこれぐらいにするとして、本題に入ろうか」
仕切り直しとして、比嘉葵から朗らかな気配が消える。切子も頭と気分を素早く切り替えた。
「そちらの事情は把握している。独立執行印は残り二つ。第二の封印も今や危ない……といった状況だな」
「はい。ですが独立執行印は仲間が守ってくれます。ひとまずの心配はないかと」
「……。良い仲間を持ったようだな。なら我々がやることはただ一つ。『茨の会』を徹底的に洗い、丸裸にする。そこには必ず、獣と奴らが狙う『輝夜』という存在のヒントがあるはずだ。どう攻略すればことが収まるか……そこをまず明確にしよう」
言って比嘉葵は身をひるがえし、すたすたと歩いていく。足取りは目的地を把握している確かさを持っていた。切子はひとまず何も言わず、彼女の後ろについて行った。
比嘉葵は乗車券だけの切符を買い、駅構内へと入って行った。定期券で続いた切子は怪訝に思いながら続き、やがて駅員などが出入りする勝手口の前で足を止めた。
「あの、どこへ……」
切子の問いには答えず、比嘉葵は勝手口のドアを無遠慮に開けた。中の廊下は短く、すぐそばには降りる階段が薄暗く蛍光灯の光の届かない影の中に続いている。それを目にした瞬間、切子は視界に写った階段にだけ違和感を覚えた。
「階段から先には人除けの結界を施している。だが勝手口の手前にいては、駅員に見つかって面倒になる。早く来てくれ」
『帰らず小道』で人を無意識に遠ざけるための結界と似たものらしい。誰かの目に入るかもしれないが、決して「そこ」へは関心が行かないよう意識をずらしてしまうタイプのものだ。違和感はそれを感じ取っていたらしい。切子は足早に勝手口から階段へと降りていく。
しかし、何故駅構内にこんな結界があり、そして彼女はそれを知っているのだろう。この町に長く住んでいる切子でも、存在そのものを知らなかった。
「一つ尋ねたい」
階段を降り、たどり着いた一枚のスチールドアの前で比嘉葵は切子へと振り返った。
「高橋京極らが作った異界を内包する結界……それについて情報がほしい」
切子が問いたいことばかりであるが、ひとまずは比嘉葵の疑問へと答えた。異界の風景、そして異界の中の駅に鎮座する五重塔のことを話すと、比嘉葵は目を険しいものにした。
「予想しているよりまずい展開だな……。もうその異界が現実世界のこの町に成り代わるのも、時間の問題かもしれん」
「それは確かに、なんですが……あの、ここは?」
スチールのドアはかなり古く、黒い錆びをこびりつかせている。ドアノブには埃がつもり、長年誰もここへ立ち入っていないことを物語っていた。
「なごりさ。ここが……この町の中枢がまだ『土萩村』だった頃のな」
「え……」
疑問符を解消する前に、ドアノブがひとりでに回り、金属がゆがむ甲高い音を生みながら、スチールのドアが開いていく。
「正確には『月輝ル夜ノ部隊』の実験施設の跡地だ。もちろん事実は隠ぺいされ、関係者でも知る者は少ない」
ドアの中は、深い濃度の闇で満ちていた。視界が全く通らず、中の様子は全くうかがい知れない。
その闇の中から耳朶をこするような、小さな音が届いてきた。ブラウン管テレビが電源を入れた瞬間に発する音波にも似ていた。
部屋の奥の一角。闇が四角に切り取られ、薄明りが灯っている。何かのモニター、だろうか。
「眠っているところ失礼する、研究室長。今は非常事態なんでね」
比嘉葵の言葉に呼応するように、暗がりから浮かび上がるモニターはノイズを発しながら、その中に男性の声と思われる笑い声を混ぜ込んできた。
『冥府の棺を開けるほどの事態かい? それは興味深い……僕はとても退屈していたところだ』
瞬時に臨戦態勢に入る切子を、比嘉葵は手で控えるように制した。だが、切子の体を包む不快感は簡単には払拭できずにいる。
その原因である、モニターから聞こえる男の声は再び不気味な笑い声を発した。
『そう怖がらないでほしい、僕は無害で非力な存在だ。危害は加えないことを約束する。何せ、こんな体だからね』
暗闇に目が慣れてきたからか、それともモニターの声が促したからなのか。
モニターの真上には、天井からぶら下がる白骨死体の物言わぬ暗い眼窩が、警戒する切子を捉えるように向いていた。




