139:慈しむ唄
高橋は袖をめくり、腕時計を確認すると小さく咳払いをはいた。
「さて、今回は痛み分けとして僕は情報を、あなたたちは撤退を、ということですが……こちらにも都合と予定があります。なのであと一つだけ、疑問や質問にお答えしますよ」
会話はとっくに高橋のペースになっている。情報を引き出すつもりが、いざ出た出来事はこちらの想像や予想をはるかに超えるものばかりだった。
「一つだけ……」
紫雨はじわじわと熱を持ち始めた思考をフル回転させる。この場に長居したことで悪化する体調と、整理しきれない情報をまとめようとすることで、頭はオーバーフローを起こしていた。
視界の端で清十郎とししろの様子を見やる。二人とも紫雨と同じく体と表情をこわばらせ、動けないでいた。とても冷静に動けるような状態ではないことは見て取れる。
「ないのでありましたら、これにてお開きですかね。僕もちょっとしゃべりすぎたところもありますし」
高橋は硬直しているこちらをあざ笑うように口元をつり上げる。紫雨はじとりと額に張り付いた汗をぬぐうと、短く息をつぎ、「じゃあ、これだけ」といって手を挙げた。
「質問ですか? どうぞ」
「……。結局……獣って存在の正体は、何なんだ?」
気がかりなワードは無数にある。しかし、一点でこちらの視界をクリアにするための質問は、これ以上浮かばなかった。
『輝夜』という存在。それらが、獣たちを束ねる存在であるのか。では、そもそも獣とは、何を意味するものなのか。
「獣ですか……そうですね。一言で言えば、抗体の役割を持つ存在です」
「……抗体?」
「星が汚染され、自然浄化の働きも追い付かなる頃に現れる、星自身の抗体反応です。自浄作用を促し、さらには汚染源を撃つ存在。『星撃』、とも呼ばれますね」
さらりと言ってのけた話の内容に、清十郎もししろも戸惑うばかりで、飲み込むこともできていなかった。紫雨は渦巻く思考を何とか制御し、ふとよぎった疑問を口にした。
「それじゃあ……『輝夜』ってのが星の毒素で生まれるんなら、何故攻撃されるような存在も生むんだ?」
構造が矛盾している。その指摘に高橋は興味深げに紫雨へ目を向けた。
「出所は同じですが……獣は星の意思でもあります。生物ならば誰もが持つ「生き残りたい」という生存本能。『輝夜』は人間からの毒素で生まれ、『星撃』はその毒素を感知した星が生み出すもの、といえばいいですかね」
「獣の母って言うフレーズは……とんだ皮肉なんだな」
「間違ってるわけじゃありませんからね。女王が生まれる際に発する雑菌、といったところでしょうか。何にせよリスクはどの瞬間にもあるものです。それに、女王としても利点があります」
「……?」
「女王と獣は同じ土壌から生まれる存在。女王が獣を鎮圧させることができれば……その星は完全に女王のものとなり、女王はその惑星から羽化するのです」
「な、なんだよ羽化って……わ、惑星から? じゃあ地球が繭みたいなもんなの?」
新たなワードの登場で、さすがの紫雨も頭の回転が追い付かなくなってくる。思いついたものをそのまま言葉にすると、それに高橋は笑顔で「その通りですよ」とうなずいた。
「海を飲み込み、大陸を吸収し、空を割って、地球という繭は完全なる女王を誕生させます」
紫雨は言葉通りの映像を頭の中で作ってみる。よくあるB級のアポカリプス映画のようになってしまった。
「……それって、地球っていうか、住んでる人間とか動物とかは、どうなるの……?」
「地球が崩壊しますからね、当然生きていられないでしょう」
高橋はなんでもない、世間話をするような口調で返す。紫雨の思考回路はそろそろ限界が近くなってきた。
「そ、それじゃああんたも死ぬんじゃないの!? それとも『茨の会』は脱出ロケットをひそかに持ってるとか!?」
「そんなものありませんよ、映画じゃあるまいし。まあ僕には僕の目的があるので、それを果たしたあとの世界なんてしりませんから。興味もありません」
あたふたし始める紫雨の言動に、高橋は徐々に冷めた口調になっていった。
「でも、我々『茨の会』のゴール地点はそこだと思っていただければ構いません。特に天宮さんは、『輝夜』の完全なる降臨が目的のようですし」
言い終えると高橋は瓦礫の上から立ち上がり、同じく瓦礫の山に立てかけていた錫杖を手に取る。
「さて、僕から話せる情報はここまで。あなたたちは撤退してもらいますよ」
高橋は変わらぬ態度で、微笑んでさえいる。現実味がないとはいえ、理屈を続かせればこの地球がどうなるか、という話までしたのに。少なくとも、『茨の会』にとっては、これから起こそうとする現実なのである。
紫雨は大きく肩を落とし、汗まみれになった額を乱暴に拭って言い捨てた。
「……どうかしてる。とても同じ人間の思考とは思えないよ……」
紫雨の言葉に高橋はくすりと笑い、身をひるがえした。法衣が風に舞い、高橋の姿はその影の中へと吸い込まれるように消えていった。
じっとりと肌をあぶるような不快感を持つ静寂が、再度訪れる。
「……戻りましょう。このことを、みんなで共有しないと」
地面に張り付いた靴底をはがすように、紫雨は重たい一歩を前に出した。だが膝に力が入りきらず、紫雨の体は大きく沈んだ。
体が倒れ込む前に、清十郎が拾うように抱きかかえる。
「無茶しすぎだ。ただでさえ正気のぶっとんだ話だったてのに」
紫雨の肌はすでに陶器のように白くなり、血の気は完全に消えていた。呼吸も浅くなり、清十郎の腕の中でぐったりとしている。
「でも、お前じゃなきゃこうまで話を引き出せなかったな……すごい奴だよ」
「へ、へへ……」
弱々しい笑みを浮かべる紫雨へ、ししろはハンカチを放り投げる。その顔は固いものだった。
「汗ふいとき。風邪ひくで」
「……ども」
「それと、ウチからも礼言うとくわ。ある程度客観的に聞けたから」
疲労感を持った顔で、ししろは雲一つない快晴の空を見上げる。遠くには月の影を見ることもできて、晴れやかなものに見える青空だ。しかし。
「……嫌な空やな」
胸にたまったものを吐きだすように、ししろは深くため息をついた。