148:反撃の糸口
「まずは……ごめんなさい。私がしっかりしていれば、余計な手間をかけることなんてなかったのに」
『黛工房』の二階。消耗の激しかった神木と蝶子を休ませるため、やむなく異界から撤退し、月夜になる頃。蝶子は皆の前で深々と頭を下げた。
「敵が一枚上手だった。それだけじゃねえか」
清十郎の言葉に蝶子は「でも……」と続けようとするが、そこへししろが割って入る。
「別に寝返ったわけやなし、蝶子も無事なら結果オーライや。もう終わったことをグチグチ言う意味も必要もないで」
ししろのカラッとした笑顔に、蝶子はまた頭を下げる。蝶子が顔を上げた時、表情は憑き物が落ちたような明るさが戻っていた。場の空気も、一段軽いものへと変わっていった。
その中で、巳影が手を挙げって言う。
「本題に入りたいんですが……俺たちが見た「工場」。あれは放っておいていいもんじゃありませんよ」
場の空気が引き締まる。人間を『月人』へと変えるための製造工場……誰が聞いても険しい顔になるものだった。巳影の言葉に切子がうなずいた。
「一刻も早く破壊した方がいいでしょう。……内部にいる人間を救えればと思いますが」
切子の視線が下へと落ちてしまう。それには清十郎が肩をすくめて息をつき、「仕方ねえよ」と首を横に振った。
「俺らは別に正義の味方ってわけじゃねえ。できることには限度がある。割り切っていかねえと、しんどくなるばかりだぞ」
言う清十郎であったが、その顔は険しいものだった。その声には誰も異を唱えることはできない。が、蝶子は顔を上げて口を開いた。
「……もしかしたら、だけど」
そう前置きをした後、蝶子は清十郎の目を見て言う。
「あの塔……造りは本来の五重塔と同じ役割を持つの。向こうにいた間の記憶だから、少し曖昧な部分もあるんだけど……」
それには清十郎も目を丸くした。
「向こうって……高橋に操られてた時か」
こくり、と蝶子はうなずいた。
「塔にあるのは「転生装置」と呼ばれてて、どんな人間でも『月人』へ文字通り、転生させる……生まれ変わらせるための施設なの。現実の層塔と同じく、五大思想の元に設計されているから」
蝶子のその言葉に神木と清十郎が目を合わせる。二人とも目には驚きの色を宿しており、同時に唸るよう押し黙った。切子もまた、難しい顔をする。
「……なに、その五大思想って……」
訪れた沈黙の裏で隠れるよう、巳影は隣に座っていた紫雨へ声を潜めて尋ねた。
「仏教の宇宙観や。一階から「地」、「水」、「火」、「風」、そして最上階は「空」として、仏塔は建てられる。塔そのものが、仏教の……ひいては元となったサンスクリットの考えでもある「一つの世界」としてなりったっとるんや」
近くにいたししろには聞こえていたようで、その解説に巳影は紫雨とともに「へえ……」と感心した声を漏らした。どうやら紫雨も詳しくは知らないらしい。
「リインカーネーションって聞いたことないか? 意味は転生……これは仏教のほかにもある考えや。つまり生命は世界を一巡してまた生まれ変わる……あの塔の中では『月人』として、な」
「そ、そんなことができるんですか……? まるで宇宙そのものを体現してるような感じがしますけど」
途方もなさにいまいち現実味が付いてこない。そこは蝶子も同じだったようで、うなずいてししろの言葉に説明を継げたした。
「範囲を限定してるの。もちろんそれだけが仕掛けじゃないけど……塔の内部を循環させる力が働いてる。本来は抑えれていた力なんだけどね……独立執行印という封印で」
「……鬼の存在、ってことですか?」
巳影の言葉に、蝶子は小さく首を横に振る。
「それだけじゃなく……空気、かな。異界となって再現された、「当時の土萩村の空気」……村という場が持った、業が生む狂気と言ってもいいかもしれない」
常に漂う死臭、腐臭。飢えと渇き。体験したものはその一端でしかないが、巳影にもその空気というものがどれだけ危険なものなのか、肌で感じ取ることはできていた。思い出しただけで寒気を覚える。
「なら、早くに何とかしないと……それこそ、破壊できるんなら、なんとしてでも……!」
「いや……まずいんじゃないっすか、それ」
はやる気持ちでいた巳影の横で、考え込んでいた紫雨がぼそりと言う。
「え……なんで?」
「あの五重塔は限定的とはいえ、仮にも「一つの宇宙」を作り上げてるわけでしょ……? そんなもの考えなしでぶっ壊したら……どんな悪影響がでるとか、あるんじゃないっすか」
「……あ」
紫雨の言葉に巳影は間の抜けた声を漏らす。確かに、考えていなかった。それほどまでの意味と実行できる力を持つ施設は、こちらの現実世界にどんな影響を与えるのだろうか。
呆けている巳影に、神木は疲れが抜けきっていない声で言った。
「悔しいけど、紫雨の言う通り……というのがみんなの解釈だよ。『土萩村』を原動力としているのなら、施設を破壊した時に中で制御されていた力はどうなるか……あまり考えたくはないな……」
「う……」
「内部に循環するだけで「一つの宇宙」を作ってるんだ……相当なエネルギーのはずだよ」
つまりは、手の出しようがない……口を閉じてしまった神木は沈黙でそう巳影に促した。固い沈黙の空気が、漏らす声さえ押しつぶそうとしていた時、蝶子がその重しを強引に押しのける。
「一つ……突くことができる点はあるの」
蝶子の声に切子は俯けていた顔を上げた。
「点……?」
「うん。五重塔で転生した人間は、町に戻って元の生活へ帰る。これは新山家が戦力として集めている兵隊と言えるのだけど……『月人』状態となった人間は、ひどくコストパフォーマンスが悪いの」
蝶子の言葉に、皆が小首をかしげる。
「……『月人』のコスパ……?」
おうむ返しに言う巳影へ、蝶子はこくりとうなずいた。
「『月人』はとても高いスペックをもつのだけど……超人的な力を維持するには、決められたものを食べることでしか保てない……それは生きた人間の、肉と血」
淡々と言う蝶子であるが、その顔色は良いものとは言えなかった。だが、蝶子はそのまま構わず続けた。
「でも現実の世界で、そんな生贄みたいな接種はできない……実質稼働できる『月人』はわずか。潜在的に潜んでいる『月人』は兵隊として考えなくていいと思う。だから、先に頭を抑えることができれば……あるいは」
「……なるほど、先に直接新山のくそ爺をぶっ飛ばせば、ってわけか」
清十郎が口元にわずかな笑みを浮かべた。
「今塔にいる人たちが救えるかどうかはわからない。でも、今以上の犠牲を抑えることはできると思うの……気休めかもしれないけど」
蝶子は切子に向けてもう分けなさそうに言うが、切子は苦笑して首を横に振った。
「きれいごとで終れる争いじゃないって、もうわかってる。私こそ、余計なことを言ってしまってごめんなさい」
切子はぱちんと両頬を手ではたき、気持ちを引き締めた。隣にいたししろはうなずくと立ち上がり、皆の顔を見ながら口を開いた。
「そうと決まれば、先に新山のくそ爺をたたく。狙うは短期決戦……気合入れていこか!」




