153:仄暗い決着
炎の渦と血流の渦がぶつかり合う。轟々と燃え猛る火柱を体全体に宿す巳影は、同じくして突進する新山と正面衝突を起こす。新山の肉体はその炎の波に飲まれながらも、一歩また一歩と前に進むことをやめない。そのたびに皮膚が、筋肉が、血管が、神経までもが露出するほどに焼かれていき、霧のような血しぶきが新山を囲むように噴き出していた。
だがそれでもと、火柱に向かう足を止めない。立ちはだかる炎に手を伸ばすものの、指先から肉が炭となり黒くなって崩壊していく。
新山の雄たけびが、自身の巨躯を奮い立たせた。骨だけとなった拳は炎の壁を突破し、巳影の頬にねじ込まれた。
巳影が後ろへと大きく傾く。火炎に包まれたままの巳影を追うように、焼けただれた足を踏み込んで腰を返し、風を切る拳を突き出した。
バランスを崩した巳影の腹部へと深く、新山の正拳突きが突き刺さった。
巳影を形どる炎の輪郭が弾けて飛び散り、内側から吹き荒れた拳の暴風によって消える火の粉の奥。新山は笑みを作り、会心の一撃で沈む獲物を一瞥しようと顔を上げた。
目が合う。互いの視線が交わる。
巳影の……巳影の奥にいる者の目が、笑みを引きつらせる新山の顔を映していた。
その顔に、深く濃い影が落ちていく。拳を突き立てた巳影の腹部が、目を焼くほどの熱と閃光を生んでいる。
赤い光は瞬く間に新山の体を通り過ぎる。新山が口を開くものの、それは声にもならなかった。その喉の奥を、真っ赤な針が貫通していく。新山の背筋が、血と火で滴る針の山と化していた。新山の拳がこじ開けた巳影の腹部からは、高熱で赤く染まる針が花咲くように広がって伸びている。
針はやがて火の粉へと変わり、火花のように散っていった。針に貫かれていた新山の体が、ゆっくりと地面に倒れ、うつ伏せに沈んでいく。
老人が倒れる音は、小さなものだった。隆起する筋肉の鎧は元の人間の肉体へと戻り、膨張した口元は引っ込み、人間の頭部の形を取り戻していた。
その様子を巳影の瞳の奥で見ていた存在が、まばたきの後で気配を消す。巳影の小さな体は力をなくして後ろへと倒れた。
乾いた風が吹く。その場にいた誰もが、すぐに動けずにいた。最初に声を上げたのは誰だったか。倒れる二人へと駆け寄るきっかけすら誰の頭にもない。しかし眠るように倒れる巳影が静かな寝息を立てていることに対し、全員が大きなため息を漏らしていた。
それで我に返ることができたのか。すぐさま切子と帆夏が肉体に異常がないことを確認した。安堵の息をつく紫雨は、地に伏した老人の元に立つししろへと目をやった。側には警戒のため太刀を手にした清十郎が立っている。
新山堅郷は、虚ろな目を開けて側に立つししろを見上げた。
「……儂が、負けたか」
掠れた声で言い、新山はしゃがみ込んで顔をのぞくよう見るししろへ、苦笑めいたものを浮かべる。
「なんという面か。ししろ、胸を張るがいい」
「……」
言葉を返さないししろを鼻で笑い、新山は頬を地面に横たえ、ゆっくりと目を閉じた。
その目はもう開くことはない。肉体は『月人』になった反動か、流れ出る血は砂のようなものに変わり、筋肉は空気の抜けた風船のようにしぼんでいく。
そこに残されたものは、老人だったものの名残である灰の塊だけだった。
生ぬるい、腐臭をはらむ風が吹く。灰は音もなく赤い空へと吸い込まれた。そのすべてが消える前に、ししろは全員に振り返って言う。
「いったん帰ろか。巳影も念のため医者に診せなあかんし……。みんな、ひとまずはお疲れさん……やね」
笑顔にはなれなかった。大きな区切りが一つついたというのにも関わらず、胸に残る重みは晴れることはなかった。
□□□
どんよりとした空は、午後も過ぎたというのに空風を運び出していた。カフェの一角で文庫本に目を落とす天宮一式は、カプチーノを一口頬の中に含むと静かに文庫本を閉じた。
「おや、こちらでしたか」
向かいの席に座った高橋に、天宮はちらりと視線をよこして一息ついた。広いとは言えない店内のテーブルには、天宮と高橋以外に客はついていない。
「新山さん、残念でしたね」
ホットコーヒーをすする高橋に天宮は肩をすくめる。
「まったくだ。これから誰が政府とのパイプ役をやればいいのか」
「責任者は天宮さんでしょうに。ご自分で動かれては?」
天宮が露骨に顔をしかめ、それに高橋は苦笑する。
「まあともかく。あのご老体にはたくさん動いてもらいました。一つぐらいお礼をしてもいいのでは?」
「そうだな……場を耕してくれたのは事実。欲を言えばあと一手であったが……」
固い音を残し、指でもてあそんでいた一振りの肥後守をテーブルの上に置いた。
「新山の悲願、俺たちが仕上げよう。この町が生まれ変わる瞬間を目にできないという意味でなら、新山は残念だったな」
天宮はそう言って、肥後守にそっと指先を添えた。次の瞬間には、肥後守の柄に収まっていた刃が、いびつな……まるで生物が起こす痙攣のような震えを身に起こしながら、赤く照る刀身の姿を吐きだすように押し出した。




