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151:渾身の一矢、届かず

 深く食い込んだ口角の端が耳元まで伸びた。むき出しになった歯は徐々に肥大化していき、頭部のバランスを大きく崩した。膨れ上がった前歯に押される形で鼻梁が顔の奥へ……額付近まで伸びて言った。

 眼球は眉間の両端を離れて、膨張する口部分に場を優先させるかのように真横へとずれていく。顔の半分以上が大きな歯を持つ口に占領された。したたり落ちる唾液は止まる様子を見せない。

 ただでさえ太く屈強であった筋肉を持つ腕は、内側から膨れ上がる筋組織のために膨張し、破裂寸前まで膨らみあがる。袴をまとっていた足部分も同じくして、筋肉が膨れ上がりいびつな気泡のようなものを皮膚の中に泡立たせた。膨らみ続ける足に袴はいともあっさり内側から破裂するかのように切り裂かれ、その異形が全貌を見せる。

「この力の高揚感……貴様らが理解できんとは、なんともったいないことよ」

 地を揺らすような深く重い声が、巨大な口から吐き出された。喉から出る声はすでに人間のものではなく、異音が重なり合った結果、かろうじて聞き取れる(ことば)となっていた。

「まあいい。しかし、腹が減った」

 頭部の側面へ移動した眼球がぐるりと回った。その視線は『月人』と化した新山を囲む者全員に刺さる。誰もがそれに総毛立った。動こうとしても、絶対の捕食者を前にして、動物としての本能が恐怖で頭を真っ白にしている。

 具足などを破裂させてしまった大きな足が、一歩前に出る。足の形は大きくなり、類人猿の形をほうふつとさせた。鋭くとがる爪ごと指が土をつかみ、人の顔以上の大きさがある足跡をつけて前へと出て、一歩ずつ歩みを進めていく。

 硬直は、落雷の響きで破られる。手に太刀を握った清十郎は、雄たけびを上げながら新山へと突進する。声は擦り切れ、裏返る程に大きく発した悲鳴のようでもあった。

 だが、そのがむしゃらに振り絞った声に、全員の凍り付いた思考が弾けて割れる。体をがんじがらめに縛っていた恐怖心が、わずかに緩んだ。

 清十郎に続いて動きを取り戻したのは、霊気の糸を新山の周囲に走らせた紫雨だった。

「……んんぐぎ!」

 涙目になりつつも歯を食いしばり、自分を奮い立たせた紫雨は地面に手のひらを強くたたきつける。同時に新山を囲む八角形状に敷かれた糸が、その何倍もの太さを持つ蔦を生み出した。蔦は鋭く太い棘を持ち、一瞬にして新山を埋め尽くす勢いで突起する。

 だが、棘を持った蔦は『月人』と化した新山の肌を撫でるだけに終わる。新山は自らに向かって伸びる蔦を棘ごとつかみ取ると、無造作に引き抜いた。

 まるで庭の雑草を掃除するかのように、手に束ねた蔦をつまらないと言った目で放り捨てた。引きちぎられた蔦は瞬時に粒子の塊へと変わり、形を保つことができずに消滅する。

 蔦が消滅していく中を、紫電の煌めきが割って入った。清十郎が放った突きが、新山の大きな頭部へと突き立てられた。しかし太刀の切っ先は大きな前歯で止められ、勢いは止まらず刀身は上へと滑るように流れてしまう。両腕で突っ込んだ清十郎の腹部ががら空きとなった。顔面の半分を占める巨大な口が、笑いの形を作る。

「っくそ……っだらぁ!!」

 全身に沸き立つ恐怖心を大声で散らして、上へとあがってしまった腕を力任せに降り下ろした。同時に、新山の頭部が大きく揺れる。三本の太刀を刹那の間で連続して顕現し、ゼロ距離で叩き込んだ。腹の底を打つような重低音を発しながら、落雷のように落ちた太刀は砕けながらも新山の頭部に降り注ぎ、異形は大きくバランスを崩した。

 前のめりに傾いた新山は、バランスを取り戻すために一歩足を前に踏み出した。踏ん張った新山はちょうど着地した清十郎の頭部をわしづかみにして、強引な腕力だけでその体を投げ飛ばす。抵抗する間もなかった清十郎は宙に放り出され、重たい音を立てて地面に体をたたきつけた。

 動かない清十郎を目の端にやり、頭をあげたところで新山の顔をこそぐように飛んだナイフが二つ。それを追って飛んできたナイフがそれぞれにぶつかり、新山を囲む形で四方へと弾けた。

 滑空するように低く地を走る切子が、両手に持ったナイフをさらに飛ばした。刃が新山の体に触れた瞬間、四方に散るナイフが電流をまとい弾ける。

 空気中の水分を焼く電気の檻が、新山を閉じ込める。一瞬ずつに放出される電流は新山の肉体内部に入り込み、見る者の目に光の焼け跡を残すほど強くスパークしていく。内側にいる新山の体は大きくのけぞっていた。が、弾け続ける電気の嵐の中、体はゆっくりと前にかがんで伸ばした手は、檻の要となっているナイフをつかみ、握りしめて砕いた。

 檻の一角が破壊されたことで、流れていた電流の嵐は一瞬にして粉々になり消滅する。

 切子は舌打ちを残し、ししろらが固まる後ろへと下がった。すぐに予備のナイフをコートの裏から取り出すものの、その顔には疲労の色と絶望感で強い影を落としていた。

 一連の攻撃を見逃すまいと目で追っていた帆夏は、乾ききった喉に無理やり声を通して言う。

「……だめ。少しダメージが通っただけで、固い表面(アーマー)を突破できてない……っ!」

 新山の体は電気の檻を抜けた後、皮膚や頭部からにじむ少量の血を指でなぞり取ると、再び大きな口をつり上げて笑った。

「倒すなら……ダメージを肉体の芯に与えないと!」

 言う帆夏だったが、その言葉がどれほど重たいものかをわかってしまっている。さっきまで仕掛けていた攻撃が、今持てるオフェンス側の最大火力であった。

 やっとのことで起き上がれた巳影も、右目だけから見える情報に臍を噛む思いでいた。

(……こうなったら……)

 瞳を閉じ、荒れる精神の中で感覚を研ぎ澄ます。ぐらぐらと揺れる意識の奥に、あいつはいる。

「ベタニア……俺の体をどう使ってもいい」

 深淵の底で、地響きのようにうなる獣が、ぞろりと尖る牙を剥きだしにした。

「あいつを……!」

 意識が後ろへと下がっていく。感じていた腹部の痛みや疲労感が溶けていき、自分の体の輪郭さえあいまいになった。

 ごうごうと猛る火の渦が、心の中から外へとあふれ出していく。指先から脳天にまで、その熱は巡り、体内を流れる血液までもが燃える色へと変わっていった。

 ()()寸前の意識が、こちらへと振り向く新山の姿を視界の内にとらえた。誰かの声が同時に響いた……ような気がした。


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