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142:バタフライ・エフェクト

 バスの中では気が気でなかった。焦る感情だけが空回りし、不快な汗をかくだけに終わった。

 巳影たちが『黛書房』に駆けつけた頃には日が沈みかけていた。夕暮れの赤い色が、既視感を生む。異界と化した『土萩村』の空を連想させるのだ。

「黛さんの行先とか、手がかりはありましたか」

 先に着いて連絡をよこした神木に問いかけるが、神木は静かに首を横に振るだけだった。

 ベッドには送ってもらった写真通り、枕に深々と釘状の長い針が突き刺さっている。「さようなら」と書かれた文字は、確かに黛蝶子のものだと神木は説明した。

「それにこの釘にも見えるものは……棒手裏剣と呼ばれるものの一種だよ」

「棒……?」

「ああ。暗器の類いにもカウントされる。キョウゴが……高橋京極が好んで使う飛び道具さ」

 神木は無造作に突き刺さっていた釘……棒手裏剣を引き抜いた。その先端は鋭く、注射針のように細い。

「じゃあ……黛さんを連れ去ったのは、あの高橋京極……ですか」

「間違いないだろうね。たぶらかすことに関しては、人一倍優秀な奴だからさ」

 窓の外を見て言う神木の顔は険しいものだった。口調や態度は落ち着いているようだが、その目には強い怒りを宿している。

「けど、なんだって黛さんを……」

「単にこちらへの嫌がらせか、手ごまにしたかったのか……ろくな理由でないことは確かだ。何せ蝶子の本領は、戦闘ではなく時計盤での時間加工。兵力にはならないはずなんだけど……」

 二階の工房に上ると、紫雨が霊気の糸で時計盤を調べていた。糸は時計盤をからめとり、一つ一つが内部へと沈み込んでいく。ほとんどの糸が時計盤に沈んだ後で、紫雨は大きく息をついた。

「うーん、特に異常は見当たらないよ……」

 兄である神木に上目遣いで言う紫雨。疲れからか床に座り込んで背筋を伸ばそうとする。

「それよりも……あっちの方が気になるよ」

 紫雨が目で刺した先には、窓辺で眠るようにして身を丸くしている、芋虫型のぬいぐるみだった。

「チクタク……まさか、死んでる……?」

 身じろぎもしないマスコットキャラクターに顔を青ざめさせたが、糸を放った紫雨が解説する。

「仮死状態ですよ。冬眠のような感じですかね。無駄に動かず、エネルギーの消耗をさけてるんでしょう」

 窓辺に転がるチクタクの表面にそっと触れてみる。そこにはただのぬいぐるみではない、生命のぬくもりを感じることができた。

「このチクタクは陰陽師が使う式神のようなものだよ。生命の供給源は蝶子の命そのもの。チクタクが生きている間は、蝶子の命は無事だと思っていい」

 神木は巳影と同じく窓辺に立ち、そこから見える田園風景へ睨むような視線を投げた。

「もう日が落ちる……これ以上動くのは危ない。ここは、一度引こう」

 神木の口調はいつも通りの柔らかいものであった。だが、握る拳はわずかに震えており、険しい表情が変わることはなかった。



□□□



 新山が通された応接室は、新山の豪邸よりも広く、内装も上品で物静かな部屋だった。それが気に食わないのか、ソファーに座る新山には苛立ちをあらわにし、吹かした葉巻を灰皿にねじ込んで捨てる。もう二本目だった。

「遅れてしまい申し訳ありません、新山さん」

 新山が座るソファーの正面から開いたドアから、来間が姿を見せる。新山は露骨な舌打ちをはくと、腕を組んで背もたれにふんぞり返った。

「たかが定時連絡の要件で儂を呼んだんだ、さぞ驚きの知らせだろうな」

 新山は落ち着かない様子だった。額やこめかみに浮き出た血管は太く脈打ち、丸太よりも太い腕の筋肉は膨張しているように見えるほどに膨らんでいた。それらの変異を視界の端にとめながら、来間は詫びるために一礼する。

「連絡の密度を高めたいところですが、我々も人手が足りませので」

「知ったことか。貴様らの都合など、何故儂が考慮せねばならん。現政権に取り次いでやっているのは、儂であるぞ」

 語気を荒くする新山に、来間は「確かに」と苦笑する。

「ですので、新山さんとの連絡係を連れてまいりました」

 来間が一歩下がり、ドアから現れた人物に新山は「ほう」と関心を寄せる声を上げた。

「彼女でしたら、問題はないでしょう。ほら、ご挨拶を」

 一歩前に出た人影は、物静かな所作で一礼し、顔を上げた。

「黛蝶子と申します。どうぞご寵愛のほどを……新山様」

 黒で統一されたドレスに身を包んだ蝶子が、熱のない瞳で言った。その一連の動きを見ていた新山は、ふん、と小さく鼻で笑った。

「洗脳か。しかし「必要悪」の黛家をこちらによこすとは……天宮の指示か?」

「提案は高橋さんですよ。まあ、軽いノリでOKを出したのも天宮さんですが」

「どのような処理をした」

「意識を軽く上書きしたとのことです。身体に大きな負担はかかっていません」

 新山は立ち上がると、その巨躯の半分程度の身長である蝶子の前に立った。節くれ、鍛え抜かれた指が細い蝶子の顎を持ち上げる。

「もし「趣味」に細かいリクエストがあれば、それなりの人材を探してきますが」

「……ふん。ただの人形にそこまで求めるものか」

 手を離すと新山はソファに戻り、腰を下ろす。

「ついでだ。進捗を聞こうか」

 新山の言葉には来間ではなく、再び一礼した蝶子が答えた。

「現在の転生率は64パーセント。町人の大半が処置を終えた状態です」

 蝶子の声は淡々としていた。感情というものが全く感じ取れない。それに新山はかすかに目を怪訝なものにさせたが、構わず続ける。

「安定性は」

「日常生活において、今のところ問題は現れておりません。コントロールも投薬により抑えられています」

「塔の様子は」

「そちらも安定して稼働しています。ですが、場所は『彼ら』に突き止められています。対処なさいますか?」

「対処? 塔を動かしでもするのか」

「いえ」

 短く言い切った蝶子は、再び感情のない瞳で新山を見据えて言う。

「邪魔であるのなら、対処します。『彼ら』を一掃いたしますか?」

 蝶子の言葉にしばし沈黙を挟んでいた新山が、喉の奥で低く笑う。

「これはなかなか……()()()()ものだ。いいだろう、連中を討ってみせろ」

 にたりと笑った新山に、蝶子は「承知しました」と深く頭を下げた。


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