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130:魔獣は火の中で笑う

 弾けるように飛来した拳が、巳影の顔面を捉えた。眉間付近に当たった衝撃は、一瞬目の前を真っ暗にさせる。暗転した視界が戻る前に脇腹へと熱が入り込む。肉を焼く感覚を覚えたそれは、瞬時に繰り出された膝打ちだった。

 痛みは、ワンテンポ遅れて襲い掛かってきた。踏ん張ろうとした足腰を、腹部の痛みがこらえきれず巳影は片膝をついてしまう。

(速い……だけじゃない)

 しゃがみ込んでしまった巳影へと、すくい上げるようにして振られた蹴りが顎先をかすめた。とっさにのけぞり、その勢いを頼りに後ろへと後転して何とか立ち上がり構えをとった。

 視界がぼやけ始めた。打撃は受けすぎて体中に熱の華が咲いている。もうどこが重症なのかも判別できない。

 相手は……桐谷という少年は無言のまま追撃を開始する。

 離れた間合いをダッシュで殺すと勢いをそのまま右の拳へと込めて、撃ち出した。狙いは顔面。肌を裂く威力の拳を頬の横に見送り、半身を開いたことで回避できた拳は左足の蹴りを呼んだ。慌てて腕を上げてガードを固めるものの、肩付近を狙った回し蹴りは勢いを削ぐことなく巳影の体幹を揺らした。その衝撃で再び膝が震え、体が沈み込む。左の蹴り足はそのまま上へと跳ね上がると、巳影の頭上でかかと落としへと変化し、垂直に足は落ちていく。

 それを再び後転して回避するものの、今度は立ち上がることができなかった。体には力が入らず膝をつき、破裂しそうなほど膨れ上がる肺は、激しい息を強要する。

(なんて……流れるような動きなんだ……っ!)

 どの攻撃も、次の、さらに次の動作や攻撃へとつながっていく。

(突きも蹴りも同じ構えなのに、速いだけじゃく威力までもが段違いだ……!)

 この二人のやり取りを見守っていた神木たちは、動けずにいた。手に太刀を下げた清十郎は奥歯を食いしばって、割って入る隙を伺っていた。切子も飛び出すタイミングを計っていたが、握るナイフの手のひらには、べっとりとした嫌な汗が噴き出している。

「動きに、無駄がねえ……」

 桐谷の動きを凝視していた清十郎が、苦い顔で言う。

「一つの動作がまた次の動作につながって、動きが無数に分岐してやがる……最小限の動きで最大限の威力を出して、しかもそいつが途切れることがねえ……!」

 とても回避できるものではない。そして、桐谷のコンビネーションの動きに切れ目はなく、割り込む隙すら見出すことができなかった。

「け、けどこのままじゃ飛八さんが……!」

 同じく援護することを考えていた様子で、紫雨が声を上げるものの、返す言葉もない清十郎の横顔を見て、焦りを募らせた。そこへ、切子が力のない声で「無理もないよ……」とこぼした。

「うかつに入り込めば、相手は巳影くんを巻き込む動きをとる……あの体捌きが相手じゃ、多対一になる方が不利になって、同士討ちを狙われる」

「そんな……」

「相手が同等以下なら数でごり押しもできるけど、格上相手じゃタイミングを合わせることもできないの……」

 前線にでる三人で集団戦闘の訓練でも行っていれば、少しは違ったかもしれない。うかつに連携も取れない練度では、簡単に各個撃破されてしまう。いくばかともに戦ってきたとはいえ、よほど訓練しないことには、ぴったりと息を合わせることはできない。

 そのうかつさを見逃す相手ではないことは、紫雨にも分かったようで悔しさに顔をゆがませている。

 巳影にはもう立ち上がる気力も体力も残っていなかった。片膝をついて息を途切れさせ、顔をあげて相手をにらむのが精いっぱいの状態だった。

 巳影に詰め寄る桐谷は、もう走ることさえなかった。おもむろに歩いて、巳影の前で足を止める。

「まだあがこうとするタフさは認めてやる。だが、動きも精神も三流以下だったな」

 桐谷は手刀の形を作った右手を高く上げた。その右手の周囲から、空気中の水分が凝結していくいびつな音が鳴り始めた。瞬時に気温は下がっていき、吐く息は白いものを混じらせていった。

「お前……一体何者なんだ……」

 うめき声の中に言葉を混ぜながら、巳影は激しくせき込んだ。それに桐谷は眉一つ動かさず、ただ面倒くさそうに息をついただけだった。

「なんで、地蓮流を……師匠を知っているんだ」

「……」

「なんで……俺と同じ……」

 巳影の首が少しずつうなだれていく。その後頭部へ冷えた手刀が、断頭台の刃のごとく下ろされた。

「なんで……俺と同じで」

 ぴくり、と桐谷の顔がこわばった。頭部をたたき割るはずだった手刀は、巳影の手につかまり当たる寸前で震えていた。

 気温が、急激に上昇し始めた。冷えて固まっていた水分は瞬時に煙状になり、霧散していく。桐谷の手刀を止めて握る手からも、凍てついた手刀に奪われた温度が籠り始めていた。

 巳影の顔が、ゆっくりと持ち上がる。

「なんで、お前の中にも獣がいる」

 極太の氷柱がきしんで割れる音がした。飛び下がった桐谷を追うように、大気を凍らせた水分が雹のような大きさに削られて地面に落ちては砕け散っていく。

 桐谷の右手には、強く握られた指の跡がくっきりと残っていた。まるで焼印を押されたような、そんな火傷の跡だった。

「……聞こえるだろ、ベタニア……そうか、お前もあいつが……あいつの中にいるのが、お前は気に食わないんだな」

 ゆらりとした動きで立ち上がる巳影は、ぼそぼそと口を動かしていた。そのつぶやきは離れている清十郎や切子たちには届かず、しかし目の前にいる桐谷にははっきりと届いていた。

 巳影の体から……正確には傷跡から高熱が生む赤い光をのぞかせていた。それはやがて立ち昇る火となり、巳影の体そのものを紅よりも深い赤色で包み込んだ。

「出番だぞ、ベタニア」

 つぶやいた言葉を置き去りにして、火柱を宿らせた一つ一つの指が、桐谷のいた地面を溶かし、焦がし、深く長い溝を作った。飛び下がった桐谷は、初めて表情を……苛立ちにも似たものを目に宿していた。

「……貴様」

「お前の首を、喰い飛ばす」

 腕を垂らし四つん這いになり、顔を挙げた巳影のその姿は、まさに炎の獣そのものと言えた。


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