126:蛇の道は蛇、呪の道は魔道
「だめだよ」
思った以上に固い声で言われ、巳影はたじろいだ。神木は目を閉じ息を長くつくと、首をゆっくり横に振る。
「確かに『帰らず小道』からなら、連中の虚を突けるかもしれない。でもリスクが高すぎるんだ。……この町の有様を見れば、あの小道に今どれだけの影響が出ているかわからない」
「リスク、ですか……?」
隣で職員室まで連れてこられた紫雨は「ほらね」と肩をすくめている。
「元々、あの小道がなんであったかを君は知らないだろう」
「め、迷路の類いじゃないんですか」
神木はすぐに答えず、さりげなく周囲の教職員たちに目をやり、立ち上がる。
「話の続きは部室でしよう。……誰が聞いているかもわからない」
神木の小声に巳影はひとまずうなずいた。
職員室を出ると、まだ放課後の時間で部活動を行っている活気が、廊下へと流れてきている。わずかに町の騒ぎとは関わりのない時間に思えた。グラウンドを走っている陸上部の先頭が声を張り上げる。
「もっと足上げろ! 新山様の戦力になれねえぞ!」
『おおっす!』
力のこもった気合とともに、陸上部の足は速くなっていく。それらを横に、巳影も紫雨も神木も言葉を口にせず、無言のまま部室へと向かった。
オカルト研のドアを開け、神木の姿を見た切子とししろ、清十郎は特に驚く様子は見せなかった。
「簡単に説明するよ」
巳影と紫雨が椅子に座ったところで、神木は使われていないホワイトボードの前に立った。
「あの小道はね……鬼とされた者の首を斬り落とし、独立執行印とするための場所なんだ」
語る口調とは相反した内容は、巳影にしか衝撃を与えていなかった。ほかの誰もは、苦い顔のままでいる。
「あの小道を順序通りにいくと、開けた場に出る。そこで斬り落とした首を清め、封印の儀を行う。『帰らず小道』とは、鬼がもう二度と帰れないことを意味する名前なんだよ」
「そ、そうだったんですか……」
思わず言葉をなくしてしまう。つまりは、断頭台と言えるものということだった。
「それに、さっきも言った通り、今町はあんな有様だ。小道自体にもどんな変化が起きているかわからない。管理者として、何より一人の大人として……そんな危ない橋を渡らせるわけにはいかないよ」
神木の懇願するような目に、巳影は上げようとしていた声を押し殺し、うつむく。
わずかな静寂の合間を、ブラスバンド部の練習演奏がそよいでいく。その音が途切れたのと、切子が挙手をしたのとは同時だった。切子は真剣な面持ちで言う。
「私は、あの『帰らず小道』から仕掛けるべきだと思います」
部室内に広まった静寂さは、先ほどのものとは別物になっていた。喉がひりつきそうな、緊迫感を持った空気に、神木も穏やかさを捨てて切子へと向かい合った。
「……危険性なら、君や大場君が一番わかっていると思ってたんだけど」
神木は清十郎にも目をやるが、清十郎は切子の意見を待っている様子だった。少なくとも反対、という意見ではなさそうだった。
「『帰らず小道』は別称「首切り路地」。鬼の念が今も漂う危険地帯なのは知ってるだろう」
「だからこそ、です。『茨の会』もそれを危険視して、恐らく手付かずの状態だと思われます。逆に悪用するというのなら、もっと早くに手を打ってるはずです。私たちが封印を強化しようとしていた時点で」
「しかしね……」
理は切子にもあった。だが大人としてそこでうなずくわけにもいかない神木は、渋い顔でうなる。
「俺としても、気になるっちゃあ、気になるんすよセンセー」
切子の反対側に座る清十郎がぼそりと口を開いた。
「あそこで首を斬ってたのは、俺ら大場の家だ。鬼だけじゃねえ、それ以外でも「使われていた」ことのある隔離空間。新山の爺に一泡吹かせるだけじゃなく、何かしら連中に付け込むのなら、今調べてみるのもありだと思うぜ」
「調べる、調べる……か」
清十郎の言葉が神木を揺らしている。神木自身も現状を良しとせず、何らかの打破を考えていたのなら、動いてみることの重要度はわかっているはずである。
「ちょーさだよ、調査。改めてあぶねーってなったら、また別の手を考えりゃいいんだ」
適当に聞こえる言葉だが、神木の目を真正面から見据えて言う清十郎の顔は真剣な面持ちであった。
そこで神木は腕を組んで眉を寄せ、やがて力なく肩を落とした。
「調べて危ないと判断できたなら、即撤退。……これでいい?」
「すんませんね、センセー」
言って清十郎は切子に小さく手を振った。切子も微笑と会釈でそれに応える。神木はキリキリと痛み始めた胃を手で押さえていた。
小道へとつながる突き当りの路地。そこへ着くころには日が傾き始めていた。路地には人を遠ざける呪いを強化させた祠がぽつんと佇んでいる。
その壁に、神木が手をひたりと重ねて目を閉じた。一呼吸置き、聞き覚えのない祝詞を唱え始めた。
それは独立執行印の封を解くためのものだったのか、神木が唱えている間に、目の前にあった壁がゆっくりと左右に広がり、薄暗い空間をはるか前方へと伸ばしていた。
路地にはびっしりと砂利石が敷き詰められ、左右に伸びる防風林の木々は鬱蒼としている。もう夕暮れ時だからか、小道はやはり薄暗く物静かだった。
一瞬。小道の方から吹いた風がねばつきを持ち、肌を撫でて行った。鼻腔の奥につんと指すように臭うのは、錆びた鉄を思わせる生臭さだった。
「……こんな雰囲気だったっけ?」
以前紫雨とその師範に誘い込まれた時とは、雰囲気がまるで違う。全身に緊張が走り、総毛立つ。
「やはり、何かしらの影響を受けているみたいだ。引き返すなら今のうちだよ」
先頭に立つ神木は振り返って言うが、
「まずは見てみようぜ、センセー。降りかかる火の粉なら、俺が捌くさ」
すでに清十郎の手には、青くほとばしる電流が流れている。神木は苦笑してため息をついた。
「もしうまくいけば『茨の会』の連中を殴れるんだ。やらない手はないぜ」
そう言う清十郎に続いて、巳影たちも小道へと足を踏み入れた。神木は胃を抑えつつ、ため息をついて砂利道の上を歩き出した。