135:因縁の地、遭遇戦……?
病院を後にし、土萩町から電車で一時間ほど離れた河川敷。そこを歩くのは清十郎にすでに顔色が悪い紫雨と、ししろの三人だった。
獣とは。
巳影が語った、自分の中にやどった力となる存在。それが土萩村の作り上げた業より出現した鬼と変わらない気配を持っていた。人間離れした気迫や力、動きに存在そのものと、鬼とイコールを引いてもいい。人間の動きを逸脱した戦い方であった。
「あかね団地をもう一回調べるのはいいんだけどよ……」
のどかな河川敷を横に、清十郎はすでに疲れた顔で言う。
「少し前に行ったときはヒントも何もなかったぜ」
「ひとまず、今そのあかね団地っちゅー場所がどうなっとるか、この目で見てみたいんや。……隔壁を立てて隔離までしたのには、それだけの理由がある」
日差しは程よく暖かく、流れる川のせせらぎの音の中、蝶がほとりに咲く花にとまる。平穏に見える光景の中、やがてそれは現れた。
「新山のくそ爺も触れるなとゆうっとった中身……調べようやないか」
後ろに続く紫雨はすでに顔色が青白く、深いため息をついていた。丸くなった紫雨の背中を乱暴にたたき、清十郎は自分の顔を両手ではたく。
「まあ、俺らもろくに調査できずに逃げ帰ったからな……しゃーねえか」
前回同様、抜け道となっている部分をすり抜けて、三人は団地の区域へと入った。
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「車を出していただいて、ありがとうございます」
まだ代車ではあるが、車を運転する神木は後部座席にいる切子へ、ミラー越しに苦笑を返した。
「旧街道は遠いからね。僕にできることといったらこのぐらいだから」
それに、と切子の隣に座る帆夏にも配慮の視線を送り、神木は改めてハンドルを握りなおした。
「樹坂さん、車酔いは大丈夫?」
「はい、先生の安全運転のおかげで」
ならよかった、と安堵の息をついて神木は車を走らせた。
「話は紫雨から聞いてるけど……旧街道を調べるのは、危険じゃないのかい?」
カーナビが道案内の合成音を流す。神木はカーナビの指示に従ってハンドルをきり、一般道から離れていく。
「あそこは元から地滑りや地盤沈下、雨となると土砂崩れ。そういう意味でも危ないから、立ち入り禁止になっているはずだよ」
「巳影くんが力を得たなら、そのスタート地点は崩れたトンネルの跡となります。そこに、何故鬼と同じ気配を持っていたのか……その答えに近づけるヒントでもあれば、と」
車は一車線の細い峠道に入り込んでいた。左手側に伸びる森林には手が加えらえておらず、道路も荒れた状態でもあった。
大きなバス道が峠を越え、隣町へとつなぐ安全な道ができてから、この街道は使われていない。土萩町から出る数少ないポイントであるが、町の古い人間ならば、使うことを避けたいと言われる街道だった。
いくばかのカーブを曲がり、土萩町を後ろにしてか細い道路を下っていく。
「あれ、か」
神木はゆっくりとブレーキを踏み、車体は減速していく。
「帆夏ちゃん、見える?」
車がゆっくりと道のわきへと停車した。切子は白杖をつく帆夏のサポートをしながら車を降りた。
一行は、見上げたそれに押し黙ってしまう。
旧街道トンネル崩落事故跡。そこには瓦礫の山がトンネルを埋め尽くすようにつもり、来るものを跳ね返そうとするような威圧感を放っていた。
「ろくに手を付けてないな……」
神木が車から降り、瓦礫だらけの道を見て言う。入口付近には、申し訳程度に規制線が色あせたコーンによってつなげれ、立ち入り禁止と記してあるものの、ほとんどが耐久年数を過ぎていて、抑止にすらなっていない。
「……うわぁ~……こりゃすごい」
特別製のモノクルを付けた帆夏は、トンネル付近とその上に続く雑木林を見上げて、げんなりとした声を上げた。
「そこいらじゅうに浮遊霊やら地縛霊やら、ひしめいてるよ。みんなこっちのほう見てる」
神木と切子はごくりと喉を鳴らした。
「あ、あまり長居するのはよくないかな……」
周囲を見渡すものの、神木にはよくわかっていなかった。そこへ帆夏は軽い口調で返す。
「そうっすね。そのうち気分悪くもなってくるんで、その辺が引き上げどころって感じでしょう」
「……体調がバロメーターか……」
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団地跡へと入り込んだ時、ししろは妙に静かな空気に気が付いた。いや、静かという表現ではない。言うならば、音が消えている。
靴底を地面にこすらしてみるも、小さな音はなるが、この張り詰めて息苦しい空気を作っている静寂さに圧倒されて耳にも残らない。
改めて、燃え尽きた団地の跡を見上げる。
鉄骨で組まれた団地は骨組みだけを残し、ほとんどの壁や床は焼かれ、空洞を作っている。コンクリートの壁が溶け落ち、子供用であろう自転車がそのしたたりを受けたのか、その車体はねじれるようにゆがんでいた。
隣の棟を見やる。やはり全壊に近く、高熱により壁も解けて崩れ落ちている。残った鉄骨の一部だけが高く空へと伸びる形で立っていた。そこに差し込んでくる太陽の日差しと青空の明るさには、何故か違和感を覚えることはなかった。
「静か、やな……」
目に見えない圧迫感を感じるものの、想定していた怨霊たちの気配は皆無だった。団地すべてが消失する事件跡だというのに、浮遊霊一ついないというのは、異様な空間ともいえた。
怨嗟の念も聞こえず、亡者たちの声も沈黙という固く大きな圧迫感に押しつぶされているような……なら、さっきから身に落ちてつぶそうとするこの静寂は、何でできている……? いや、誰が作った?
「難儀な人たちがまたいらっしゃいましたか」
突如現れた人の気配に振り返り、戦闘態勢をとったししろたちの前に、見慣れた黒い法衣をまとった男が眉を寄せて立っていた。
「た、高橋京極! おんどれ、こんなところでなにしよるんや!」
「それはこちらのセリフですよ、まったく。僕の仕事の邪魔になるなら、ここから叩き出しますよ」
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「うーん、日が悪いとしか言えないなぁ……」
オフロードバイクのエンジンをきり、ヘルメットを脱いで来間堂助は旧街道のトンネル跡地を見上げ、そしてその下で来間を警戒する切子たちを見て、改めてため息をついた。
「ここに何の用、かな」
前に出てナイフを構えていた切子より一歩前に出て、神木が目を鋭くとがらせて言う。
「お仕事にきたのだけど……すんなり仕事させてくれそうにはないね」
言って、来間はバイクに備え付けていたベルトから、一振りの日本刀を取り出した。




