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141/141

141:残された罪

 この頃、夢に見る。あの赤い空、暗い大地、人が飢える音、人が人でなくなる音。

 歯を立てる。牙を立てる。肉に、腐肉に、ねばついた血液をすすり、また肉を食らう。

 空腹は満たされない。喉の渇きは収まらない。

 次に。次に。臓物をわしづかみにして口に詰め、骨に残る筋もしゃぶり取る。

 目が覚めた時には大量の汗をかき、強くシーツを握りしめていた。呼吸は乱れている。肺にまったく酸素が入らない。パニックになっているのだと分かるころには、自然と落ち着きを取り戻していく。

 「必要悪」。先祖たちが担っていた『土萩村』での役割。だが、黛蝶子は便宜上のものだとは割り切れなかった。毎晩見る悪夢が、「必要悪」であれと示しているように思える。

 お前は悪。悪。悪。人間にとって。生者にとっての悪。

 窓の外に登る月は高い。見上げる蝶子の髪を、微風が撫でていった。

「ちょーこ?」

 ベッドの側では、芋虫型のぬいぐるみが心配そうな声をあげていた。蝶子はそのぬいぐるみを抱き上げると、大丈夫とつぶやいて頭部を撫でる。

 何が、大丈夫なのか。自分は鬼を解放してしまった。自分のちっぽけな危機感と焦りのためだけに。それも、役目を果たせず周囲の足を引っ張ってしまうという体たらく。

 それは、私が悪だからか。

「それはちょっと違うでしょう。あなたのミスを役割のせいにするのは、あまりにも責任感がない」

 微風が、黒い霧を運んできた。

「しかし結果は変わりません。何をしようと、あなたも悪であることには違いないのです。なら……いっそのこと、堂々と悪であろうじゃないですか。気が楽になりますよ」

 霧が笑う。蝶子は自分の額にぬいぐるみの頭部を当て、か細い吐息を落とす。

「あなたにもできることはあるんです。「必要悪」として、世界はあなたを必要としています。これから訪れる混沌には、あなたの悪意が必要なのです」

 部屋に満ちていく黒い霧は、優しい手つきで蝶子がこぼした涙をそっと拭う。

「もう苦しむのはやめましょう。自分に逆らうのはやめましょう。自分を責めるのもやめましょう。あなたは間違ってなんていない」

 霧が放つ言葉が染み込んでいく。そのたびに、心を重たくしていた重圧は消えてなくなっていく。

「さあおいでなさい。あなたの本当の居場所へ。あなたが真に必要とされる世界へ」

 窓から吹き抜ける風が、レースのカーテンを大きく膨らませた。月明りが寝室に入り込み、薄暗い夜の色をはがしていく。

 風がおさまった頃。誰もいなくなった寝室に吹き込むものはなく、ただポツンと残されたぬいぐるみだけが寂しそうに窓を見上げていた。



□□□



 肉体はあっさりという言葉が合うほど、全快していた。腕や足を貫通した傷跡は残っているものの、肉は肉として傷口を塞ぎ、元通りの機能を取り戻していた。

 巳影は診察してくれた医者と相談して、昼には退院することにした。医者はしばらくの間の安静を条件にしてくれたが、巳影としてはじっとしておられず、病院を出た足でバスに乗り、学校へと向かっていた。

 町の中心部に近づくほどに、目に見えないざわつきを肌で感じることができた。下りたバス停では話し合う老夫婦の会話に「新山様」「月人」という言葉を聞き、コンビニでは「勇士求む」「鬼を超える力を」という文言が書かれた横断幕が看板をふさいでいるのを見る。

 駅前は賑やかだった。普段の景色とは違い……活気づいている。

 さびれた商店街の入り口には「正しい姿の町を」と演説を広げる青年たちを見ることができた。それを囲み、耳を傾ける者は買い物客だけではない。老若男女問わず、町の人間が集まっており、ランドセルを背負う小さな子供までもが演説する青年を血走った目で見上げ、応援のエールを送っていた。

 ふと空を見上げる。太陽は雲に隠れ、昼だというのに薄暗い。巳影は苦々しい思いを噛み殺し、学校へと向かうバスへと乗り込んだ。



「黛さんと連絡が取れない?」

 放課後、オカルト研に部室を尋ねた巳影は、言葉少ないししろの報告に素っ頓狂な声を上げた。部室にはししろだけしかおらず、そのししろもちゃぶ台には着かず窓の側で外の景色をにらむように見ていた。

「……町の様子、どうやった」

 ぼそりとつぶやいたししろの言葉に、巳影は力なく首を横に振る。

「異様そのものです。神木先生が戦前だなんて言った理由が分かりましたよ……もうあそこまで「膨らんで」いるのなら、何が起こってもおかしくないですよ」

 放課後のグラウンドから聞こえる声には、いつも以上の力が入ったものが飛び交っている。士気を上げ、結果を促すような厳しい声。その様子はまるで軍隊のようであった。

「あの、話を戻しますけど……黛さんは」

「今神木先生と切子が急いで向かっとる。ウチは連絡待ちや。いざという時、素早く情報を回せるようにな。もう紫雨と大場さんには連絡しとる。帆夏もここに集まる手はずや」

 巳影よりやや遅れ、帆夏が部室へと現れた。白杖を手にした帆夏は「やあ」と巳影に手を振るものの、その顔からはいつもの余裕が消えている。

「酷い雰囲気だね……空気がもう終末のもんだよ」

 手近にあったパイプ椅子に腰かけ、帆夏は重たいため息をついた。

「そんな状態なのに、黛ちゃんが連絡取れないって?」

 帆夏の視線は険しいものに変わる。心配する気持ちと不安な気持ちとが入り混じっているようだ。その落ち着きのなさは、巳影にも伝わっていた。心をあぶるような焦燥感だけが湧いて出て、頭の隅々にまで広がっていく。

「……黛さん、思い詰めてなければいいけど……」

 あまり会話を交わさないままであったが、結果として鬼の封印を解いてしまったことで、暗い瞳をしていた横顔を思い出していた。

 ししろが手にしていたスマートフォンが着信音を鳴らす。すぐさま応答したししろの顔が、次第に険しいものへと変わっていく。

「巳影、帆夏……面子そろったら出るで。準備しとき」

「あ、あの……黛さんは……」

 よくない知らせであったことは、ししろの素振りで理解できた。しかし、今見通しのきかない不安を抱え込む余裕は巳影にはない。ししろはわずかな間をおいて口を開く。

「……家は無人。鍵は寝室の窓以外かかってる状態……そのうえ、これや」

 そう言ってししろは送信されてきた画像を表示する。蝶子の寝室のようであったが、置かれたベッドの枕は長い釘のようなもので貫かれ、一枚の紙きれがそれに張りつけられていた。「さようなら」と乱暴な筆跡で書かれたそれを見て、巳影は歯がゆさのあまり強く手を握りしめた。


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