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144/144

144:リアリストたちのバラッド

 元より、運動が得意というわけではない。飛んだり跳ねたり、ましてや戦闘など……ろくに取っ組み合いもしたことのない平和な人生だ。

「くそっ!」

 霊気を編み、糸状にしたものを放つ。走り、転び、そのたびに体は乾いた地面に打ち付けられる。服はもうボロボロだった。肘や膝はすりむいて、赤くにじむ染みを浮かばせていた。

「まだ……やれる!」

 立ち上がると、すぐさま走り出す。足と足がもつれそうになる。力もろくに入らない。よろけて転びそうになるところを、踏ん張って耐えた。

 走りまわる際、視界の端に人影を二つ見ることができた。

(……蝶子……!)

 まるで鉄面皮のごとく、感情のない目と温度のない表情で、どたばたと走り回るこちらを見ている。

 その隣では、薄笑みを浮かべて立つ青年が一人。

(……キョウゴ……!)

 地面に手をついて、そこから霊気の糸の束を放つ。地面を沿って走る糸は、異形の体躯へと絡みついていく。

 一体。二体。三体。向かい来る『月人』に対し、神木は舌打ちしては走り、糸を投げつける。

 非戦闘要員に対して、『月人』三体は大盤振る舞いな戦力の投入だ。筋肉で膨れ上がる腕で殴られれば、簡単に骨など折れるだろう。内臓も簡単につぶされる。むき出しになった歯は、あっさりと人間の肉などかみちぎるだろう。その巨躯に似合わぬ俊敏性は、じわじわと獲物を追いつめつつある。

(だけど……!)

 霊気の糸は『月人』に絡みつくものの、あっさりと引きちぎられた。だが、ほつれた糸が消える前に、その何倍ともいう数の糸の束が全身を覆い縛り上げる。

「諦める……ものか!」

 神木の叫びが、赤い空の下で響く。異界と化した『土萩村』の空気は、相変わらずの腐臭をはらんでいた。



 □□□



「こりゃぁ……」

 駅中央にそびえたつ塔へと入り込んだ巳影、切子、清十郎は言葉をなくしていた。

 まず、感覚が狂う。外から見た一階層部分と、内部から見る一階層はまるで様子が違っていた。大きさ、広さなどはそれほどでもないだろう、と踏んでいた内部には、錯覚でも起こしたかというほどの広い空間が広がっていた。

 内部の壁には、無数の仏像と思われるものがぎっしりと詰まり、並んでいた。

塑造群像(そぞうぐんぞう)……か?」

 切子がつぶやく。しかし、今はそれらよりも注目すべき、絶句すべきものが一階層には立ち並んでいた。

 床と天井を結ぶ太い柱の中、透明なガラスで包まれた柱の中央部分には、赤い培養液らしきものの中で身を丸くする、人型の姿を見ることができた。

 それは人間の姿を失いつつある、途中経過だった。

 膨張していく筋組織に、発達していく口腔内部。鼻は真上に追いやられ、目は左右に引っ張られていく。

「……『月人』の、製造工場とでも言えってか……」

 うめくように清十郎が言う。まだ人間の姿を保つものもあったが、異形へと変貌していく様はその場にいた全員に、嫌な汗を体中から噴き出させていた。

「何かしらあるという読みは当たっていたけど……こんなものが出るなんて」

 まだ動けずにいる清十郎と巳影の中、切子はショック状態からいち早く抜け出した。か細く息をつき、無言で二人の背中をたたく。

「しっかり、二人とも」

「あ、ああ……すまねえ」

 清十郎はこめかみを手でほぐしながら、舌打ちを残した。巳影も両手で頬を叩いて、自分に気合と喝を入れる。

「と、とりあえずどうします。破壊した方が……」

 両手に火柱を宿し、動こうとする巳影を切子が手で制する。

「早まっちゃだめ。あの柱の中にいる『月人』は、元は町の人だろうから……」

 切子の横顔は険しいものになっていた。どうすることが最適解か、考えながらも目の前の光景から感じられる狂気に、気力をすり減らしている。

「勇士を募ってここで改造処置か……民主主義のショッカーかよ」

 清十郎は手に青色の稲光を準備しつつ、吐き捨てるようにつぶやいた。

 巳影は額に浮き出た球の汗を乱暴に拭い、うめくように言った。

「この人たちを元の人間に戻す方法……なんて、ありませんよね……」

 他の二人からの返事はない。切子も清十郎も、苦虫を嚙み潰したような顔でいる。

「この施設を……破壊、しよう」

 わずかな間をおいて、切子がそう言った。いくら最適解を求めようとも、目の前の現実が突きつける事実に対し、できることは決断を下すことのみだった。巳影を止めはしたものの、答えは頭のどこかに最初から出ていたのかもしれない。

「くそ、それしかねえか……」

 空気を焼いて、弾ける電流を帯びた刀身が清十郎の手に握られる。巳影は固唾で喉を鳴らし、両手に火柱を宿らせた。



 □□□



 肺が酸素を求めている。だが、いくら息をつこうにも、消耗し疲弊した体は呼吸すらままならない状態だった。

 膝をついて、残ったわずかな体力で顔を上にあげた。目の前には、糸をうっとうしそうに払う『月人』たちが立っている。

「惨めな最期になりますね」

 『月人』たちの後ろから、高橋京極と黒い服に身を包む蝶子が姿を見せた。

 声を挙げようとするものの、嗚咽にしかならない吐息が出るだけだった。何とか立ち上がろうとするものの、力が入らずうつ伏せに倒れてしまう。血の臭いで湿った土が頬に触れ、べたりと張り付いた。

「しかし。ただの凡人であるあなたがここまで粘れるとは思いませんでした。そこだけは、評価に値します」

「……そ、りゃ……どうも」

 声を途切れさせながら、神木は立ち上がろうとしていた。だが、かろうじて持ち上がった上体を、無遠慮な衝撃が打ち付けた。神木は喉を詰まらせ、乾いた咳を吐きだす。

 神木の背を踏む高橋は、手にした錫杖の先端を神木の眼前に垂らした。

「そこで、僕なりの慈悲です。苦しまずに死ぬか、彼らの栄養となるか。選ばせてあげましょう」

「……」

 地面に伏せる神木は、小さく口を開く。だが声はもはや蚊の鳴く音以下であり、誰の耳にも届かなかった。それに高橋はにこりと笑い「なんですか、聞こえませんよ?」と錫杖の底で神木の頭部を無遠慮に突き飛ばした。同時に、踏みつけていた足で腹部へと蹴りを入れる。

「あなたが陽動というのはわかっています。戦力ではない人間だから、僕たちが油断すると踏んでいたのでしょうけど……残念ですね。塔へ向かった彼らにも、きっちりお相手を用意していますよ」

 転がった神木は仰向けになり、うつろな目を赤い空に投げていた。指の先にも力が入らない。痛覚すらすでになく、わずかにしびれているような感触だけがあった。

「……」

 神木の掠れた声は、うわごとのようだった。混濁する意識の中で、神木はもう一度唇を動かした。

「キョウゴ……」

 高橋は呼びかける旧友に肩をすくめて、錫杖を大きく振り上げた。が、その笑顔が一瞬でこわばる。同時に、神木の口の端がわずかにつりあがる。

「チェックメイトだ」

 ひび割れた地面から無数に這い出た糸は、はるか後方より伸びていた。『帰らず小道』を囲う木々の間から忍び寄っていた霊気の糸は、すでに『月人』たちや蝶子まで捕捉している。

「いつ、僕が一人だと言ったかな」

 咳き込みながらも言った神木は心の中で、用心深く辛抱強く力を使った弟へ感謝した。


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