136:バロックの宣告
「こんなところに、何用や!」
「そのままお返ししますよそのセリフ。あなたたちこそ、この地に何の用ですか」
噛みつかんと言わんばかりに気を立てるししろに対し、高橋京極は若干の苛立ちを声の中にひそめて言う。ししろの隣ではいつでも動けるよう、手に蒼い電流をまとわせた清十郎が構えていた。
一触即発。その空気を破ったのは、
「う……ごぼぼろろろろお」
盛大に胃の中身を吐きだした紫雨の声だった。
「お、おい……大丈夫かいな。あと時と場所を選んでくれ」
「んなこと言ったってですね……うっぷ」
紫雨が息を整えている間、高橋は白けた顔でこちらを眺めていた。
「こんな場所で平然としてろってのが無茶な話ですよ……」
「……それに関しては同情しますよ」
錫杖を肩にし、高橋は朽ちていった団地の跡地に目をやる。
「この地は怨念と狂気、痛みと憎しみ。恐怖、無念の思い……それらが凝縮されているんです。これだけの負の感情が密集すれば、霊感の働かない一般人でもすぐに体を壊すでしょう」
何度かせき込み、紫雨はなんとか持ち直した。しかし顔色は悪く、息も乱れている。戦力として考えることは、絶望的なコンディションにあった。
「あなたたちは早く帰った方がいいのでは? 僕としては……争う気分が削げました」
「そうゆうて、こっちが見逃すと思うか?」
ししろの剣幕を前に、高橋はやはり白けた表情を見せていた。
「だ……戦う必要は、ないんじゃないっすかね。そちらとしても……ごほ」
鼻水をすすりながら言う紫雨に、高橋は「というと?」と形だけの声を返した。
「こ、ここで鉢合わせしたのも、あんたにとっては僕らと同じくイレギュラーのはずだ。無理して争っても、ただお互い後々消耗するだけの泥仕合になるだけでは?」
「……確かに。計画性は何にもありません」
うなずいた高橋の白けていた顔色に、わずかな興味の色が混じり始めた。
「あんたは戦いに来たわけじゃない。僕らも争いに来たわけじゃない。……そこで何とか、妥協案は出せないかな」
掠れた声で言った紫雨の案に、ししろと清十郎、そして高橋までもが目を丸くする。
「あなたたちは、僕を攻撃しない……と」
「だから、あんたも手出しはしない。互いに見て見ぬふりさ」
「……交渉になってるつもりですか、それ」
呆れた様子の高橋に、息が細い紫雨は力なく笑う。
「じゃないと、あんたはフルパワーの大場さんと相澤さんを相手にすることになる……あんたの今のコンディションでね」
高橋は返事をしない。ただわずかに、眉間に小さなしわを作った。
「僕は過剰なほど霊感の類いが強くてさ……だから分かるんだよ。この地の悪いものが、あんたの中にも食い込んでいるのが」
「……」
「僕ほどじゃないけど、体調に変異は起こってるはずだよ。そのためか、いつもは余裕しゃくしゃくで構えるあんたが、苛立ってるように見える。さすがに不快なんでしょ、この地の空気が」
ひきつった笑みを浮かべていう紫雨に、高橋は小さなため息をついた。
「ご名答。僕も霊感は強い方で、その分過敏に体が反応してしまっているのは、認めましょう。力のすべてを戦闘に注げるかといえば……微妙なところです。ですが」
錫杖を握り、先端を紫雨たちへ向けて高橋は言う。
「こちらも子供の使いじゃないんです、用事があってここにきたわけで。このまま帰るというわけにもいきません」
「そーなると……俺らが出張ることになるんだろう」
まだ太刀を顕現させていないものの、臨戦態勢に移った清十郎が紫雨の前にでた。それに高橋は眉間のしわをさらに深くする。そのわずかな表情の変化を見て取った紫雨はさらに畳みかけた。
「このままじゃ埒が明かないよね、あんたにとっても。だからさ……互いの手札を明かさないか? 痛み分けにして終わり……で、どう」
ししろが視線で疑問を投げかけるも、紫雨は青白い顔のままで「大丈夫」と小さく返した。
「……なかなかどうして。結構狡猾ですね、あなた。転んでもただでは起きないタイプでしょう」
向けていた錫杖を下げ、高橋は肩をすくめた。
「それは誉め言葉として受け取っとくよ」
安堵の息を大きくついて、紫雨は丸くなっていた背中に力を入れ、姿勢を正した。高橋は手近にあった瓦礫のかけらに腰かけた。とても一戦起こすという空気でもなく、高橋には戦意を感じなかった。
「で……あなたたちはここへ何しにきたんです? 立ち入り禁止エリアですよ」
紫雨はししろと清十郎を手で制し、口を開く。
「手がかりが欲しくてね……獣ってのについて」
紫雨の言葉に、わずかだが高橋の眉が片方つりあがった。紫雨はそこへ畳みかける。
「正確には、その獣ってのが何故鬼と同じ気配をもっていたのかってのが……目下僕らが知りたい情報でね」
「飛八巳影から、ですか……昨日桐谷くんから一戦交えたとの報告は受けています」
高橋はしばしの間考える様子を見せると、視線を紫雨に向けて口を開いた。
「答え合わせをするなら、簡単なことですよ。そのままの事実です」
淡々と言う高橋に、紫雨だけでなくししろや清十郎も小首をかしげた。
「何言ってんだ、そのままって……」
訳がわからず声を漏らす清十郎の前で、紫雨は口元に手を当てて考え込んだ。元々血の気をなくしていた顔色が、さらに悪いものへと落ちていった。
「待って。待て。待て。そのまま……そのままって……」
紫雨に額だけでなく、背筋にも嫌な汗が吹き出し始めた。高橋はまだ現実を飲み込めていないししろと清十郎に向けて言う。
「だからあなたたちが感じ取った通りですよ。その獣から、鬼と同じ気配を感じたのでしょう? 当然ですよ。だってその二つは同じ存在なのですから」
一瞬で、その場の空気が凍り付いた。だがその静けさに構わず高橋はつまらなそうにつづけた。
「『土萩村』の鬼とは、元々その獣と呼ばれる存在をカスタマイズしたものですからね」