128:必中必死の意思
正眼の構えから振られる刃は、基礎を押さえた正確な太刀筋だった。態勢を大きく崩すことはなく、小手の動きだけで切っ先の可動範囲を広げ、最小限の可動域で最大限の斬撃を繰り返す。
そんな刀と切り結びあう清十郎は、淡々と太刀を振るって冷静に相手を……影の剣士の動きを見ていた。
近接戦闘はすぐさま鍔迫り合いになり、二つの刃は互いに下がって相手との距離をとる。
「この太刀筋……確かに大場の剣だな」
相手からは呼吸も読めず、影で黒塗りにされた顔からは表情も見ることができない。まるで機械を相手にしているような感覚に陥る。しかし。
肌を裂くような空気には、影から放たれる強い殺気が充満していた。必ず首を落とす、という斬首人の仕事。忠実にそれを果たそうとする刀を前にして、清十郎は強い圧力を感じ取っていた。
戦場でなければ向けられることのない殺気は、その意思が固く強いものになればなるほど、「それ」だけで武器となる。向かい合えば呼吸が乱れ、心は気圧され動きも及び腰になってしまう。
相手の鈍色の刀身が、自分の体を切り裂き、首を飛ばすことを容易に連想してしまう。そこまでを体に浴びつつ、だが清十郎の口の端は不敵につりあがっていた。
「さすがご先祖様だ、亡霊とはいえすさまじい殺気に恐れ入るぜ」
清十郎は太刀の柄を両手で握りしめ切っ先を前に向け、影と同じく正眼の構えをとる。
「でも俺も、大場の人間なんだよな」
空気中の水分が、青く光る太刀の刀身に焼かれていく。稲光が刃に絡みつき、電流の弾ける音が立ち昇る。
眩しいスパークはやがて、静寂を呼びこんだ。
「……?」
後ろで見守ることに徹していた巳影や紫雨が、ふと違和感を覚えた。今まで離れた位置にいたのにも関わらず、ビシビシと肌を打っていた影からの殺気が、物静かなものになっている。
「影からの殺気が、相殺されてる」
ぼそりと言ったのは切子だった。その横顔は緊張した面持ちを残していた。
「相殺って……殺気が?」
「うん。大場さんの殺気が影の殺気とぶつかり合って、対消滅してるんだ」
え、と巳影の隣で紫雨が間の抜けた声を上げた。
「殺気って……」
困惑した様子の紫雨だが、巳影も今同じような困った顔をしているのだとわかる。
あの古寺での、解放された清十郎の殺気は、今も恐怖の対象として体が覚えている。張り詰め、息すらできないほどの圧力の奔流は……清十郎の背中からは感じない。
むしろ清十郎の体は物静かで落ち着いているように見えた。とてもあんな殺気が出ているとは思えない。
「指向性を持たせているんだよ……殺気という術を、完全にコントロールしている。殺気は今、相手にだけ集中して向けられているの」
信じられない、と切子は付け加えた。
じり……と、影の足が砂利をこする。影が刀を構えたまま、半歩さがった。そしてその分だけ、清十郎はふくみ足の要領で半歩前に体を押し出した。
砂利の中の小さな石が、割れる。
距離にして五メートルはあった間合いは今、清十郎の踏み込みでゼロになった。影の腹へ、清十郎の太刀が深く突き刺さり、その背中から切っ先を高く伸ばしていた。
影の手から零れ落ちた刀が音もなく砂利道に跳ねて、霞となって消えていく。斬首人の影もまた、貫かれた腹部を中心に形を霞や靄のように変えて、散り散りになって消滅した。
「……た、倒した……?」
紫雨はきょとんとしている。巳影も注意深くみていたが、とっさのことで理解が追い付いていなかった。
影は完全に消滅し、周囲には風の吹く音が戻り始める。清十郎は大きく息をつくと、手の中の太刀を小さな火花に変えて、それを握りつぶした。
「手間取って悪かったな。手を抜ける相手じゃなかった」
平然とした顔で戻ってくる清十郎は、あっけにとられている巳影と紫雨に苦笑した。
「殺気ってのは体から放たれる、多数ある波動の一つだ。それが全方位に垂れ流しとあっちゃ、効率も悪いしすぐにばてちまう。……来間の奴の指摘は悔しいが正解だった。だから一つ、策を練ったってだけだ」
もっともこなせるまで五日間ほどかかったが、と清十郎はなんでもなく笑って言う。
「んじゃ、気を取り直していくとするか」
清十郎は隣で苦笑する神木の肩をたたいて、砂利道を進み始めた。まだあっけにとられたままの巳影と紫雨であったが、離れないよう慌てて駆けだした。それに切子とししろが続く。
その後慎重さを優先して歩く一行は、影にも『月人』にも遭遇することなく小道を抜けていった。しかし空気の異様さは変わらず、進めば進むたびに息苦しい圧迫感を覚えていく。
「みんな大丈夫? もうすぐ小道は終わりから」
神木が後方を振り返り、気遣う様子を見せた。確かに神経はすり減っているものの、まだ体力と気力は充実している。問題ない、とししろが代表で答えた。
やがて闇に閉ざされていた小道の奥に、木陰に潜んだ扉のようなものを見ることができた。古びた木造の、観音開きで造られた扉は大きいサイズで、有に三メートルはあった。
「この先が……」
巳影は神木から聞いた言葉を思い出して固唾をのんだ。斬った鬼の首を清め、封印とする場所……。扉からは小道にあふれる異様さとはまた別の異様さを感じる。空気はぬめり気を帯び、鼻には錆びた鉄の臭いが入り込んでくる。血の臭いにも似たそれは、扉からも放たれている。
神木が扉の前に立ち、右手で触れて小さく祝詞のようなものを唱える。
ぎち、と木のきしむ音が飛び出した。続いて重たい音を立てて、扉がゆっくりと奥へ開いていった。
扉の向こうの空は、やはり赤く黒い。日差しの気配すらなく、視界一面に広がるものは、森林の中にある円状の広場だった。
「あれは……」
広場を見渡した巳影は、広場の中央に立つ柱のようなものを見上げた。十字架にも見えなくないそれは、血の色で染まり、どす黒い敵意のようなものを発している。
「……やっぱり、この場所は『異界化』に含まれてるね。もともと町からは切り離された空間だったけど、それだけに空間のゆがみには巻き込まれやすい形になってるみたいだ」
空を見上げて言う神木は、振り返ると全員の顔を見渡した。それぞれの顔には、緊張の色が強く見える。
「だけど、手を付けてないことから見て、まだこの領域は『茨の会』の介入を受けてない。連中の懐に飛び込むなら……ここを拠点にした方がいいね」
神木の言葉に全員が無言でうなずいた。震えるのは恐怖のためか、異様さを見せる未知の空間のせいか。それとも場に染みついた、狂気の片りんのためか。
「じゃあ、さっそく周囲を調べてみよう。僕の予想がただしければ……ここから相手の拠点にたどり着けるかもしれない」
神木を先頭にして、森林が覆いしげる道なき道を突き進んでいく。巳影も腹に気合を入れて、神木の後へと続いていった。




