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146:惡の華

 蝶子のベルが生んだ音域の衝撃派は、離れた位置にいた紫雨やししろにも届いていた。爆風そのものに襲われた紫雨は「なんなんすかこれ!」とパニックになっている。

 ししろは吹き飛ばされないよう地面にしがみつき、立ち上がるタイミングを見計らっていた。

「こ、攻撃の狙い自体は成功してるよ! で、でも!」

 その後方、防風林に隠れながら赤く光る目……『竜宮真鏡』で遠方を見据える帆夏は倒れまいと木に張り付いて言う。

「蝶子ちゃんを覆ってた悪意は、しぃの攻撃で消えてる……でも、まだ完全に目覚めてないの!」

「ど、どういうことや!?」

「多分蝶子ちゃんの心に固定されてる洗脳めいたものだけが、解除されてないんだよ!」

 そうこう言ううちに、音の衝撃波は第二波、第三波と立て続けて轟音を生み出し、暴風を送り込んできた。

「どないしたらそれ、解ける!?」

「……見えるところ複雑な作りじゃないけど、洗脳そのものが独立して蝶子ちゃんの心をロックしてる……外部からの干渉じゃ解けないよ!」

「ようわからんが……蝶子の心や意思自身がなんとかせなあかんタイプか!」

 言葉すら遮られる爆風は、なおも遠くにいるししろたちを吹き飛ばそうとうなりをあげていた。



 □□□



 鐘の音を、追う。無我夢中だった。世界は光をなくし、走る足も地面を踏んでいるのかさえ分からない。深淵の中で、蝶子は耳だけを頼りに走っていく。

 止めなくては。今、大事な人たちが、自分のせいで傷ついている。自分の未熟さと未練が、鐘を鳴らし続けている。

 走る。走る。走る。息は絶え絶えになり、膝は今にも崩れ落ちそうだ。振る腕に力は入らず、いつしか足は靴を引きずるようにして動いていた。

 虚ろから覚めた目に、高くそびえる塔が映った。上へと昇る階段は、らせん状に塔へ張り付いている。その塔の頂上には、大きく音を鳴らす鐘が見えた。

 階段を上がる間も、鐘の音はなり続いている。定期的なようで、感情を乱しながら打つような、ヒステリックさも感じることができた。

 ああ、そうか。こんなにも……まるで不満がある故に泣き叫ぶ子供のような、駄々をこねた音の正体は……。

 足を引きずり、頂上へとたどり着く。そこには宙に浮かぶ巨大な鐘と、その下に立つ人影が見えた。

「もう……やめよう」

 人影に向かい、がたがたの体を前に進めていく。

「単に……。ただ単に。気づいてほしかっただけなんでしょう?」

 空気を揺らす鐘の音が途絶えた。人影が、ゆっくりとこちらへ振り向く。

「でも、助けてとも言えず……後ろめたさを理由に、自分をないがしろにして……そんな自分がどれだけ周りに心配をかけてしまっているか……今なら、わかるよ」

 手の中にはくすんだ色をした、ハンドベルが握られていた。

「今のあなたを見れば……分かる。だって」

 人影に覆いかぶさった影が、溶けて内側へと涼み込んでいく。

「寂しかったんだよね……黛蝶子」

 蝶子は自分の名前を、相手に投げかけた。目の前には、一人の女性が立っている。その面立ち、背格好、そしてすさんだ目が……何もかもを諦観した虚ろな目が、自分と同じ姿の存在を映し出していた。

「だったら」

 一歩、前に踏み出す。同時に、虚ろな目が鐘を鳴らし、音波の暴風を撃ちだした。

 人間程度の重さなら、簡単に吹き飛んでしまうだろう。しかし、蝶子は奥歯をかみしめ、手に握るハンドベルを斬りさばくような軌道で、上から下へと振り下ろした。ハンドベルが音色を生み出し、襲い来る風を打ち消す。

「だったら……素直に言おうよ。口に出して、言葉にして」

 鐘の音が乱暴に打ち鳴らされ、何重にも重なった音の波が襲い来る。

「言わなきゃ……分からない。伝えなきゃ伝わらない」

 音波はすでに蝶子の体をずたずたにしていた。肌は裂かれ、服の下からも血がにじんでいるのが分かる。しかし、蝶子の引きずるような、だけ決して止まらない足は確実にもう一人の自分へと近づいていた。

「寂しいね。寂しかったね」

 か細い体をゆっくりと抱きしめる。体温は感じられない。そんなにも冷えていたのだろう……それが、自分自身の心の正体だった。

「でも……「必要悪」というだけじゃなく……」

 抱きしめる腕に力を込めた。

「私と言う「黛蝶子」を大切に思ってくれている人たちは、ちゃんといるよ」

 鐘の音が、遠くへ流れていく。足場が砕け、立つこともままならない。

 しかし、落下しながらも蝶子は抱きしめた自分を離さなかった。瓦礫と化し、崩壊した塔とともに暗闇へと落ちていく。何も見えない地面へと、あと数秒もしないうちに追突してしまうだろう、となぜか確信があった。

 その確信は、想定していたものであり、超えるべき最初の難題だからだ。

 蝶子は落ちゆく最中にハンドベルを天へと掲げた。ここで終わるわけにはいかない。すべての存在に感謝の意を伝えるまでは、終われない。

「響け……届け! 私の声を、すべての人に!」

 まだ「ありがとう」の言葉すら返していないのだから。



 □□□



 鐘の音が鳴りやんだ。震える大気は未だ耳をつんざき、平衡感覚すら怪しくさせる。

 だが、神木は小さく笑った。ついていた膝を起こし、ふらふらになって立ち上がった。

涙活(るいかつ)というものが……最近はあると聞いている。涙を流すことは、ストレスを大きく発散させるらしいんだ」

 言いながら、膝が崩れた神木の体を、ふわりと柔らかい風が抱きかかえた。

「……すっきりとした顔をしてるな、蝶子」

 涙の名残を見せる瞳は、朗らかに言う神木を映している。

「あなたたちのおかげで……ね」

 神木を支えながら顔を上げ、よろけあう体を蝶子と二人で支えあうように立ち上がった。

「おやおや。仲のいいことで」

 二つの視線の先にいる高橋は苦笑交じりにつぶやき、錫杖を構える。

「では……ここからお互い、手心を加えなくてもいいということで」

 それに神木は不敵な笑みを見せた。

「勝てるか、キョウゴ……こっちは二対一だ」

「お二方とも、今の自分が戦力になっているという勘違い……まずはそこから正しましょうか」

 ハンドベルを握る蝶子は、震える足で立ちながら言った。

「高橋くん……あなたが「悪」として立ちはだかるのなら……私も「あなたにだけの悪」となって立ちはだかる!」

 わずかに。高橋京極は微笑を浮かべたが、それは誰にも気づかれることはなかった。


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