131:かみ砕く炎、そぎ落とす氷
火柱は握った拳からは立ち昇らず、指先に集中してギラギラと朱の色を発している。それは左右両方の指先を包み込み、先端は尖っていた。例えるならば、かぎ爪だった。猛禽類が持つ鋭い爪を思わせる、一度つかんだら獲物を絶命させるまでほどくことのない、炎のかぎづめ。
不自然に吊り上がった巳影の口角の間から、白く煙る息が荒々しく吐き出された。空気中の水分が、巳影の吐きだす息の熱により蒸気と化している。
「……貴様」
先ほどまでの余裕は、桐谷にはなかった。張り詰めた緊張感と同時に、顔を険しくさせる苛立ちが見えた。
「やはり堕ちたようだな。言ったはずだ、お前が求めたものの正体は……」
桐谷の言葉が終わる前に、地面に深い穴が穿たれた。巳影はそれを出発点とし、地を跳躍する動きは、人間の動作とはかけ離れていた。身は低く下げられ、上半身は地面と水平であり、両手に燃える火の爪と足で地面を削り進む姿は、獲物を追う肉食獣そのものであった。
桐谷は迎撃の構えを取り、引いた右拳を打ちだそうとする。その拳の直線上には、巳影の頭部が迫っていた。
拳が届く射程範囲内で、巳影は頭部を大きく下へと落とした。同時に、固い土を弾けさせながら身を半回転、スピードを乗せたかかとが桐谷の真上から振り下ろされた。
桐谷は小さく舌打ちし、身を半歩横にずらすだけでそのかかと……あびせ蹴りを回避する。引いたままの右拳を、巳影が態勢を立て直す前に真横から打ち込んだ。
放たれたのは正拳突き。武術の基礎である拳が、腰を返し足を踏ん張ることで、時には鉄以上の強度と硬度を相手に打ち込むことができる。
その鉄拳は、下から真上に打たれた巳影の肘により、大きく軌道をそらされた。巳影の体はまだ完全に態勢を立て直せず、しかし肘打ちを出す腕だけがまるで独立した生き物のようにうなり、しなり、桐谷の拳を弾いた。その肘の奥にいる巳影の目と、桐谷の目が互いを映し込む。
先に動いたのは、桐谷だった。大きくぶれた右腕はそのままに、のけぞるようにして倒れようとする態勢を利用、地面に靴底の跡を強く残し、つま先を蹴り上げた。ムーンサルトの軌道から放たれた蹴りは、飛びのく巳影により回避された。巳影は四つん這いの姿勢のまま地面に張り付き、大きく見開かれた目で、桐谷の動作を見逃すまいとにらみつけている。
蹴りの反動で宙返りした桐谷は再度構え直し、五メートルほどは開いた間合いに舌打ちした。
「格闘技のセオリーからも逸脱……もはや今のお前は武闘家とは言えない」
桐谷の両足から冷たい風が吹き荒れた。土はかすかに残った水分を結露され、桐谷の立つ周囲の土は急激に冷えた温度により霜柱を作って隆起していく。
「ただの獣……いやそれ以下の、畜生だ」
桐谷の拳が、艶を見せない氷に包まれ、コーティングされていく。
桐谷に向かって突進した巳影の腕が大きく振り上げられ、指先の火柱の軌道に残した灼熱が、凍結された空気をも切り裂き一瞬にして大量の蒸気を作り出した。
炎の爪と氷の拳が衝突した。次の瞬間、周囲にまき散らした気流の嵐は、暴風をはるかに超える爆発の規模まで膨れ上がった。それはがれきを吹き飛ばし、地面には深いクレーターを作り、崩れかけていたテナントビルにとどめを刺す。
散らばって注いでくるビルの破片は、二人には届くことがなかった。凍てつき、その次の瞬間には破片すら残すこともなく蒸発する。交差する拳と爪は、絶えず轟音を響き渡らせていった。
立ち入る隙がない。それどころか、大気を焼いて膨張する蒸気は、爆発の連鎖を起こしている。今や近くにいることも難しく、清十郎も切子も神木たちを連れて離れた場所へと避難していた。
「っくそ! なんだってんだ!」
朽ちかけの建物の影に身を潜めて、清十郎は悪態をつきながら顔だけを爆心地にやる。激しく打ち合うのは巳影と、桐谷という名の少年だ。しかし清十郎だけでなく、身を潜めていた者たちは、そんな見知らぬ相手のことなど考えている余裕はなかった。
「……飛八さん……一体どうなってんです!?」
戸惑いと混乱が一度に押し寄せて、紫雨は涙目になっている。その頭を守るようにしゃがむ切子も、苦い顔で爆発の絶えない戦場をにらみつけた。
「わからない……でももう、普通じゃない」
それに……とつぶやきかけ、切子はその言葉を飲み込んだ。
「おかしい。誰が見ても確かや。そやろ、切子」
「……」
隣にいたししろには見抜かれていたようで、ししろは額に汗を浮かばせながら言う。
「おかしいんは……大場さんも神木センセーも、感じたでしょ」
清十郎は目つきを険しくさせ、神木は苦虫を嚙み潰したように顔を困惑でゆがませた。
「なんでああなったのかは分からん。分からへんけど……分かることが一つ」
ししろは震える手をもう片方の手で抑えながら、気力を振り絞って声を出した。
「あいつからは……巳影がまとっとる力からは……鬼と同じ気配がするっちゅーことや」
何度目かの爆発。激突する二人が互いの攻撃に弾かれ、背中で地面を滑っていった。だが巳影は体をしならせ、猫のように腰をひねって体を起こすと、息をつく間もなく前へ飛び出した。桐谷もまた、両手に氷の刃を宿らせながら走り出す。
爪が熱風の嵐を引き連れ、氷に深い溝を作る。氷の刃は確実に相手の首を狙って滑空した。
攻防、と呼べたものか。熱気と冷気の競り合いは一向に衰えることがない。灼熱がばらまかれ、降り立つ氷壁がいびつに大気を覆う。
「飛八巳影……単なる発火能力者やない……。あいつは一体ナニモンなんや……!」
獣の咆哮が重なりあう。組み合う炎と氷は互いに相手を否定しあうように、休む間もなく攻撃を繰り返していた。