138:月が輝く夜は笑う
「生体兵士……?」
なんでもなく。ただの世間話のような口調で高橋から明かされた企てに、清十郎は混乱しかけの頭を現状維持するのが精一杯だった。目新しい物事が飛び交い、情報が交錯している。
「まるで古いSFだ……まあ、あんたらに人道とか道徳観念とか、期待してないけど」
ひとり前に出て言う紫雨の横顔は、やはり青ざめているままだった。それは体調悪化が進んできたからか、それとも高橋から聞かされた話の内容のためか。
「別に生体兵士……まあ生体兵器全般としますか。それらの開発や実験など、今に始まったことじゃありませんよ。軍事力を持つ国なら、一度はくぐる門のようなものです」
むしろこれはロマンではないですか、とにっこりと笑う高橋が言う。
「それに当時国のスローガンは「富国強兵」。日本政府は近隣諸国との差をさらにつけるべく、これらの研究に協力的でした。元々身分差別が根強く残る当時。死んでも世界に影響のない人種など、どこからでも調達できます」
紫雨の目つきが険しいものに変わる。嫌悪感と、苛立ち、怒り、憤り。それらがないまぜになり、瞳の中で影を濃くしていく。
「そうゆうて、あんたらは戦争にまで加担しとったんか」
高橋をにらむししろもまた、いつ飛び掛かってもおかしくないほどの剣幕を顔に浮かべている。
「ええ、加担していましたよ。表向きは」
表情が怪訝なものを見る目に変わった紫雨たちを見て、高橋はくつくつと喉の奥で笑った。
「途中で方向転換したんです。舵を大きく切ったのは天宮さんです。表向きの成果で旧日本軍を支援し援助を受けつつ『月輝ル夜ノ部隊』は、本来の目的に沿って動き始めました」
「……ずいぶんともったいつけるな。何を企んだ」
低い声で清十郎が言った。清十郎の中にも、濁って煮えたぎった感情が渦を巻いている。それを見透かしたように、高橋は微笑みながら口を開いた。
「女王『輝夜』の降臨、です」
高橋の目は恍惚に溶けていた。まるで崇拝にまで至る存在を前にしたかのような。しかしその笑みは、その場にいたししろたちの背筋を凍らせるほどの不気味さを見る者に与えていた。
「……なんだよ、その女王って」
怖気を振り払い、雰囲気にのまれまいと紫雨が大きな声を上げる。
「失礼、結論だけ言われても意味がわかりませんよね。しかし、これらのことを順当に話しても……あなたたちは理解できないと思いますよ」
「聞いてもいないのに、判断はできねえな。それにてめえらからどんな話が出ようが、今更な感じがするぜ」
一歩前に出た清十郎は煙草に火をつけ、ゆっくりと言葉と一緒に紫煙を吐きだす。しかwし、煙草を挟んで持つ指先はかすかに震えている。
高橋は「まあ確かに」と笑って、紫雨たちの顔を一人ずつ見渡してから一つ大きくうなずいた。
「あなたたちは自然浄化というものをご存じですか?」
唐突に投げられた質問には、清十郎が眉をひそめながら答える。
「……天然の循環で、自然が持つ自己回復機能のことか」
「その通り。自然が……大きく言えば、この地球が持つ物質循環ですね。汚染物質などを分解して栄養へと還る働きです。治癒能力とでもいいますか」
「いきなり何の話や、理科の授業でも始めるんか」
ししろはしびれを切らしたのか、怒鳴るような声で言う。その怒気を前に、高橋は満足げにうなずいた。
「多少、知識が必要な話もします。分かりやすく話すつもりですが、疑問があればいつでも言ってください」
そう言った後、高橋は笑顔のままでつづけた。
「で。地球が持つ自然浄化ですが……行き過ぎた環境破壊の前では、その力を発揮しても修復される規模はごくわずか。完全に元に戻すには途方もなく長い年月が必要です。その前に、温暖化や環境汚染などの毒素を吸い込み、地球が病んでしまうでしょう。……しかし、その毒素に適応することができれば……」
高橋は朗らかとさえ言える笑みで両腕を大きく広げた。
「毒素を我がものとし、養分に変えてしまえば。例えどんなに荒廃した世界でも、自然浄化の力は尽きません。と……ここまでが前振りと言いますか、知ってもらうべき前提条件のお話です。何か質問はありますか?」
「おんどれの正気を問いたいわ……なんや、いきなり地球て」
「失敬な。僕はいたってまじめです。この話題も、神木紫雨くんの話にのり情報を提供しているだけです。いささか、サービスとしては行き過ぎた部分はありますが」
ともかく。と、わざとらしい咳払いで一幕開けた高橋は改めて話し出す。
「先ほど例えた毒素には、様々なものが当てはまります。環境汚染もそうですが……人間が与える影響もまた、毒素と言えるでしょう。例えば。……飢えや病に苦しみ、同胞の肉を食らって鬼という人柱を建て、血で血を洗うような罪深い空間から出る毒は……どれだけの影響をその地に与えると思いますか?」
最後に加えられた言葉に、ししろたち全員の顔がこわばった。
「疑うまでもなく……『土萩村』のことか」
絞り出したかのような清十郎に、高橋は満面の笑みで拍手を送った。
「大正解です。そして地上を超え、星の深淵まで染み込んでいった毒素は……眠っている女王を呼び覚まし、降臨させる力となります」
「な、なにその寄生虫みたいなのは……『土萩村』の毒素を、吸い込む?」
混乱している紫雨を前にして、高橋はゆっくりと大きくうなずいて見せた。
「おおむね、その考え方であってますよ。寄生虫に例えるのは失礼な話ですが、性質としては同じタイプの成長の仕方です。『土萩村』という業が流した血と狂気が注がれ力となる。……すべての獣の母たる存在、女王『輝夜』のね」