129:凍てついた視線
鬱蒼とした木々の間をすり抜けるよう歩き、視界は突然広がった。
「……なん、や……こりゃ」
森林を抜けると小高い丘へとつながっていた。そこからは異界となった町である『土萩村』を一望することができた。全員が全員、そこからの景色に言葉をなくす。かろうじてつぶやいたししろだったが、二の句が継げない状態だった。
空は深い赤色であり、濁っていた。鉛のような雲が漂い、見える景色のどこにもうっすらと影を落としている。
立ち並ぶ家屋のほとんどが朽ち果てて、倒壊していた。長い時間雨風の中放置されたかのように、壁は砕けて屋根は陥没し、とても人が暮らせる環境ではなかった。
田畑もまた荒れ果て、背の短い雑草が土を割り水路をふさいでいる。やせ細った土にはもう、生命を宿せるだけの力はない。
一見すると、眼下に広がる光景は駅前のように見えた。町の中央にある駅と周辺に栄えた商店街。しかし今は見る影もなく、テナントビルでさえ長く深いひびを走らせ、いつ崩れ落ちても不思議ではない様子だった。
空気は、異様に乾いている。喉がすぐに痛くなるほど乾燥してしまった。肌に届いてくるものは、血なまぐさいどろりと粘着質な空気で、鼻腔にも鉄さびのような臭いが入り込んでくる。
この世の終わり。そんなものがあるのならば、その景色は今見ているものに違いないだろう。
誰もが言葉を失っている中、ふと紫雨が目を凝らして駅の付近を凝視し始めた。乾燥した風は土埃を舞い上げ、視界は悪い。
「どうしたんだ、紫雨」
隣にいた巳影が口を開く。
「いえ、あれは何かな……と」
砂煙の奥にかすむ駅周辺を、紫雨の言葉につられて皆目を凝らし始める。うっすらとであるが、駅のホームや近くに立つテナントビルよりも高く伸びた影を確認することができた。
同じように目を凝らしていた清十郎だったが、じれたように舌打ちする。
「こっからじゃよく見えないぜ。近くまで行ってみないか?」
「……ここでじっとしていても、意味はないか」
神木はうなずき、全員がまとまって行動することを条件に、駅前へと歩いていった。
本来の町なら徒歩十分程度であり、距離が変化したわけではないが、変貌した町の様子を横目に歩いていると、とても長い時間に思えてしまった。
商店街にも人の気配はなく、ゴーストタウンと化している。鉄は濃く錆びており、コンクリートは風化してボロボロだった。
駅前にたどり着いた頃には、高く伸びていたシルエットの正体ははっきりと姿を見せていた。それにもまた、全員が言葉をなくす。
「ご……五重塔、かな?」
駅中央に「生えた」とも言うべきその異物は、紫雨が口にした通りの建築物だった。
五つの屋根が連なった多層構造は、日本人ならなじみの深い層塔である。それは駅のホームを押しつぶし、レールの上に建てられていた。
「有名どころじゃ、法隆寺とか、か……でも、なんでそんなもんがここに?」
清十郎は塔を見上げ、眉をひそめていた。その顔には困惑の色が濃く見える。巳影も隣に立ち、赤い空へと伸びる塔を見上げた。
「正確には、斑鳩寺をモデルにしている。五つの階層はすべてで宇宙を現し、一つの世界として完結した建築物だ」
淡々とした声に不意を突かれ、後ろに現れた気配を誰も捉えることができなかった。
ひび割れ、砕けた道路の上を、一人の少年が歩いてくる。乾燥した空気が吹くと、風の中に固まっていた塵が氷の結晶となり、その少年の後ろへ冷えた風が流れて行った。
「てめえ……確か名前は桐谷っつったか」
清十郎は敵意を放ちながら手のひらに雷を呼び、一振りの太刀を出現させる。だがにらみつけられた少年、桐谷は興味のなさそうな目を一瞬向けただけで、短い嘆息を吐いて捨てた。
「ここに来る手段があるのはわかっていたが、まさか本当に乗り込んでくるとはな。バカも極まったか」
呆れた、という様子でもう一つ息をつく。その桐谷の動作に苛立ちを隠さず突っかかろうとした清十郎は、「待ってください」と巳影に手で制される。
「なんだよ」
「俺にも、あいつに聞きたいことが……」
わずかな間清十郎は眉間にしわを作り考え、手に握った太刀を蒼く光る粒子に変えて息をついた。巳影は清十郎に小さく一礼して、桐谷の前に出る。
「何か用か」
表情からはまだ呆れている様子がうかがえる。バカにして……と声を荒くしそうな衝動をひとまず呼吸で喉の奥に落とし込み、息を吐くと同時に頭に登っていた熱を下げていく。
「お前、なんで師匠を……比嘉葵の存在を知ってたんだ」
桐谷は何も答えない。表情も、眉一つ動かさない。その沈黙に一瞬気圧されそうになるが、巳影は勢いのままたたみかけた。
「それに、何故俺と同じ構えと拳を持ってる…お前は、一体何者なんだ」
熱が籠りだす巳影に対し、桐谷は平然と、そして淡々とした声で返した。
「教えてどうなる。俺が貴様に何か説明する義理でもあると思っているのか。……どうしても知りたいというのなら」
桐谷の両手が開かれ、足は肩幅に開き、腕は拳を立てて迎撃の構えをとる。
「自分の拳で聞けばいい。俺がお前に撃たれたのなら、なんでもしゃべってやる」
桐谷の足元から、強く冷たい風が吹き荒れた。土埃をからめとる冷気が結晶を作り、赤い空の光を受けて、紅色のダイヤモンドダストを周囲に展開する。
巳影も同様の構えを取り、頭の中にいる獣が牙を剥いたのを感じ取った。荒ぶり血を求める衝動が体の中を駆けぬけていき、それは熱となって指先にまでほとばしる。
解放された『地獄門』は巳影の両手に火柱を宿らせた。心臓が激しく鼓動を刻む。そのリズムは、頭の中の獣の心臓とリンクして、強く地面を蹴って巳影を弾丸のように前へと弾き飛ばした。
数メートルの間合いを一瞬で詰めた巳影の右拳は突進する勢いを乗せて、まっすぐに桐谷の顔面へと放たれた。しかし、温度を感じさせない手が無造作に巳影の拳をつかんで握りしめる。瞬時に手を引こうとするものの、腕は万力で締め付けられたかのように、びくりとも動かない。
がら空きになった巳影の腹部に、桐谷は下から突き上げた拳を巳影の鳩尾へ撃ち出し、食らった巳影は苦悶の声を上げる間もなく吹き飛んだ。
(……つ、強い……! 反応速度が尋常じゃない……!)
腹部を押さえながら、巳影は何とか立ち上がる。
「あまり恥をかかせるな。地蓮流の名がけがれる」
桐谷は冷ややかな目で巳影を見下ろしていた。




